黒稲荷ーくろいなりー

綾凪

纏屋書店の裏噺 弐章 【黒稲荷ーくろいなりー】

 山の気候は変わりやすいとはよく言うものだが今日の変わり方は不思議、いやどちらかと言うと不気味な変わり気があった。



「稲荷山自体が神体山しんたいざんとは聞いていたが、空の顔がここまで変わるともはや異界だな…」



 そう、今日は日帰りで伏見稲荷へ観光に来ている。折角ならと山頂の一ノ峰いちのみねまで向かう道中だった。


 下の本堂での参拝の時には、この初夏の時期だ。幼少の夏休みという言葉が似合う程には快晴だった。

 だが上に登るにつれ、鮮やかな浅葱あさぎ色が水浅葱みずあさぎに変わり、三ノ峰辺りで空から青が抜けていく。

 そしてニノ峰では灰色の曇天が空を覆っていた。



「よし、あと少し」



 自分を励ますようにつぶやく。

 二の峰から一の峰に登っている道中、つらつらと並んでいる朱く立派な

 千本鳥居の間にある無骨な鳥居が左の方にこっちを向いて立っている。


 そこから先は下に降くだるように、石階段が並んでいた。

 周囲には蛍が飛び回るように、白い小さな光がポツリポツリと漂っているように見えた。


 自然と体が左を向き、階段を降りていった。

 その先にあったのは古民家、 ここまでくる間、民家っぽい土産店や宿は何軒かありはしたが、それとはまた違った雰囲気の建物がそこにはあった。


 磨り硝子の戸が2つ並んでいる。

 その右上から下がった掛け軸には、綺麗な行書で。


(黒急須の中、孤独、我あり)


