【短編】「確かにあなたの幼馴染だった私は寝取られたけど、よりを戻したい」と言われたけど、色んな意味で断るしかない話

八木耳木兎(やぎ みみずく)

【短編】「確かにあなたの幼馴染だった私は寝取られたけど、よりを戻したい」と言われたけど、色んな意味で断るしかない話




「断る」

「うぅっ……!!」




 彼女の頼みを、俺は一蹴した。




 わざわざ俺が今座っている場所にまで来てくれたのに申し訳ないが、だからってさっき彼女が言った頼みを承諾するかというとNOだ。




「よりを戻そうと言われても、俺は君とは関わりたくないんだ。ごめんな」

「ねぇマー君……もう一度チャンスを頂戴? 三年前まで付き合ってた仲じゃない、また昔みたいに仲良くやろうよ!」

「そんな想い出、ハナから幻想でしかないんだよ」






 子供の頃にそう呼んでいたらしいあだ名で、俺のことを呼んで来る彼女。

 はたから見れば微笑ましい光景なのかもしれないが、その事実に俺は嫌気がさしていた。

 






「……そんなに、私があの先輩になびいたことが許せないの……?」

「ああ、許せないね」

「でもマー君も知ってるでしょう……あの人は最低のクズだったのよ!! だから詐欺で捕まっちゃったんじゃない!!」

「三年付き合っておいて、彼を庇う気もないのか。俺のこともそんな風に裏切ったわけだな」

「そ、それは……」





 彼女の言葉は、全てが白々しかった。

 俺は高校時代演劇部に所属していたから、他人の言葉が本気か演技かはしっかり見分けられる。

 彼女はなびいたという先輩のことを今になってクズ呼ばわりしてはいるが、誠意が全く感じられなかった。







「本を読んでコーヒーが飲みたい気分なんだ、俺。君がいると気が散るし困るんだけど」





 ある種の牽制のつもりで、俺はそう言った。

 これ以上何か言ってきたら、すぐに席を立って立ち去るつもりだった。




 そもそも俺がこの場にいるのは、彼女に会うためではなく、今の時間をゆるやかに過ごしたいからだ。

 彼女自身に、用事があるわけでは断じてない。





「一生のお願いよ……マー君、私とよりを戻して!!」





 それでもこの女は、しつこく食い下がってきた。

 仕方ないから俺は、彼女に対して決定的な言葉を告げることにした。





「いや……そもそもさ」








 立ち上がって、俺は彼女に問いかけた。

 幻想でしかない想い出を、振り払うように。

















「………………………………………………………………………………誰?」














「…………えっ?」







 一番聞きたかったことを、俺は入店十分じっぷん後にやっと言えた。

 目の前の(記憶にない)幼馴染は、信じられない、という反応を返してきた。






「あの、初対面……ですよね? 俺と、あなた」

「そ、そんな……私達との思い出まで忘れちゃったの!? それとも、それだけ私とのことをなかったことにしたいの!? ひどいよ、マー君!!」

「俺、『マー君』なんて呼ばれたことないです。茂倉もくら航太こうたが本名だから『ま』なんか一文字もないし」



 俺の言葉に戸惑った反応を見せる、目の前の(幻想でしかない)幼馴染。

 お互いがお互いにわけがわからず、なんだか気まずい状況。



「でも……、でも、マー君……」

「……あの、俺、雨宿りでたまたまこの喫茶店に入っただけなんですけど」

「…………………………………………………………………………………………………………………………………………………えっ?」

 点と点がつながった。

 俺の言葉に目の前の幼馴染(偽)は、そんな表情を浮かべた。














「………………………………………………………………………………………………

 あっお客様ご新規様でしたか!!!!! これは失礼いたしました!!!!!」

「いやどういう接客…………………………………………………!?!?!?!?」






 完全に私服だったので、たまたまこのカフェに居合わせた客かと思われた彼女。

 よく見たら、胸の部分にネームプレートが付けられていた。

 このカフェの店員だった。







◆   ◆   ◆





「申し訳ございませんお客様、あまりにも返しがうますぎたのでうっかり常連さんかと……」

「つい、高校時代の癖が出ちゃって……」

 こんなところで、演劇部で培ったアドリブ力が(無駄に)役に立つとは思わなかった。

 うっかり【許せないね】とか感情までこめて対応しちゃったし。

 【三年付き合っておいて】とか設定に沿った返事返しちゃったし。

 



