メロンパン日和

フカ

第1話




「落としたでしょう」

パートから帰ってくると、扉の前で呼び止められた。鍵を右手に持ったままで振り返る。左手側の部屋の隣人だった。

私より少し上ほどの歳、きっと三十五歳ほど。よく、黒地に花柄のシャツを着ている男性。

名前は水野だったか水橋だったか、とにかく水がついていた気がする。表札は出ていない。会えばお互い挨拶をするけど、下の名前は知らなかった。

隣人の、伸びかけている前髪から視線を落とす。差し出された手に財布がある。焦茶色をした牛革の長財布。私のだ。

「あれ、そうです。いつの間に」

「階段の下にありました」

「ああ。鍵を出したら落ちたんですね。ありがとうございました」「いえ」

隣人は右手を胸の前で上げた。そして隣の部屋へ消えていく。鍵のかかる音を聞きながら、そうか、運転免許証だな、とやっとわかる。私は財布に免許証を入れておくたちだ。

戻ってきた財布からなんとなく、免許証を抜いて眺める。四年前の証明写真の私は、くくった髪からあほ毛がちょっと多めに浮いている。

浮いたあほ毛を指でなぞると、そうだ、お礼をしないと。そう思い出して札入れ部分をひらく。おや、と首を傾げる。五千円札がなくなっていた。さっき帰りに万札をくずして、電気代をコンビニで払い、確かに受けったはずなのに。

なんてことだ、と、手間が省けた、の、いいんだかわるいんだか、が交差して、まあいいか。私はそっちに軍配を上げて、鍵を回して扉を開ける。


部屋に入ると、こもった熱気が見えるようだ。行き場をなくしてむわむわと浮かぶ熱のかたまりをかき分けて、窓を開けた。この部屋は風の通りはいい。

リビングと、寝室と、寝室とリビングを隔てる引き戸を開け放つ。すぐそこにある田んぼの、青い香りが入ってくる。

すっかり乾いているだろう、洗濯物を取り込みにいく。ベージュのベランダサンダルのなかをのぞき込む。いない。と思いきや、顔を上げた鼻先にあるタオルにくっついていた。

よくもここまで登ってくるものだなあ、と思う。

四センチほどの雨蛙が、紺色のタオルにくっついていた。

二階だから、タオルからそっと引きはがして、室外機の上に行ってもらう。この物件はなぜだか、室外機がベランダの中にあるのだ。洗濯物を干したままで、エアコンをつけてしまうと排気風がぜんぶ、洗濯物に当たる。仕方がないけど、それはちょっと好きじゃない。

室外機の日よけのために立てかけてある木の板で、熱は遮断されるはずだけど、薄いくるみの木板に触れるとずいぶんとほかほかしていた。

右手に蛙を乗せたまま、私は室外機の隣に置いたペットボトルを足で挟んでふたを開け、木板へ流す。すっと濃くなった色の部分に蛙を置いた。

蛙は、ちまちまと身じろぎをしたが、濡れた木目の上に落ち着く。

「世話が焼けるねえ」

田んぼの水はお嫌いですか。話しかけて、階下の水田をほいと見やるとカラスが二羽、水面をつついていた。


ここに越してきて二年たつ。二年前、直輝なおきの転勤と、私のアルバイト先のレストランがなくなったのが重なった。同県の、車で二時間弱の距離だから、何かあっても気軽に帰れる。機会が重なり、私たちは一緒に暮らすことにした。

今まで実家でのらりくらりと暮らしていたから、父も母も、まあいいんじゃない。そう言う。私はほっとする。特に母には、しぶい顔をされると思っていたけれど、不思議と大丈夫だった。五年ほど付き合っているのに、なにも変化のない私たちが気にかかっていたのかもしれない。

引っ越しが終わり、家の体裁を整えたあと、ひと月ほど私はゆっくり無職を楽しんで、パートを始めた。コンビニエンス・ストアの食べ物をつくる食品製造工場。徒歩で行けるほど近くにあったし、私はコンビニの食べ物が好きだ。お弁当、サンドイッチ、シュークリームに惣菜パン、菓子パン。毎日のように新しい商品が出てくるので、なかなか忙しないけれど楽しい。社販と、なんと社食もある。毎日しなければいけない食事が、かんたんにこなしていけるのはとてもありがたかった。