 とつづられている。



「店…なのか?」



 もし民家だったら…という不安もあったが掛け軸の言葉と、古民家の雰囲気に呑まれ気づけば硝子戸に手を掛け引いている自分がいた…。


 うまくハマっていないのか、硝子がカタカタッと音を立てる。

 中に入ると薄暗い…。

 真ん中に通路、それとその左右に高さ2メートル程の4段に分かれた本棚が並んでいる。

 その中には隙間もないほど、綺麗に積まれた巻物があった。


 その本棚の奥に、襖の溝を越えて9畳ほどの畳部屋が見えた。

 外見もさることながら、室内は更に不可思議な雰囲気が漂っている。


 よく見渡すと、畳部屋の四ッ端に火のついた蝋燭が立って辺りを照らしている。

 そして中奥に一本灯っている蝋燭の手前に、片膝を曲げて、腰を据えている人影が見えた。



「やぁ、よく見つけてくれたね。歓迎するよ」



 男にも、女にも聞こえる落ち着いた声でそう言うと、人影はスクッと起き上がりゆっくりとこちらに向かって歩いてくる。

 なぜだろう、背影炎せかげろうを背負ったように輪郭がぼやけるように、はっきりしない。


 細身のせいか、身長がそこまで高い訳でもないのに背高に見える。

 鎖骨が見えるほど首元が空いた白い服の上に何匹もの黒鳳蝶くろあげはが舞っている刺繍が入った黒く手首の広い、レース質のカーディガンが腰の下まで伸びている。


 下は黒のスキニーを身につけ、足首が少し見える所で切れている。

 続く脚には黒いすっきりとした下駄。


 その細身と、容姿端麗な顔立ちも相まって着せ替え人形、いや西洋のエルフを思わせるような出立ちだった。


 欧米人を思わせる高い鼻、薄い唇。

 青みが少し混ざった不思議な色白の美人、男なら美少年と言ったところだろう。


 頸まで伸びた跳ねた後ろ髪とかき分けた前髪。

 耳元まで隠れた髪は襟足も含め銀色が所々に混ざり、綺麗にまとまっていて。

 隙間から銀の棒状のピアスが顔を覗かせている。


 二重瞼から覗く白銀の目に引き込まれる…。その人が歩き寄りながら語りかけてくる。



「ここは、物語を紡ぐお店だ。売ったり追体験をさせてやれる訳じゃないのさ。さて君を呼んだ物語はどれかな…探してみるといい…なぁに、すぐ見つかるさ」


 すると店主は嬉しそうに、静かに微笑む。



「ゆっくり見て回るといい、君には見えるはずだよ」



 言われるがまま、左右にあった本棚の中にある巻物を1つ1つ見ていく。

 すると右側の四段目、妙に白く光っているように見える巻物があった…。



「え…白い…?」



 当然ながら、初めての現象に驚きを隠せず声が出る。

 それを見た店主が、見つかったようだね。と声をかける。



「手にとって読んであげてくれ、君を御所望らしい。」



 そう声を掛ける顔を見るとやはり嬉しそうだ…。

 巻物には軒先のきさきに書かれていた文字より古いが同じように。


 ―黒急須の中、孤独、我あり―。


 とつづられていた。

 ゆっくりと開いて文字の羅列を読み進めていく。

 それは他から見ると、本屋で長々と立ち読みをしている輩にも似た姿だったのだろうが、

 この物語の世界を巡り始めた僕には、対して気にもならない些細な事だった。



 ○

 ―黒急須の中、孤独、我あり―。


 とある頃から変わった形をした黒急須の噂が、玄人の陶芸家、コアな骨董品収集家だった者の間で噂が立っていた。


(奇怪で怪奇な黒急須が回ってきたら気をつけろ)


 その黒急須を手にした者の周りがおかしくなっていくのだ。

 病に倒れる、死に至る、呪われる、そうゆうありきたりな話じゃない。

 必ず体の一部を持っていかれ、失くすと言う。


 一人は右腕を、一人は左脚を……。

 酷いものになると…首を持っていかれ"帰ってきた"という。




 帰ってきたと言うのは比喩でも何にでもない。

 ここで言う周りの者と言うのは生者じゃなく、そう、死者なのだ。

 周囲の霊と言っても、何処にでも蔓延る無縁仏なら問題もないだろう。


 だが、黒急須が回ってきた人達に憑いている善霊たちだったらどうだろう…。

 守護霊なら守る力がなくなり、先祖なら生きている子供達の中からの記憶が無くなり忘れ去られていく。


 死者側からするとここまで恐ろしいこともないだろう。

 何も影響は死者に限ったことではない。


 後々を辿って生者も病、体調不良に見舞われる。

 まぁそれ以上のことは無いのだけれど、そこから治ることも少ないのだという。


 それも当然のことだろう。

 意識外からの悪意を持って関わってくるクワイたちから守ってくれる術が、もうその人にはなくなるのだから……。


 噂され、畏怖、供養、信仰など様々だが、それも含め【認知】されて初めてその場に留まることができる。


 原因は例の急須に”憑かれている”怪異にあった。


 …黒狐…。


 急須を手に入れた者達にはことごとく、それが見えていた。

 漆を塗ったような艶のある黒毛に、赤黒い眼からは血涙が夥しく流れている。

 何処か物悲しさと憎悪にまみれた尾の腐り落ちた狐が…。


 黒急須が手元に居座った時から、少しずつ姿が見え始める。そして出会い頭に体の一部を喰い裂かれるのだ。

 その身体の一部を加えたまま黒急須にまるで、千夜一夜せんやひとよの物語に出てくる魔神に似て吸い込まれる様に戻っていくのだそうだ。


 そうゆう風に周りを"不幸"不安"不穏"の連鎖に叩き落として【黒急須の怪】は次の宿主を非凡な骨董品店の片隅で探しているのだった。


 その骨董品店の扉が鈍い音を立てて開いた。

 また今日も、懲りずに隠れたまだ見ぬ逸品を探し求めて、物色して回る客の一人がここを訪れる。

 その客は他の骨董品には目もくれず、黒急須の方に最初からそれを目当てに…。


 その価値を、呪いを、知っているかのように。

 薄い笑いを浮かべてスッと前に現れ足を止めた。



「やぁ久しいね。店主、これをくれるかい?」



 たった一言それを言うと黒急須を風呂敷にまとめ入れ嬉しそうに抱えた。



「これはまた滅多に顔を出さない偉く物好き…。

 いや"者憑き"な方が来られたものだ…。

 いいよ、持っていきな。」


「おや?買いに来たんだがね?厄介払いでもしたそうなもの言いだね…。」



「そう言ってるんだよ、纏言衆てんげんしゅう輩様やからさまよ。あなたもその急須の厄介さには気がついているはずだ…。それを求めてここまで探して来たのだろう…。わしゃ厄介払い、あんたは欲しいものが…。これほど【利害の一致】が成り立つこともない。と言うことだ、持っていきな…まいど…。」