「ご新規様でしたら、改めてご説明いたしますね。当店は【もう遅い】をコンセプトにしたコンカフェ、【Too Late】と言いまして」

「【もう遅い】……?」



 正統派カフェに見せかけたコンカフェコンセプトカフェなのはわかったけど、肝心の【もう遅い】というコンセプトがイマイチ入ってこない。



「いまネット小説で、【もう遅い系】って流行ってますよね?」

「……まあ【ヨムカク】とか【なろう、小説家に】とかでよく見ますけど」


 

 書籍化された作品が、書店で特集棚に置かれているのも何回か見た。

 でもああいうのって、異世界ファンタジー系のイメージだったんだけど。

 パーティーを追放された後俺はチートに覚醒した、今更戻って来いと言われても……みたいな。



「実は今【もう遅い系】って、結構多岐にわたってるんです。王道の異世界ファンタジーものもあれば、現代ファンタジーや悪役令嬢ものやラブコメ、アイドルものなんかにも」




 どんだけもう遅いの好きなんだ、現代人……

 それだけ現代社会で鬱屈がたまってるのかな。

 粗雑に扱われてるから別の所へ行って重宝してもらいたい、粗雑に扱った連中を後悔させてやりたい、とかの類の。




「当カフェは、皆さんがそんな小説で満たしていらっしゃる【もう遅い】のカタルシスを、もっと臨場感をこめて満たしてほしい。そんな店長の思いが形になったコンカフェなんです」

 そういう風に説明されてもどういうことかわからないから、詳細を訊いてみようとしたところ。




「はっ、ほざけェ!!」




 突然、店内に怒声が響いた。

 痛客かな、と思ったが、どうやら口調が演技がかっている。



「パーティーに戻って来いだァ? もう遅いね!!! 俺はなァ、もうチートスキルに覚醒してんだ!!!」

「そ、そこをなんとか頼むよ……俺たちパーティーを組んだ仲じゃないか……」

「半年前、俺を無能だと言ってそのパーティーから追放したのはどこのどいつだァ!?」



 パーティーだのチートスキルだの、異世界ものの小説でしかきかない用語を、魔法も魔物も存在しない現実世界で口にする男。

 よく見たら、あの席だけ周りの内装が中世ヨーロッパ風というか、異世界ファンタジーの酒場風だった。



「あの方、常連さんの仁持にもちさんです! 週一で店長とあのやりとりされてるんですよ」

「迫真の演技ですね……」

 まるで実体験が反映されてるかのような……。



 確かに、店長の方は安っぽい鎧を見に纏って、勇者の恰好をしている。

 でも常連客の方が(元々テーブルに置かれていたであろう)剣と盾以外私服なのは、色々台無しなんじゃないか。特に何の準備もしてない客だから仕方ないけど。

 テーブルにクリーチャーのぬいぐるみが置いてあるから、アニマルテイマーとか召喚獣使いとかの設定かな。




「で、私が、【ラブコメによくいる、中学まで主人公と付き合ってたけど高校時代カースト上位の先輩に寝取られて、大学に入って先輩が逮捕された今になって主人公とよりを戻そうとして来る幼馴染】担当の葵と申します。よろしくお願いします!」

ニッチですねー……(言う程よくいるか……?)




 これで、見知らぬ女性が存在しない幼馴染として俺に言い寄ってきた理由が大体理解できた……

 ……できたけど、このコンカフェ、あまりにも隙間産業狙い撃ち過ぎじゃないか……?

 よりを戻そうとか言われてドキッとしたんだぞ。結構美人だったし。




 メイドカフェとか、ツンデレカフェとかジャンルをコンセプトにカフェはよく聞くけど、シチュエーションをコンセプトにしたカフェは珍しい気がする。

 ……というか、関係性ありきのコンカフェだから、店員だけ演じてても成立しなくない……?