洗濯物を抱えて部屋に戻ると、とりあえずそのへんに置いた。着ていたTシャツとスラックスを脱ぎ、上下セットの生成りの部屋着に着替えた。ショートパンツはとっても楽だ。もう今年で三十歳になるけれど、布が脚にまとわりつくのが好きではないのでしょうがない。

蛙がついていたタオルはよけて、洗濯物をたたむ。

肌着、靴下、ブラトップ、それぞれをそれぞれにたたんで、寝室にある衣装棚にしまう。タオルは、洗面所にある衣装棚にしまう。直輝の下着類もここに入れた。

鏡の前で伸びをして、のぞき込む。目の下にうすいしみ。前で分けてくくった髪。右、左、まえ。向きを変え、私は私の顔を眺める。まだ、不思議だなあ、と思う。鏡の前では元気そうに見える。

つい、子どものころを思い出す。運動会や、遠足や、行事のたびに撮りためられる写真の私は、いつもあさってを向いていた。空を見ていたり、砂を見ていたり、頭がかゆそうにしていたり。写真のなかの私を見ても、私はそれを自分なのだとあまり思えなかったな、と思う。いつも、誰かしらこの子は、と思えば私で、あら楽しそうに食べているわね、と思うと私だ。母もよく、長方形の枠のなかで、そっぽを向いた私を眉間に皺してつまらなそうに眺めて、あんたは写真に興味がないね。と残念そうにしていた。

ふ、とさっき受け取った免許証を思い出す。更新のたび、穴のあいたいらなくなった免許証を、なんとなく捨てないでいる。あまり変わっていないような、いやきちんと歳を取ったような、私のような私が仏頂面でうつるそれをたまに眺めるのが好きだ。


私は鏡へ向かってピースして笑うと、寝室に戻る。

化粧は眉毛と日焼け止めだけだから、顔をウエットティッシュで拭き、くくった髪をほどいて自分のベッドにもぐりこむ。私の匂いのはずなのに、布団と合わさるといい匂いになるのはなんでだろうね、とよく思う。

今日は直輝は飲み会だそうだ。何時に帰るかはわからない。仕事終わりをこまめに連絡する、という習慣はないのだと、本人が言っていた。これが結構困った。日をまたぐときもあったから、連絡をくれるように頼んだけれど、習慣を変えるのは難しかった。同じことを何回も言うのも、空気にひびが入りやすい。そういうものなのだ、と、飲み込む。結果、私たちはマットレスを別にした。

寝室は一部屋だけだから、衝立で区切ってあるだけだけれど、リビングには直輝のゲーム機やパソコンがあるので、こちらの部屋は主に私が使っている。ベッドの中で右に向けた首の先に、私の机と、棚と、そこに飾られるもろもろが見えた。

窓をめいっぱいあけたまま、私はうつぶせになって眠る。ベランダは独立している造りだし、二階で、田舎でよかったなと思う。初夏のうすあたたかい風が、頰や髪にさらさら過ぎていく。



:⁠-⁠)

「おはよーう」

衛生ネットにはみでた髪を押し込めていると、えっちゃんが背中を叩いてくる。

「ぎりぎりだねえ」振り返ると、えっちゃん、一原枝津子いちはらえつこが、ロッカーにショルダーバッグをめりめりと入れてドアを閉めた。かがんだえっちゃんのつむじがくるくるしている。

「今日メロンパンだって」作業服に着替えながら、えっちゃんが得意げに言う。

「え、やったあ」「楽しいよねメロンパン」「うん。楽しい」

工場は、日によって割り当てられる作業が違う。難しいことは、社員の人や長いパートの方がするので、当日の説明をよくよく聞けばすぐにこなせる。

メロンパンの作業は、私とえっちゃんのお気に入りだった。

靴も履き替え、ネットの上から衛生帽をかぶって、姿見の前できっちり髪を入れなおす。作業服にコロコロをかけてほこりをとる。そうしたら、手洗いにいく。洗う時間が決められていて、そのなかで、これもまた決められた順番通りにきちんと洗う。