 そういうと老店主はニヤリとこちらを見て口角を上げ軽く会釈をし店の奥に消えていった…。


 次に黒急須が外を見たのは巻物が積まれた古書店の一室だった。

 周りの明かりといえば周囲の四本、目の前に1つある蝋燭の火ぐらいで薄暗い。


 その中でこちらを嬉しそうに見ている人間が1人…。

 いや、人間の形を模してはいるが雰囲気、中身はまるで違う、此方こちら側だとしても異質すぎるさまだった。


「見れば見るほど綺麗な漆黒だ。一体何人の身体を食わせたんだい?黒狐よ。」


 そう言葉を紡ぎ纏わせると煙管を吸い、その煙を黒急須に吹きかけた。

 すると黒急須がカタカタと小刻みに震え出し、中から憎悪にまみれた黒狐が飛び出してきた。


 その姿は噂より歪で痛々しかった。

 黒く艶のある黒毛、赤黒く染まった目、そして怨嗟を含み流れる血涙。


 その身体の周りからは黒い毛玉のようなものが無数にポツポツと吹き出物のように落ちている。

 いや、よく見るとそれは全て黒毛の体から這い出た毒虫の群集だった。

 無理矢理出されたようで、店主を今にも襲わんばかりに喉を鳴らして威嚇をしている。



「さぁ、案内してくれないかい?狐様、貴方をそこまで堕とした元凶の中まで」



 その言葉を聞いた黒狐から憎悪が少し霧散したようだったが薄くなった憎悪の隙間から恐怖や怯えが覗き漏れていた。

 ただただ体を震わせながら店主を睨みつける黒狐。その震えは内から這い出る蟲に食わている痛みからか……。

 それとも目の前の異質で異様な輩に対しての武者震いかわからないが…。



「まぁ前者だろうな…」


 店主が呟く。



 すると黒狐の脚に力が入る、ザッ…。

 床の砂埃が舞い散ったと同時に黒狐の姿が消えた。

 バツンッと耳障りの悪い鈍い音がして黒い獣は店主の後ろにいた。


 その口には店主の煙管ごと右手が噛みちぎられていた。

 赤い血煙ちけむりが、右手首から焚き上がって空中に霧散する。

 店主は痛がる様子もなくゆっくり振り返り黒狐を見て嫌に笑う、そして口が動く…。



「流石、と言ったところだね。ありがとう案内しておくれ」



 すると急須が黒狐を封印するかのように空間ごと吸い込み蓋を閉めた。

 店主は急須に視線を飛ばす。その白銀の目から白い炎を纏うように光を放っている。



「さて、煙管は急須の中にちゃんとあるようだね。まぁいくら元は神の使い……。いや堕ちた憑き神といえどその煙管は壊せないがね…。さぁ返して貰うついでに元凶と相見えるとしようか」