「びっくりされたなら申し訳ないです。でも当店、れっきとしたカフェなんで! メニューもございますので普通のカフェのようにくつろいでいただければ!」

「あ、じゃあ……アイスコーヒー一つ」

「…………」

「……アイスコーヒー一つ」

「……あのお客様、コンカフェなんで。設定に倣ってメニューを言ってもらっていいでしょうか?」

「……って言われても、肝心の設定を知らないんですけど」

「そこのメニュー表を参照していただければ」



 テーブル脇に置いてあったメニュー表をめくって、アイスコーヒーの頼むための設定を確認する俺。

 普通のカフェのようにくつろいで、って言った側から普通のカフェと全然違うじゃん……



「【わかった。少しだけ時間をやるよ。一杯のコーヒーで、もう俺たちの関係は終わりにしよう】」   (↑メニュー名)

「【……ありがとう、マー君】」



 今の返事はかしこまりました、ってことでいいのかな(多分あだ名のレパートリー「マー君」しかないんだろうな)

 とか思ってたら数分後、本当に葵さんがアイスコーヒーを盆に乗せて席に届けに来てくれた。

 なお、ホットコーヒーのメニュー名は【俺はもう、君との思い出を過去にしたいんだ。俺がコーヒーを一杯飲んだら、もう俺の前に現われないでくれ】だった。

 ……ややこしくない?

 言ってる意味は一緒だし。



 そもそも設定上顧客と店員の関係性が崩壊した状態だから、【お帰りなさいませ、ご主人様!】と暖かく迎えてくれるメイドカフェとかにはない緊張感というか、気まずさがあるような……

 くつろぎに来たのにくつろげそうにない。

 なんて思いながらコーヒーを飲もうとしていた俺に、しかし葵さんは席から離れようとはしなかった。

 そして、こう言った。



「【懐かしいね。覚えてる? 初デートで、二人で行った喫茶店】」




 ……は?



 戸惑ったが、元演劇部としての感性が声質から演技だと見抜いた。



 ……演技としてのアレなのか、これは。




「【独り言だと思って聞いて。あの時はお互いに恋人になることに戸惑ってて、会話にすら困ってたよね】」



 ……えーと。

 ……これ自分でいなさなきゃ延々前で話されるパターンだろうか。



「【……そうやって昔のことを思い出させても無駄だぞ】」

 半ばやけくそで、俺は彼女の幼馴染になりきってそう返事を返した。




「【わかってるよ。今更許されようとも思ってない。ただ今、この瞬間だけは、あの頃の私とあなたでいてほしいの】」

「【裏切っておいて、あの頃に戻りたい、か。ちょっとずうずうし過ぎるんじゃないか?】」

「【そうやって素気ない態度とりながら、会話に付き合ってくれるマー君、あの頃と何も変わってない。優しいんだね、相変わらず】」

「【優しくして損したこともあったけどな】」

「【もうっ、意地悪】」

「【今更変えようったって変えようがないんだ、この不器用さは。でも今は、その不器用さをちゃんと愛してくれる人がいる。キミのことは過去にして、俺はその人と未来を歩んでいきたいと思ってるんだ】」

「【……キミが昔のままでよかった。それだけでも私、幸せだよ】」

「【昔のままでいられなくなったところもあるけどな。誰かさんのせいで】」


 





 ……





 …………






 ……………………






 意外と楽しいな、これ……





「……と、まあこんな感じです! お品物を提供したときはいつもこんな風に会話タイムをサービスしてるんですけど……お客様すっごくアドリブお上手ですね!!」




 あまりにも自然に幼馴染っぽい台詞言ってくるから、めちゃくちゃ自然に世界観に沿ったアドリブ出せたぞ……

 それでこの店員さんも俺のアドリブ台詞をキャッチして返してくれる……

 まあ色んな客を相手にしてるから慣れてるんだろうけど……

 なんか続けようと思ったら無限に会話のラリー続けられそうな気がしてきた……




 なるほど関係性ありきだけど、だからこそ顧客側も自分好みの関係性や物語性を構築できる、という観客参加型スタイルがこのコンカフェの魅力、というわけだな……

 元演劇部、現俳優の俺としては、案外うってつけのコンカフェなのかもしれない……




「すっっっげー中毒性あるコンカフェですね。なんというか、本当に昔自分に幼馴染の彼女がいたかのように錯覚しちゃいますよ……」




 というか喋ってる間、本当に俺には美人の幼馴染がいて、実際に彼女を寝取られたことがある、という偽りの記憶を植え付けられたかのような錯覚に何回か陥った。

 映画【インセプション】みたいに。

 俺が彼女持ちじゃなかったらヤバかったな……




「一回別のお客様に、本当により戻そうとして来られたこともあるんですけどね。出禁にしましたけど」

「本当の幼馴染じゃないから戻すもクソもないような……」



 ただのガチ恋勢だろ、それ。



「いや……でも楽しいカフェですね。偶然でしたけど来れてよかったな……」

「色々オプションも付けられますよ!! 強かな泣き演技オプションとか、他にも彼女連れのお客様には……」

「あっ、雨あがって来た」



 本当はもう少しくつろぐというか、楽しみたかった、というのが正直なところだが、この後彼女と映画にいく予定があるので、早々に切り上げることにした。

 


