第9話 sideアルバートの思惑(腹黒)

 不安そうにこちらを見るクリスの細い手を安心させようと握り込んだ。クリスが成人したらこの国を出て留学を希望しているのは知っている。

 学園長は渋ったが、当分の間、クリスが聖女であるということの公表も止められた。何処からか情報が洩れなければ、当分は平穏に学園生活ができるだろう。


 10歳の時、お茶会で彼女と出会い契約婚約をして、5年間ずっと彼女を見てきた。最初は怪しい奴だと疑っていた。成人したら婚約を破棄して、自分は隣国に行きたいから、今、第一王子と婚約するのは嫌だと必死で頼む8歳の少女。見目もいいし、地位もある兄上の婚約者のどこが不満かと思ったが、彼女は兄上の女癖の悪さを何故か知っていた。

 私に何のメリットがあるかと聞けば、8歳とは思えない条件を提示してきた。何より兄上にハニートラップまで仕掛け、婚約者に内定する危機を回避してみせた。可憐な容姿に似合わない豪胆さが面白いと思った。

 事故が原因で男性に恐怖を感じるようになったそうで、男性に接触しては体調を崩すクリスを庇うようになったのは自然の流れだった。羽の様に軽いクリスは、このまま消えてしまいそうな儚さがあった。庇護欲がわかないわけがなかった。


「アル兄様はクリスを手放す気なんてないのでしょう?それに見た目もアル兄様の好みで、庇護欲をそそる可憐な姿だもの。素直にアル兄様を信じているクリスが可哀そうだわ」

 事情を話した妹のキャサリンに呆れながらそう言ったが、その通りなので反論はしなかった。いつの間にか彼女が心の中まで入ってきて、今では手放すなんて考えられなかった。

 留学するのが夢でも、隣国に永住なんてさせる気はなかった。だから今は、契約としてでも婚約者として隣にいて、クリスを優しく甘やかし、私に落ちてくるのを待っているところだ。

 成人するまでじっくり時間をかけて、私なしでは生きられないようにしようと思っていたのに、まさか彼女が聖女だなんて…


「兄上が知ったら今度こそクリスを自分のモノにしようとするだろうな、勿論阻止するが…」

「え……?」

 どうやら声に出してしまっていたようで、隣を歩いていたクリスがびくりと肩を揺らした。学長室から退室して、馬車まで送ろうとしていたのに、つい自分の思考に入っていたようだ。

「大丈夫だよ、君の婚約者は私だ。兄上が表立って君を手に入れることは出来ない。ただ、強行突破で無理やり君を手に入れようとする可能性もある。一人で行動しないようにして欲しい」

「はい…」

 不安そうに瞳を揺らすクリスを思わず抱き寄せたかったが、グッと耐えて励ますように微笑んだ。

「大丈夫、私が必ず守ってみせる。兄上からも、聖女に群がろうとする輩からも」

「お気遣いありがとうございます。成人するまで、どうかよろしくお願いします」

 丁寧にお礼を言うクリスに心の距離を感じ、ショックを受けた心をグッと押さえつける。

「ああ、そうだな。まだ先は長いけど、よろしく頼む」

 平静を装って何とか馬車に乗せて見送ったが、可愛いクリスを今すぐ契約上の婚約者ではなく、本当の婚約者にしたくてたまらなくなった。

「まだ駄目だな…もっと君を私なしでいられなくするにはどうしたらいいだろう?」

「こわ……怖すぎですわ」

 ポツリと呟いたつもりだったが、後ろから来た妹に聞かれていたようだ…

「そんなこと考えずに早く告白すればいいではありませんか。一応婚約者なのですし」

 キャサリンが半眼でこっちを見るが、こっちにもいろいろ思うところがあるのだ。そっとしておいて欲しい。

「体調を崩して倒れるクリスを抱き上げたいからと、騎士団に混じって訓練しているのですよね。クリスだってアル兄様のこと、満更でもないと思いますわよ」

「それは内緒だと…まさか言ってないよな?」

「言いませんわよ。クリスは一応アル兄様のことを尊敬しているのですよ。夢は壊せないですわ」

「そうか、尊敬か…」

「あら、不満ですの?尊敬以上の感情が欲しいなら、告白するしかないのでは?」

「まだ早い」

「遅いくらいだと思いますわ。小さい頃から可愛いクリスですが、13歳になって更に女性らしい美しさまで出てきたのですよ。学園でも彼女の魅力に気づく者が現れて、すぐに人気になりますわ。今までは病弱を理由にあまり表に姿を現さなかったから注目されていませんでしたが、これからはスコット侯爵家の末娘に興味津々です。婚約者だからと安心していたら、泣くのはアル兄様ですよ」

 わかっている。更にクリスが聖女だと皆に知られれば、彼女を崇め神聖化する輩も出てくるだろう。学園生活を平穏に過ごさせたいというのも本音だが、彼女を自分に振り向かせる自信がない私の焦りから提案したことでもあった。

 まだブツブツ文句を言っている妹を無視して、待たせていた馬車に乗り込んで考えを巡らせる。どうしたらクリスは私に夢中になるだろうか。今までは子供だったから、直接迫ることも出来なかったが、これからは少し積極的にいってもいいかもしれないな。

「アル兄様、悪い顔で微笑まないで下さい。気持ち悪いですわ…」

「うるさい。黙っていられないなら、馬車から降ろすぞ」

「まあ、酷いですわ。クリスに言いつけますわよ」

「ぐぅ…」

 クスクス笑うキャサリンを軽く睨みながら、これからの計画を考える。本来なら、今までにもクリスを口説く時間はあったはずだった。だが、何故かクリスとすれ違うことが多く、特に私が13歳になり魔法学園に通うようになってからは、極端に会う機会が減った。仕方なくいろいろな贈り物をおくり、手紙で交流をしていた。

 でもこれからは、彼女もこの学園に通うようになる。接触する機会も増えるだろう。兄上も接触しやすくなったというデメリットはあるが、兄上はあと1年で卒業だ。1年間クリスを守りきればいい。

「だから、顔が怖いですわ。素直に伝えればいいものを…」

 キャサリンの呟きは無視して、これからの作戦を考えることにする。ぜひ、クリスと楽しい学園生活を送り、彼女の心を自分のモノにしたい。

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