第36話 100年は長いです

「ギルフォード殿下…」

「久しいな。今日はやけに綺麗じゃないか。やはりあの時、無理にでも婚約者にしておけばよかったな。そうすれば、僕が王太子だったかもしれなかったのに…」

「……」

 じりじりと近づいて来るギルフォード殿下を避けようと、ゆっくりと後退しながらギルフォード殿下を見る。彼の表情は何も感情を感じさせず、何を考えているのか分からなかった。それにこの場所は何故か血生臭い匂いがした。どう考えても嫌な予感しかしない……

「あの、ギルフォード殿下…今は離宮にいると聞いていましたが…」

 更に後退しながら、どうしてここにいるのかを問う。本当は聞きたくない、はっきり言って怖い…

「ああ、それは、」

 ギルフォード殿下の顔がにやりと歪んだ気がして、ハッと地面を見た。血の匂いの正体…

「これ、黒魔術の、魔法陣…?」

「ほお、黒魔術を知っているのか。クリスティーヌは勤勉なのだな」

 慌てて魔法陣から出ようとしたが、何かの壁のようなものに阻まれて魔法陣から出られない。嫌な予感に背中を冷たい汗がつたっていく。

「聞きたくないのですが、一応、この黒魔術はなんのために…」

「本当はアルバートに使うつもりで、機会をうかがっていた。そこにクリスティーヌが現れたから、急遽計画を変更することにした。君を失った時のあいつの顔が見たい。痛くも苦しくもないから安心してくれ」

 全然安心できないフレーズに、心臓がどくどくと嫌な速さで音をたてた。黒魔術自体禁術なのだ。碌な魔法ではないはずだ。マッタン王国に留学していた時、ミリアンナ様におススメされて受けた授業が黒魔術理論だった。乙女ゲームにも黒魔術が出てくるから念のため、と言っていたけど、今から役に立つかは分からない。

 黒魔術は獣の血を使って魔法陣を描き、対価を捧げて相手を呪うことが多い。人命を奪うものが多いため、現在近隣諸国は、黒魔術自体を禁術指定して使用を禁止している。

「あの、ちなみにこれは何を呪うのですか?」

「そんな怖いものではない。100年眠るだけだ。呪われた者は時間が止まり100年眠る。対価は僕の命だ」

「は?ギルフォード殿下の命…それって死にますよね?」

「ああ、そうだ。僕は死をもって復讐する。なにが真実の愛だ。ジョセフィーヌもミリアンナもシャーロットも、皆僕を裏切った。アルバートにだけクリスティーヌがいるなんて、不公平だと思わないか?」

 一切思いません、とは流石に言えないので無言で思考を巡らせる。黒魔術の破り方、授業で習った事を必死に思い出す…

「100年眠る呪いって何故そんなことを?」

「復讐だよ。真実の愛があると言うなら、アルバートはクリスティーヌが眠っている間どうする?100年待つのか?愛なんて綺麗ごとで、王太子が死ぬまで眠り続ける婚約者を待てると思うか?」

「それは…わかりません。でも、それを見届けずにギルフォード殿下は対価として命を使うのですか?」

「見届けなくてもわかるさ。あいつはお前を捨てて新しい妃を娶るだろう。王太子の義務だからな。所詮愛なんて言ったって、その程度のものなんだ。それを思い知ればいい」

 ギルフォード殿下の虚ろな目は、最早私を写していなかった。ギルフォード殿下は、自身の腕にナイフを突き立て、魔法陣に血を捧げようと大きく腕を振り上げた。

「ああ、もうっ神様、最後のお願いです!何とかしてください!!」

 黒魔術の打ち破り方は、何通りか思いついたが、どれも黒魔術が成就しない時点で術者であるギルフォード殿下は死ぬことになる。それではだめだ。


「ほうほう、最後の願いかのう。どうしたいのじゃ?」

 緊迫感のないのんびりした声が頭上から聞こえる。ギルフォード殿下は腕を振り上げた状態で止まっている。

「ギルフォード殿下を死なせずに、私も黒魔術を回避できませんか?」

「回避は出来るが、術者を死なせないとなると、無理じゃのう。既に術は発動しておるし、術が失敗すれば術者が死ぬ、術が成功しても術者は対価で死ぬのう」

「そこを何とかできませんか?例えば、100年眠るという発動条件を書き換えて、術者も死なないように出来ませんか…」

「ふむ、そうなると術は発動して、お前さんは何年か眠ることになるぞ。例えば100年を10年にして負担を減らし、術者が死なぬようには出来そうじゃが、それでお前さんはいいのかのう?最低でも10年は必要じゃぞ。その男が言ったように婚約者は10年であっても待たないかもしれんのう」

 確かに17歳のアルバート様が10年待てば27歳。15歳の私の時が止まって10年後に目覚めても15歳。王太子の義務として誰かと結婚しているかもしれない。それに10年後に目覚める確証もない。

「それでも、ギルフォード殿下を見殺しにして助かっても、私もアルバート様も幸せにはなれない気がするんです…」

「わかったのじゃ、では、魔法陣の術式を変更するのじゃ。すぐに術は発動するぞ」

「あ、少し待ってください」

 私は慌てて左手の薬指から契約の指輪を外して握りしめた。これで、アルバート様はいつでも婚約破棄できるだろう。10年待って欲しいなんて、そんなこと思っちゃダメだ。

「お人好しじゃのう。それも愛かのう」

「愛ではないです。これは私の我儘ですから…」

 ごめんなさい、アルバート様。私のエゴであなたを悲しませるかもしれません。どうか私が目覚めるまでに、幸せになっていてください。

 魔法陣が禍々しく赤く発光して浮き上がる、その中に虹色の光が混じる光景を見ながら、私の意識はだんだん遠のいていく。10年か、長いな…

「クリスティーヌ!!」


 滲む視界に、大好きなアルバート様がドアを蹴破る姿が見えた。溢れる涙でちゃんと見えないのが残念だと思いながら、私は最後の力を振り絞って微笑んだ。

「アル…バート…さ、ま…」

 愛しい人の名前を呼んだところで、力尽きて私は意識を手放した。

 100年よりはかなり短い、でも10年は結構長い、どうかちゃんと目覚めますように……

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