洗った手をくるくる返して点検する。手に怪我や傷があると、その日の作業はできない。

ラテックスの使い捨て手袋をして、アルコールで消毒し、部門ごとに整列してその日の作業の説明を受ける。終われば順に除菌室を通る。細かい霧が私たちを清潔にして、送り出す。準備万端だ。


九時の始業で作業所に入り、私とえっちゃんはメロンパンのレーンを挟んで向かい合う。わきに置いてある、アップルパイの表面みたいな、金属でできた大きなハンコ、みたいな、そんな道具を手にとって、レーンをずんずん流れてくるメロンパンのパン生地に、両手に持った件の道具を押し付けて、あの格子状の模様をつくる。

これは、なかなかに力加減が難しいのだ。でも私とえっちゃんはだいぶ場数を積んでいる。むにゅむにゅ、もう何回やったかわからないこの、メロンパンをメロンパンたらしめる作業を、私とえっちゃんは完璧に近い力加減とスピードで粛々とこなしていく。

クッキー生地に覆われた丸いパン生地がメロンパンになるたび、リクガメ、ゾウガメ、アカミミガメ、と、私は亀を思って遊ぶ。初めてカメロンパンを作った人は、ずいぶん優しい人な気がする。

ゼニガメ・クサガメ・スッポン、いやスッポンはちょっとちがうな、カミツキガメに、アカミミガメに、そうだな、ウミガメ。ウミガメもちょっと模様が違うかな。

亀が飼いたいな、と思う。一回でいいから、お祭りの夜店のかめすくいをやりたかったな。

ちいちゃいアカミミガメたちが、金魚すくいの水槽をすいすい泳ぐ。甲羅の匂いがする。金属の持ち手を付けられた頼りない最中の皮で、アカミミガメの子どもをすくう。何匹か、背中にお札をくくられているのがいたなあと思い出す。流れてくる仕上げ前のメロンパンが、最中の皮にぼんやり見える。


そんなことをしていると、ブザーが鳴ってお昼になる。ちょうど、流れてくるメロンパンの生地の在庫も終了だ。

私たちはおつかれ、と言い合って、社食に向かう。二百五十円の日替わり定食が、アジフライだったからそれにした。えっちゃんはしょうゆラーメンだ。

定食は簡単なもので、主菜、サラダ、お味噌汁にご飯、だから、すぐにできあがる。私たちはそれぞれお盆を抱えて席につく。

いただきます、と言った瞬間、頭上から同じパートの三田さんが話しかけてきた。

「あらラーメンにフライ? 豪華ね~」

三田さんのお盆には、いちばん安いうどんのどんぶりが載っていた。

私とえっちゃんは無言で微笑みを返す。そうすると、三田さんはつまらなそうにいなくなる。相槌を打ってしまうと長いのだ。いまはお昼ごはんが食べたい。

えっちゃんがやれやれ、みたいな顔をして、湯気のたつしょうゆラーメンを食べ始める。


午後はえっちゃんは出荷の仕分け、私は冷やし中華の盛り付けだった。えっちゃんは仕分けも好きだ。パンやお弁当やプリンなどが、綺麗にぴしっと揃ったところが好きらしい。

えっちゃんを見送って、私は一度上着を脱いでお手洗いをすませた。もう一度朝の手順を繰り返し、私も作業所にもどる。

それから就業時間の五時まで、私はプラスチックのくぼみに、刻んだきくらげを詰め続けながらくらげのことを考えていた。



「今日はこれからあいてる?」更衣室で着替え終わったえっちゃんが、無事にきくらげを全て詰め終えた私に言う。

「大丈夫だよ」今日は洗濯物はない。私は髪をくくり直しながら答えた。

「じゃあファミレスいこう、割引券がある」

「えっ、やった。なんの?」

「オムライス」

「さいこうだね」私たちはふざけて、両手の親指をにゅっと立てる。


歩いて十分ほどのところに、チェーンのファミリーレストランがある。私たちはパートが終わると、月に何回かここで喋りながら、夕食をとる。

「ほんとはうちにも来てほしいんだけどな」

深緑色の自転車を押しながら、道の途中でえっちゃんが言う。えっちゃんはひとりぐらしで、最近はカレーにはまっていて、しかし作ると量ができるから、お腹に入れるのを手伝ってほしいそうだ。