「また来ます! いつか恋人も連れて来られるといいな」

「ぜひぜひ! 彼女さんが優越感を満たせられるカップル向けのオプションもありますので!!!」



 会計を済ませ、最後にごちそうさまでした、とベタな挨拶でこの喫茶店コンカフェを出ようとした俺に、葵さんはこう言った。




「【お別れだね。……さよなら、マー君】」




「…………【今度は悪い男に引っ掛からないよう気を付けた方が良いんじゃないの。俺の知ったこっちゃないけど】」



 カランコロンカラン……



 店から退出する時、思わずアドリブで出たその言葉。

 それを声に出しながら、俺は思った。



 カランコロンカラン……



「聞き忘れたんですけど、次来たときは、また再会した設定にすればいいんですか……?」

「あ、いえ、今日みたいに久しぶりに会った設定でやっていただければ」

「葵ちゃーん、お会計終わったなら地下室のステージお掃除しといてくれるー?」

「あっはーい店長!!」



 …………このコンカフェ、確実に。

 …………俺、沼るな、と。









◆   三年後   ◆


 








「【断る】」

「【うぅっ……!!】」

「えっ航太君……誰?」



 彼の幼馴染を名乗る女性の頼みを、彼―――私の恋人、茂倉もくら航太こうた君は一蹴した。


 わざわざ彼が連れて来てくれたカフェに来てくれたのに悪いんじゃないのと思ったけど、だからってさっき彼女が言った頼みを承諾するかというとNOらしい。




 今日、私――航太君の恋人の姶良あいらつかさは、話したいことがあると言われてこのカフェに誘われた。

 一見普通のカフェに見えるけど、なんだか違和感のあるカフェだった。区画の一部が西洋ファンタジー風なところとか、配膳を持っている店員らしき人が異世界ファンタジーの勇者風の服を着てるところとかが特に。

 なお土曜日ということもあってか、店内はわりと混んでいる。



「【よりを戻そうと言われても、俺はもう君とは関わりたくないんだ。ごめんな、葵】」

「【ねぇマー君……もう一度チャンスを頂戴? また昔みたいに仲良くやろうよ!】」

「【その昔の思い出を汚したのは、君自身だろ】」



 本名にひとかすりもしていないあだ名で、航太君のことを呼んで来るあおいと名乗る女性。

 はたから見れば微笑ましい光景なのだけど、その事実に彼は反吐が出ているようだ。





 これがネット小説だったら―――




【 確かに幼稚園の頃の俺たちは、実の兄と妹のように仲が良かった。

 中学に入って、異性として意識し合い始めた結果、付き合うことにもなった。


 だが、そんな関係も、あの日すべて打ち砕かれた。

 高一の夏の日、ラブホテルから金持ちの先輩と出て来る彼女を見た、その日に。

 そう、あの日俺は彼女を寝取られ、彼女は俺を裏切ったのだ。 】



 

 ―――みたいな感じの航太君の独白が挿入されているかもしれない。




 本来彼女である私は、今の彼の言動を訝しむべきなのかもしれない。

 昔幼馴染の彼女がいたなんて彼の口からは一言も聞いたことがないし、会話の内容が本当なら彼は私にウソをついていたことになるからだ。

 でも今目の前で話している航太君は、どこか様子がおかしかった。




(……演技してる…………!?)




 同じ演劇部に所属した高校時代以来、一緒に演技をしたり、演技について語り合ったりしてきたからはっきりわかる。

 発声や呼吸、表情から見ても、今の航太君は舞台やスタジオ、ロケ地で観客やカメラを前にして演技をしている時のスイッチを入れていた。

 でもなんで急に?

 実はここは、私たちみたいな俳優だけが入れる秘密の喫茶店だから、とか?

 今の演技はスペシャルメニューの合言葉、とか?