 そうして着ている長い黒鳳蝶のカーディガンを左手でひらりと翻すとカーディガンに映る黒鳳蝶が周りを飛び囲い、

 店主は闇より深い黒煙のような靄もやに覆われて姿を消した。


 ○

 黒急須の中で宙に浮いているような煙管の羅宇が臙脂えんじ色に煌々と光出す。

 それにそっと触れる憑き物が1人…。



「おや、えらく騒がしく手荒な招かれ方をするものだね…」



 口角が少し上がる。そこには右手首を食い裂かれた店主の姿があった。

 店主が煙管を右手で持ち直すと羅宇の臙脂色がさらに強く灯り、周りの黒に潜む秘密を絞り出した。


 キリキリキリキリキリ カチカチカチカチカチ ザツン ザツン。


 異音が辺りを取り囲む、そこには狐の体から這い出ていた無数の毒虫が蠢いていた。

 蠍 ぶゆ 雀蜂 蜘蛛 百足 そして…芥虫あくたむし


 常人なら自我、肉体共に削り壊れる程の狂気、狂乱孕はらんだ渦の中。

 店主は周りを見回して感心したように口が動く。



「ほほう、これほどの毒虫をよく集めたものだ。いや、生み出したのか…悪意から。」



 すると光に当てられた蟲達が煮え油に水を放った時のようにバチバチとお互いの身体を擦り鳴らしながら暴れ始める。

 次の瞬間、足元から無数の羽虫が這い上がってくる。

 だが蟲が脚指に触れる直前、|臙脂色の光で姿がはっきりと見える程近づいた時、総じて黄色い焔に包まれ燃え散った…。


 にも関わらず次々にその圧倒的な数で毒蟲達が迫る数に任せて蟲の体に蟲が乗り店主は円球の蟲籠に包まれ消えた。

 数分程蠢く虫籠が惨むごたらしい音を立てて動き回る。


 少しずつ|臙脂色の光が漏れ出る、漏れた光の周りから黄色い焔が燃え立ち、のちに広がって蟲籠自体が燃えて無くなった。

 灯る煙管を持ち楽しそうに笑う店主が立って出てくる。

 その目の前には腕を食い裂いた黒狐が蟲を纏わせて立っていた。


 黒狐の目が揺れる。

 消えたかと思うほど早く高く飛び上から飛びかかってくる。

 その瞬間、煙管から球状に今迄より強い光が周囲に向かって焼き広がった。


 黒狐の噛みつきも弾かれ、周りに蠢いている毒蟲達は全て綺麗に燃えて灰も残らず塵消えた。

 急須の中は狐と店主のみになっていた。

 ドスの効いた唸りで威嚇する狐。店主が語りかける。



「元凶は消え去りましたよ、狐様。後は貴方の神核しんかくに巣食う悪意の残穢ざんえだけです。自分の御身おんみをお確かめください。」



 そういうと店主がパチンと指を鳴らす。店主と狐の間に空気が集まり。

 指で触れると弾け飛んで風が吹き散り、真ん中に姿見が現れた。


 狐の表情が変わる。

 そこには噂の"怨嗟の黒狐"などはいなかった…。

 綺麗な空を染める秘色を少し含んだ美しい白に包まれた身体。


 腐れ落ち無くなっていた尾の辺りからは 九本の長い尻尾が美麗に振り揺れていた。

 まさに面向不背めんこうふはいという言葉が板につく様な姿の白狐がそこにはいた。


 そこに少しの影を落とす部分が1つ…。その眼だった…。

 赤黒く怨嗟を含んだ血涙混じりの眼がまだそこにはあった。

 店主が続ける。



「怨恨が心の臓を蝕んでおられる、その影響が眼に映る。【目は口ほど物を言う】と言うが、貴方の場合は【まなこは何より心を語る】と言う方が些か合っている様ですね。今”採り祓う”ので暫しお耐え下さい…」



 店主はニヤリと笑う。そして白銀の目に青白い靄が包み光る。

 その目が写すは狐の心の臓に蔓延るその悪意だ。


 その心核を一瞥し、煙管の煙を吹く…。薄い口から出た煙は今までの煙とは違っていた。

 様々な怨嗟を重ね合わせた様な黒煙が、揺蕩う事もせず、一直線に狐の顔をめがけて突き進む。

 それが狐の顔から身体に入り込み、元凶の悪意と繋がった時。

 その心の臓を蝕む悪意は怨嗟の黒煙に採り込まれ、煙ごと身体から霧散した。


 白狐の目は綺麗な浅葱あさぎ色をした蒼い宝石が入っている様に輝いていた…。

 いつの間にか周りも白く天界のようだった。



「助かった。礼を言う。」


 白狐が透き通るような綺麗で細い声で言葉を作る。


「いえ、御恩を返した次第ですよ白狐様」


 白狐の首が少し傾き、店主と目が合う。

 店主が嬉しそうに、そして妙に納得した様な顔で笑う。



「疑問が多く入り混じるお顔をなされますね。」



 白狐が店主の内を探ろうと蒼玉にも似た目に光を宿す。

 数秒見つめて白狐が口を開く。



「あぁ、もしやあの時の白銀狼の子か…。狼郡の中でも異質で異様な力を持った子だったのぉ…よく覚えている。まぁここまで大きく歪になった…。深い所までは見えないほどにな…名前は確か…」