「そうだねえ。でもえっちゃんち遠いんだよねえ〜」「わかる~」「反対方向〜」「しのぶの家まで小一時間〜」「あはは」「なんで・職場に・ないの〜」「冷蔵庫だね」「うはは」

ろくでもないような話をすると、徒歩十分はあっという間に過ぎていく。絶え間なく車が走る国道沿いに、オレンジ色の光が見えた。


レストランに入ると、けっこう賑わっていた。水曜日なのに珍しいなと思う。ふたりがけの席を選び、割引券の番号とオムライス、ポテトフライ、ドリンクバーをタブレットで注文すると、えっちゃんが先に席を立ち、飲み物を取りに行く。

「悠はジンジャーエール?」「うん」「おっけ」「ありがとう」えっちゃんがピースする。

木目調のテーブルに置かれた、季節のメニューをよけて片した。すだちうどん、という文字と、輪切りのすだちに覆われたうどんの写真が載っていた。

えっちゃんがもどってきた。右手にカルピス、左にジンジャーエールを携えて、歩くとグラスがからから鳴った。

私は鞄からストローを出す。紙のストローは苦手だ。

えっちゃんが席についてすぐ、ポテトフライが運ばれてきた。細長い、ソース二種類つきの揚げじゃがいも。私も好きだけど、えっちゃんはかなりこれが好きだ。早速つまんで口へ運ぶ。

「今日は何の話する?」私が尋ねる。

「そうだな〜、すべってる話しよっか」

「わあ、やだなあ」

「よりすべってるほうが勝ち」

「なるほど」「じゃあ悠からね」「言い出しっぺじゃないんだ?」「そんなルールは、ない」「やだなあ〜」「ではどうぞ!」

うーん、と私は首をひねって、すべってる話を掘りだそうとした。すべってる話かあ。みじめな話ではなくて。

うんうん、と考えて、ちょっと店内を見回した。

ふたつ向こうの、女性ふたりが座るテーブルに、化粧ポーチが置かれている。

「あ」「お、なんかあった?」

「うん。あのね、中学生のときに。手芸が趣味の子がいてね」

「ふむ」

「その子が誕生日だからって、化粧ポーチかな、手作りしたポーチをくれたんだよ」

「ほう」

「それがね、すごくて。ちゃんとファスナーも、こう。なんでしょう、ちゃんとねついてて。きちんと。売り物みたいだったのね」

「あ~」

えっちゃんが、察した、みたいな顔をした。

「うふ。そうなの。私は『こんなの作れるんだ』って言っちゃった」「うわああ〜」

えっちゃんが、まさに、『うわああ〜』というように、目をつむる。

「あれだね、君が言いたかったのは、『こんなすごいものが』『手作りで』作れるんだ、だね」

「そうそう」

「でもあれだね、件の彼女はきっと『あなたに』『こんなすごいものが』作れるんだ」ってとったよね」

「そうなのよ」私は苦笑いをして、ストローに口をつける。ステンレスのストローのなかを、ジンジャーエールが伝ってくる。

「その子はねえ、ぬいぐるみを作るのが好きで。ポーチを見たのはそれが初めてだったんだよね」

「うわあ、深刻」「そう。だから余計に、悪いことした」

私はストローへまた口をつける。ジンジャーエールがぱちぱち、舌の先にちょっとだけしみる。


ストローから口を離すと、鞄のなかでスマホが鳴った。電話だ。眉間をよせる。えっちゃんを見る。えっちゃんは、無言で右手を立てた。画面を見ると母だった。眉がさらに寄る。でもそのまま通話のアイコンを押した。

