第10話 ギリギリ
アークから受け取ったビンの蓋を開けると、むせかえるような臭いが鼻をついた。
先ほどは少し離れた位置にいたから耐えられたが、こうやって直に持つ距離だと、臭いだけで意識が飛びそうになる。
魔力回復ポーション独特の臭いだと理解しつつも、身体がそれを拒絶する。
想像以上に効果の高いものに違いない。
ハイポーションと呼ばれる高級品だと思っていたが、噂に聞くエクストラポーションの類なのだろうか。
もしそうなら、一滴ですら自分には強すぎるかもしれない。
マリーは手にしたポーションのビンの口に付着した液滴を舐めるように口へ運ぶ。
瞬間、枯渇していた魔力が全快するのを感じた。
そして襲う筆舌しがたい不快な味覚。
魔力回復ポーションは、効果が高ければ高いほど悪臭と強烈な味が強くなることで知られている。
マリーの舌に感じたソレは、想像のはるか上をいっていた。
生き物や鉱物などに多かれ少なかれ存在する、魔素と呼ばれるエネルギー。
まだまだ謎の多い魔素だが、魔力回復ポーションの原理は、服薬による強制的な魔素の吸収だ。
吸収と合わせて魔素を効率よく魔力に変換する作用も持たせてある。
魔素を吸収すること自体は、身体能力の向上、脳の活性化、魔力の上昇など、有益なことが多い。
しかし、ある学者によれば、それは本来の生物の成り立ちからすると不自然な出来事だという。
それゆえ、魔素を肉体に取り入れる際には、脳は防衛本能により不快感を発する。
魔力回復ポーションにおいては、その不快感が臭いであり、味であった。
一方で肉体に備わる許容値に比べて影響が少なければ、不快感も比較して小さくなる。
魔力回復ポーションも例に漏れず、身に宿す魔力の総量が多ければ多いほど、効果の高いものを口にしても気にならなくなる。
逆もまた然り。
口にした魔力回復ポーションは、マリーにとっては毒をあおったのと同じに思えた。
表情ひとつ変えずに、まるで水のように飲んだアークを思うと、恐ろしささえ感じた。
意識が飛びそうになるのをなんとかこらえ、懐から先ほどアークから借り受けた水筒を取り出す。
蓋を開け、逆さにすると止めどなく水が流れ出た。
魔術を操作し、水を冷気で包む。
パキパキと音を立て、鋭い氷の矢が数本中に浮かんだ。
――思った通りね。魔術を操れば付随して物体も動かせる。
初めての試みだったが、狙い通りの結果に、マリーは口角を上げた。
「バンプ! 下がって!!」
先ほどと同じ言葉を叫ぶ。
声に応じて後ろに飛び退いたバンプの目の前を、氷の矢が飛ぶ。
勢いよく襲いかかった矢は、その内二本がシルバーウルフに突き刺さり、先端を赤く染めた。
「なんだよ。ここに来て、実はまだ実力を隠してましたってのか!? 勘弁してくれよ!」
「冗談言わないでよ! たった今編み出した技なんだから。まだ撃てるわ。隙を作って!」
「分かったよ! だが、もし出来るなら、もっとデカい一発を作ってくれ! この程度じゃ、何本当てても決め手になんないぞ!」
バンプの言うことはもっともだった。
冷気が氷という実体を持ったことで、シルバーウルフに傷を付けることができた。
しかし、シルバーウルフの分厚い毛皮は魔術だけではなく、物理的なダメージからも身も守る。
氷の矢が何本刺さっても、バンプが与えた傷同様、シルバーウルフの動きを止めるほどの効果は期待できない。
「やってみる! 時間をちょうだい!!」
「ったく! やるならもっと早くやるべきだったな! 俺も人のこと言えたもんじゃないが。そんなに長い間持たないぞ!」
「分かったわよ! 最大のをお見舞いしてやるわ!!」
再び水筒を逆さにする。
流れる側から冷気を纏わせ凝固させていく。
そのまま出来ていく氷を天井近くまで持ち上げた。
シルバーウルフにぶつける際に、少しでも速度を稼ぐためだ。
氷はすでに矢や槍といった範疇を超え、柱と呼べるような氷塊になっていた。
これだけ大きければ、質量的にもシルバーウルフの息の根を止めるのには十分だろう。
問題はどうやって命中させるか。
マリーにはこの氷を精密に操作する術がない。
せいぜい直線的に飛ばすのがやっとだ。
避けられればそれでお終い。
回復した魔力はほとんど使い果たし、再度魔力回復ポーションを口にして、意識を保っている自信もない。
勝負の機会は一度だけだ。
「マリー! まだか!?」
バンプが叫んだ。
時間稼ぎもそろそろ限界なのだろう。
横に立つアークを見る。
ここまで来ても、何を考えているのか全く分からない。
水が溢れ出す水筒。
魔力回復ポーション。
そして実際の水を使った魔術の応用。
全てアークにお膳立てしてもらったものだ。
まるでこうなることが予め分かっていたかのように思える。
そんなことが常人に可能なのだろうか。
ありえない。
ならば、アークは常人たり得ない。
そんなアークが助言以外の行動を起こさない意味とは?
試されている。
それ以外に考えられる答えが見つからなかった。
廃坑に現れたのも偶然ではないのだろう。
「バンプ! 準備はできたわ! ただ、当てられるか、正直自信がないの!」
正直に叫んだ。
ここで失敗しても、アークの力でなんとかなるかもしれない。
だとしても、落第の印は免れないだろう。
アークは試しているのだ。
自分のものとなった臣下たちの実力を。
なぜ手始めが自分たちだったのか分からない。
がむしゃらにでも縋り付くには、十分な理由がマリーにはあった。
ランディのために働く。
不気味ともいえるアークの実力の片鱗を見せつけられた今でも、マリーの忠誠心はランディに向けられていた。
ランディに見放されれば絶望はするが大人しく身を引く覚悟はある。
しかし、アークの判断で今の職を失うのは許されることではなかった。
「分かった! タイミングを言え! 俺が合わせる!!」
「合わせるってどうやって!?」
「俺がシルバーウルフを狙いの場所に誘導してやるって言ってるんだ! 早くしろ! もう限界が近い!!」
「分かったわよ! いくわよ……今!!」
マリーは出せる速度ギリギリで、空中に止まらせていた氷塊を飛ばす。
真っ直ぐに飛ぶ氷塊の着地点に、バンプが躍り出た。
わざと隙を見せるバンプに、シルバーウルフは狙いの一撃を繰り出す。
それを初めから見越していたバンプは、大きく後ろに飛び退けた。
ガシュッ!!
シルバーウルフが着地したのと、氷塊がその身体を貫いたのはほぼ同時だった。
氷塊によって地面に縫い付けられたシルバーウルフは、ピクリとも動かず、息絶えた。
「や……やったぁ! やったわ!!」
「ふぅ……ギリギリだったな……もう動けん」
強敵をなんとか葬った安堵に、マリーとバンプはその場で腰を下ろした。
体力的にも気力的にも限界が近かった。
しかしその心には、充足感が満ちていた。
そんな二人に、軽い調子の声が放たれる。
「いやー良かった。なんとか、倒せたね。お疲れ様。それじゃあ、急いで帰ろうか。もう随分と日が暮れちゃってるから。パメラが怒ってないといいけど」
マリーとバンプの心は、不満と怒りの感情に塗り替えらえた。
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