「前にもお伝えしましたよ」



 店主が笑う。



「◼︎◼︎◼︎◼︎です」



 白狐の顔に筋が浮かぶ。


「まぁ、いろいろありましたもので。ですが昔あなたの神言珠しんごんしゅに救われた身、その時の御恩を返すなら今かと思いまして。」


 続く。

「なんにせよここは狭すぎる。外に出ましょうか。もうあなたを縛り留めるものもない…」



 と同時に白狐は体の外側から白い砂状になって霧散した。その時には店主も黒に消え入り、姿を無くしていた。

 次に二人、いや二匹、2つの姿は店主の古民家にあった。



「何故、貴方ほどの方が急須の中に?」



「私もよくわからないんだが、他の狐達の怨恨、嫉妬を向けられてな、坩堝るつぼに嵌められ、何処から拾って来たかも定かじゃあない急須の中へ…な……」



 店主の頭を1つの考えがよぎる。


(ただの嫉妬といえども、産み出す元が神使ならそれまた質悪くなる……。あの急須は後からいじられた気配があった。さては……。奴がやったんだろう。)


 思いを馳せて口元が緩む。



「そうですね、貴方を閉じ込めた要因は最期に掛け縛られた文言でしょう。」


 ――黒急須の中、孤独、我あり――。


「言葉には力が宿るとはよく言われます。その文言を紡いだのが神使である狐達ならその縛りは、よほど強いものだ。ですがね」

 店主は続ける。



「言葉には其々特性があるのは貴方が一番分かっているはずだ、白狐様。伏見稲荷の狐は司るものが4つおありだ。―稲穂・巻物・鍵―そして玉。その玉狐の中でもさらに特殊、いや特別という言葉の方が合う、貴方が扱うは言珠」



「狐の中で唯一、稲荷御大神の大御霊の恩恵を珠の形にし、人々へ神託と共に授ける役割を担っていた貴方に、他の狐は嫉妬し、閉じ込め【孤独】の言葉で急須の中に"縛り"つけた…。」



「ですが、【孤独】の特性は"縛り"…。その場所に留める・関わりを断つ。ぐらいしか出来ないはずだ。それが何故、悪意が毒虫化し、体を蝕み、腐り落として惨烈な黒狐に歪ませたのか…。その元凶を、教えて差し上げましょう。」



 店主は全て視えわかっている様だった。



「言葉の差し替え…普通ならできる芸当では無いんですがね。孤独を【蠱毒】に変えた輩がいるみたいだ。名は体を表す、なんて言葉もある通り…。それで貴方は墜ちた…。」


 ―黒急須の中、蠱毒、我あり―。


 「酷く陰惨な文言になったものだ」



 店主は誘うように言葉を紡ぐ。



「蟲の残穢から"視えた"文言を変えたモノ…。お教え出来ますが、どうなされましょう?白狐様。貴方を苦しめた、正体を…知りたくはありませんか?」



 その言葉には救いに混じり、次の陰惨悪鬼を見たいと疼く悪魔が憑いていた。

 白い身体に、力が入り小刻みに震える。



「そ、そうだな…。だが」



 震えが止まる。



「此処で知れば、怨嗟が続く。また堕ちることになる。蝕まれていたとは言え、蠱毒の虫に侵されたくないが為。無差別にわしが贄として奪った霊魂もあった…。」



 店主はニヤリと口を歪ませ喉を鳴らし笑う。


「やはり貴方は変わらない…さぁもうお戻りください、先から視るに伏見の稲荷の大御神おおみかみも首を長くしてお待ちの様だ。貴方の気配は美しく大きい。」



 すると古民家の扉が開き、外には朝露が夜明けから産まれる新しい光を取り込み、辺りを輝き照らしていた。

 店主が静かにささやく。



「まさに"待てば甘露の日和あり"とでも言いましょうか。さぁお戻りください。」



 光に包まれて白狐がこちらを向く。

「あぁ、思い出した…お主の名前…」



 開けた硝子戸に腕を組んでもたれかかり、ニヤリと不気味に、微笑む店主が返す。



「思い出してくれたみたいで、嬉しい限りだ。知りたいものも数知れず、その気持ちは答えを教える……か。今日は星回りがいいと見える。」



 白狐が消え入る前に一言。






「世話になったな…詠狡疑…。」


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