「もしもし」

『あら、なあに、うるさい」

「いまファミリーレストランにいるの」

『外食ばっかして。なに、直輝さんといるの』

「友達だよ」

『あんた友達なんていたのね』

「ありがたいよね」

『あんたつぎいつ帰ってくるの』

ここでオムライスが到着する。小さく手を上げ、会釈をした。

「お盆はちょっとわからないから、過ぎあたりかな」

『まあ。盆も休めないなんてねえ』

「まあ、そんな感じ」

『そ。わかったじゃあね』

「じゃあね」

画面を指ですっとなぞって、電話を切った。ごめんね、とえっちゃんに言うと、なかなかだね、と返ってきたので、つい吹き出した。

「まあ、そうね」「友達?」「うん?」「わたくしは、悠の、友達」「ああ、そうだよ」

「友達甲斐のあるやつだぜ」

「あら、うれしい」

私はちょっと照れくさくなり、へら、と笑った。えっちゃんもへら、と笑って、無言の微妙な間、ができる。恥ずかしいので話題を変えた。

「えっちゃんはなにかある?」

「お、それを待ってたんだよね」

えっちゃんは、口に運んだオムライスを飲み込んだあと、名前、と言った。

「名前?」

「そう。名前。わたしの」

「枝津子?」

「そう。枝津子ってさ。シワシワネームじゃん」

えっちゃんが、外国の男の子みたいに、唇を開きいっ、とした。私は笑ってまたエールをすする。

「まあ、否定はしないよ」

「でしょ。いいよなあ〜悠はさあ〜名前がおしゃれでさあ」

「シノブもちょっとシワシワしてない?」

「してない」「きっぱりしてるなあ」

「じゃあえっちゃん、いい名前とは?」

「凪とか」

「なぎ」

イツキとか」

「ふむ」

文緒ふみお?」

「なんか、ぜんぶ漫画のキャラクタだねえ」

「ばれた?」

「ばれるよ。みんなえっちゃんが貸してくれたやつだよ」

「どれが一番好きだった?」

「えっと、文緒ちゃんが出てくるやつ」

「じゃあ文緒にしよう」「あはは」

スプーンに乗せたオムライスを口もとからお皿にもどす。えっちゃんが、それだ、みたいな顔をするのでおかしかった。

えっちゃんがポテトをつまみ、私はスプーンを口もとに戻して、しばし口を閉じたあとに聞いてみる。


「でもじゃあ、ふみちゃんて呼べばいいんじゃない? あだなとして」

「わかる。でもさあ、聞かれるじゃん。三田みたさんとかにさ。なんで?って」

「あー」

「枝津子って名前がシワシワしていて嫌なので文緒にしたのでふみちゃんになりました、なんて言えないじゃん」

「そうねえ」

「あ、でも樹なら大丈夫じゃない? 一原も、イツキ

もいっちゃんだよ」

「じゃあいっちゃんて呼んでみ?」

「いっちゃん」「どう?」「うーん、なんかしっくりこない」「ふむ。じゃあえっちゃん続投だね」「ふりだしだなあ」

ふたりで笑うと、グラスの氷がからから、といっしょに鳴った。


ポテトとオムライスを平らげて、会計をしてレストランを出ると、ぬるい風が吹いていた。じゃあ、じゃあ、と声をかけ別れて、自転車に乗ったえっちゃんの背中を見送った。

くるりと向きを変え歩き出す。車の免許は持っているけれど、歩くほうが好きだ。ちょっとの距離ならできるだけ散歩がてら歩きたい。

少し坂になっている国道沿いを歩きながら、前に、妹ににてる。えっちゃんが私に、そう言ったのを思い出す。

人付き合いが苦手な私でも、ここのパートに入ったすぐから、私のひとつ下のえっちゃんはとても仲良くしてくれる。一度、あれはパスタサラダに乗せるフィルムが一枚一枚、うまく手に取れなくて、レーンを止めてしまいまくってだいぶ落ち込んだ日のことだ。

その日もあのファミレスにいて、ジンジャーエールをすすっていて、頼んだドリアがなかなか来なくて、ぺちゃんこになりそうだった私はつい口走る。

私といて、えっちゃん楽しい?

言ってから、思ったよりも沈んだ声が出てきてびっくりしたな、と思う。自分の声に驚いていると、えっちゃんが間髪入れずにえっ楽しいし、と言った。

なんで、と私が聞く前に、妹に似てる。悠。えっちゃんは、少し目を伏せてそう言った。

声が優しかったから、きっと嘘ではないと思う。それでも私はなんとなく、ああ、と思って、うれしい。そう返す。嬉しかったから。

次に口を開いたとき、えっちゃんは妹さんの話ではなくて、デザート食べない? と言ったから、食べる。そう返して、ふたりで小さいいちごのパフェを、それぞれ頼んで一緒に食べた。


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