μ星系の交差軌道
和泉茉樹
第1話 マーガレット
◆
耳元でノイズが酷い。
『こちら、μ星系警察機動隊所属「グレース号」だ。認識番号J-N-MMO-18889IZ、聞こえるか。応答せよ』
私は耳を澄ませてノイズの向こうに注意を向けたが、ノイズ以外の何もない。
咳払いして、もう一度、我らがリーダー、ミューツェルン警部補が呼びかける。
『聞こえていないのか。認識番号J-N-MMO-18889IZ、こちらは星系警察機動隊。貴船に対して臨検を行う。相対速度を合わせるか、船を静止させよ。こちらは星系警察機動隊だ』
やっぱり返事がない、というのを私が確認しているところへ、別の音声が割り込んでくる。サブリーダーのグレイシー巡査部長の声だ。
『マーガレット、聞こえているかな』
「はい、グレイシーさん。発進しますか?」
反射的に陽気に答えてしまったけれど、エクスを自由に飛ばすのは楽しいと思う私だった。でも、こういうシチュエーションを喜ぶ警官ほど不誠実な警官もいないだろう。胸の内で反省しつつ、グレイシー巡査部長の言葉に集中する。
『相手はどうも停船しないようだ。これからきみを相手の前方へ進出させる。船を牽制して止めてくれ。派手なことにはならないだろうが、気をつけてくれ』
「もし相手が静止しなければ、マニュアル通りですか?」
『そうだよ。威嚇射撃の上で、しかるべき処置をとる』
了解です、と私は応じて、一度、操縦桿から手を離すとヘルメットの多機能バイザーを下げた。
しかるべき処置、という展開にささやかな興奮と締め付けてくるような緊張を感じながら、彼我の位置をバイザーに表示された略図で確認する。
今はαと表示されている問題の船は、μ星系の第四惑星「ホプリア」方面へ向かって進んでいる。慣性航行なので、自然と「ホプリア」方面へゆるやかな弧を描いて落ちていることになる。
私たちが乗る警察船「グレース号」が問題の船とかなり近い位置に進出できたのは、事前に仲間から通報があったからだ。宇宙空間で荷の受け渡しが行われ、相手の進路上に最も近いのが私たちだった。ちなみにもう一方の船は別の警察船が追っているはずだ。
ここに来るまで「グレース号」は推進剤をかなり盛大に使って加速したので、αとの相対速度はこちらが圧倒的に早い。といっても、相手の船の体積の概算を見る限り、決して有利とは言えない。相手がここで加速すると単純な追いかけっこになるのは短い時間で、おそらく「グレース号」の方が先に推進剤を限界まで消費してしまう。
推進剤は全部使っていいわけではない。減速できなければ、宇宙空間をどこまでも彷徨ってしまうことになるからだ。推進剤を補給できる宇宙ステーションに辿り着く余力か、そうでなければ星系警察の補給船と接触する余力は残さないといけない。
ともかく、これから私は人型を模している機動兵器「エクス」で「グレース号」を離れて、αの機先を制することになる。
両手で操縦桿を握り、スタンバイ状態だった機体を起動させる。メインスクリーンが明るくなり、次には周囲の状況が見えるようになるが、遠くに恒星μが見える以外はほとんど何もない。惑星「ホプリア」は視野の外らしい。
機体の各部のチェックが進んでいく。その間にもミューツェルン警部補はαに呼びかけているが、返事はないままだ。αが静止するでもなく、加速する様子を見せるでもないのは不気味である。
『マーガレット、機体を射出する。コースは入力できているよね?』
グレイシー巡査部長の声だ。
「はい、進路データは受け取って、すでに入力してあります」
『よし、いいね。推進剤の残量に気をつけて。宇宙を一人で漂うのはつらいぞ』
「わかってます」
ちょっと声が尖ってしまった。これでも警察学校でも研修でも、下手を打ったことはない私だった。そんな自信が声に出てしまったようで、通信の向こうでグレイシー巡査部長が小さく笑ったようだった。
『わかったよ、気をつけてな。発進シークエンスを開始する。あとは機械任せだ。幸運を』
はい、と答えた時、意気込みに反してちょっとだけ声が震えてしまったけれど、気づいただろうか。でももう、通信は切れている。
メインスクリーンの中で私の乗る機体が「グレース号」からせり出していくのがわかる。「グレース号」の外装の一部が展開され、電磁カタパルトが開いていく。
私の乗るエクスが自動的に射出体勢を取り、人間でいえば腰を落とすような姿勢になる。
私は念のために機体の状況を再確認した。問題は何もない。
『スワン1、発進まで三十秒』
流暢な機械音声が耳元でする。もうその向こうからミューツェルン警部補の声がしない。通信系統が切り替わったのだ。
多機能バイザーの中の簡略図では、未だ、αは減速していない。
カウントダウンは進む。
私は一度、目を閉じて意識を集中した。
と言っても「グレース号」を離れた後、一時間近い待機時間になる。今、精神統一するの早すぎる。
それでも、気持ちを切り替える必要はあるだろう。
カウントダウンが残る五秒になる。
私は瞼を上げ、視線をメインスクリーンに集中した。
『二、一、〇。グッドラック』
ぐっと体がシートに押し付けられる。
機械音声は人間と変わらない調子のはずなのに、その最後の言葉は、グレイシー巡査部長のそれとはまるで違って聞こえた。
(続く)
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