「えっと、航太君、その人……誰?」

「昔の知り合いだよ。まあすぐ終わるから待ってて」




 気になって問いかけてみたが、一瞬だけ素に切り替えた彼にそう言われたのでもう少し様子を見ることにした。




「【そこまで言うなら、教えてやるよ。主たる理由は二つだ。まず第一に、幼稚園からの親友で、中学からは彼氏にもなった俺のことをかつて君が裏切ったこと】」

「いやきみ私と付き合うまで童貞陰キャくんだったよね。裏切るとか以前に童貞陰キャ君にこんな美人の彼女できるわけないよね?」

「【そして何より……】」ギュッ

「え……? ちょっ」




 通りを歩く時と同じように私の手を握ったかと思うと、すっと立ちあがる航太君。

 君も立って、と彼に小声で言われたので、言われるままに立ちあがる。




「【俺が生涯の伴侶に、この姶良僚さんを決めたからだ】」





 その言葉に、私はハッとした。

 私と彼は、付き合ってもう七年になる。

 付き合って七年、一年前同棲相手にもなった私に、その言葉が意味することって……




 理解はできても、整理は出来ない。

 そんな風に私が彼の発言に戸惑っていた、その時だった。

 




 テッテッテッテ♪

 テッテレッテッテ♪

 テッテッテッテ♪

 テッテレッテッテ♪



 

 ジャズ調だった店内BGMが、急に某ミュージカル映画「【ラ・〇・ランド】……?」のそれへと変わった。





 それだけではない。




 それに合わせるように店員、利用客、全員が踊り出したのだ。

 リズムに合わせて指を鳴らしたりタップダンスしたりしているが、全員がリズムに合わせて完璧にシンクロした動きを見せているため乱雑感はない。

 異世界風のテーブルに座っていた客や、彼にどやされていた勇者風衣装の店員さんまでもが、彼らと一緒に一糸乱れぬ動きでダンスしていた。



 テッテッテッテ♪

 テッテレッテッテ♪

 テッテッテッテ♪

 テッテレッテッテ♪




 さっきまで幼馴染(?)にフラれて膝から崩れ落ちて泣いていた葵さんと名乗る女性までも、途中から急にノリノリ笑顔になって指を鳴らして踊りだし始めた。

 何かが始まっている気がした。

 テレビやユーチューブで見たことのある類の何かが。




 私はは仕事でやる側でもない限り、テレビやユーチューブで見てても引くタイプの人間だ。

 だから、自分でも不思議だった。

 今の自分の中にあるのが、嫌悪感ではなく、高揚感であったことが。



「一緒に来てくれ」

「う、うん」



 引っ張る彼に抵抗せずついていったのも、この先何かただならぬことが舞っている気がしたからだった。

 言われるがままに彼に手を引かれて喫茶店(?)の裏口へ行くと、そこには一方通行の狭い通路があった。

 おそらく普段裏部屋なのを道に作り替えているのだろう、わかりやすいはりぼてで造られた壁には、高校時代に付き合い出してからの、私たち二人の思い出の写真が飾られていた。



 付き合う前、高一の文化祭で初めて一緒に舞台に出た写真。

 高三のミュージカルで初めて主人公とヒロインを演じた時の打ち上げの写真。

 彼が映画で初めて台詞付きの役を貰えた時の写真。

 私が初めてテレビドラマで主演を務めた時の写真。



 その通路は、これまでの私と彼が歩んだ日々が道になったような場所だった。

 まるで、今日が私たちの、何らかの節目だと言わんばかりの。



 そして階段を降りて出口の扉を開けたかと思うと、そこにあったのは舞台だった。

 さっきまで少し個性的な喫茶店にいたはずなのに、地下室にこんなステージが隠されていたことに驚いた。

 ともあれ、さっきのカフェと同じ映画音楽が流れるステージ上のど真ん中で立ち止まり、向かい合う私たちは、完全にミュージカルの主人公とヒロインだった。

 そう思っていたら、さっきの美人店員さんや、店内にいた客だったはずの人たちまで別の入り口からやってきて、私たちの周りで踊り出していた。




 踊る店員たちに囲まれる中、私に真正面から向き合う航太君。

 彼は深呼吸をした後。

 その言葉を私に言った。







つかさちゃん、大好きだ。結婚してくれ」







 しゃがみこんだ彼は、箱を取り出したかと思うと、開けて私に見せてくれた。

 指輪だった。





(……まさか、気付いてたの……?)

 指輪のダイヤのきらめきに、私はふとそう思った。


 


 同棲を始めて以来、彼にサインを送ってはいた。

 高校時代の旧友が結婚した話を、それとなくふってみたり。

 両親を紹介したり。

 今後は既婚者役や母親役のオーディションを受けてみたいと、聞こえよがしに話してみたり。




 だがそれらのサインに、彼が理解した反応をみせることはなかった。

 元が陰キャ男子だし仕方ない、いっそ自分から逆プロしようかな、と思ってたのがここ数週間のことだった。

 だからこの場での彼の行為は、余りにも不意打ちだった。

 今この場に鏡が無くてよかった。

 自分の顔は、嬉しさやら恥ずかしさやらでぐしゃぐしゃの真っ赤っかになっていただろうから。


 


 彼からの、人生に一度のお願い。

 動揺しすぎて、その返答を私はすぐには返せずにいた。

 しゃがんだ位置から見あげてくる航太君。

 ドラマ撮影の告白シーンでNGをやらかした時でも、ここまで取り乱しはしないと思う。

 そんな私の情けない表情を直視しても、彼は表情を全く崩すことはなかった。

 彼は、それほどに真剣だったのだ。





 だから、私は。

 そんな彼の気持ちに応えたい一心で。

 なんとか、口を開いた。




「び、びっくりしたけど……俳優の私に、俳優のキミが、俳優らしいやり方でプロポーズしてくれたの、すっごくうれしい。私、そんな貴方が大好きです」




 これが演技なら、「び」の時点で監督からNGを食らうだろう。

 それほどにたどたどしい一言。

 それでも私は、自分なりの確かな彼への答えを、ゆっくりと紡いだ。

 







「…………ふつつかものですが、よろしくお願いしますっ…………」

「……ッッ……ありがとう、僚ちゃん!」








 そういうと彼は立ち上がり、周囲の目も気にせずに私に口づけを交わしてくれた。

 されるがままに私も彼の背中に手を寄せ、体を預けた。

 ここ数カ月のじれったさを飲み込んでくれるような、甘い甘い口づけ。





 私も彼も役者で、架空の登場人物を演じるのが仕事だ。

 でもステージの上で店員たちの拍手に囲まれて互いの温かさを唇で感じている間。 

 なんだか、本物の物語の主人公とヒロインになれたような気がした。






◆   ◆   ◆


 



「驚かせてごめん」

驚かせて↓葵さんごめんなさい」

「…………いや、二人ともそこまで深く頭下げなくても……………………」

 受け取った婚約指輪を手にはめた私は、店員の葵さんと、航太君からコンカフェ【Too Late】の説明を受けていた。

 葵さんが言うには、さっきの寸劇は貯金していた三十万円をはたいて予約した、このコンセプトカフェ【Too Late】の最高級オプション・フラッシュモブ――【裏切った幼馴染に今更言い寄られても、もう遅い】コース――だったそうだ。




「でも意外だな、プロポーズ待ちのサイン、航太君が気付いてたなんて……」

「俺一人では気づかなかった。葵さんに相談してみたらそれ明らかにサインですよ、茂倉さん鈍すぎって言ってくれた」




 彼曰く、そこからこのオプションを予約するまで、時間はかからなかったという。

 私の恋人がそこまで信頼していた、コンカフェ・【Too Late】のフラッシュモブ。

 最初は戸惑っていたけれど、私は意外にもそれをめちゃくちゃ楽しんでいた。




 彼氏に同じく私も根っこは「仁持さんも、一日バイトありがとうございます」陰キャ寄りの人間なので、どちらか「いいんだよ葵ちゃん。ブラックを辞めてダンサーになった甲斐があった」というとこの手のサービスは見ていて引く側の人間だよな、と自分では思っていたのだけれど。

 意外と自分も、されて楽しい側の人間だったのだろうか……。





 そう思って、いや違うな、と私は思い直した。

 多分【Too Late】このコンカフェが、特別だったのだ、と。





「なんというか、謎の幼馴染が登場することで、ほんの少しだけど恋人として優越感を味わえたところから始まったのがすごい気分よかったです」

「恐縮です! 当コンカフェは、彼女連れで来ると彼女さんが優越感を得られるようなサービスを提供しておりますので! それにですね、最近私ども、女性向けのオプションもご用意させてもらっておりまして……」

「……それってまさか、【一度破棄した婚約を今になって結ぼうとする貴族男子にもう遅いと断わる悪役令嬢】とかですか?」

「ご名答!! 奥さんだったら旦那さんと一緒に楽しんでいただけると思いますよ!!」





 …………葵さんの話を聞いていて、私は思った。




「すっごく楽しい喫茶店だね、またここ来ようよ、マー君!」

「マー君じゃない」

「あっごめん航太君」




 …………このコンカフェ、確実に。

 …………夫婦で沼るな、と。

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