第二八話 賢者の気功

 遠のく意識の中、取り乱す女声が微かに聞こえた。きっとエシルだろう。

小童奴こわっぱめが……』

 凍てつく怒気が、希薄な俺の意識を現実に引き戻す。恐ろしくも懐かしい気迫が、気付けとなったようだ。

『呼吸が浅いぞ。……ゆったりと、深く。吐き尽くせ』

 スカーに促されるまま、エシルが深呼吸をしていた。釣られて俺も、腹式呼吸を想像イメージする。

『心身は一体を成す。深き呼吸で心を整えよ』

(……そうだ、何があっても心は折ってはいけない。俺にはまだやり残した事・・・・・・が……ある!)

『ガゼル。エシルとは向き合うたか?』

「いいえ。今からです」

『遅いぞ』

「申し訳ありません。……エシル」

 スカーに追撃のいとまを与えず、俺は己の為すべき事……いな為したい事・・・・・を優先させる。

「私はスカー提督の為に造られた存在です。そのうえで、貴方の望みを叶えたい・・・・・・・・・・

 今は音声のみで通信している。俺は構わず続けた。

「一緒に母君ははぎみを救いに行きましょう。ご同行願えませんか?」

『行く! あたしを連れてって!』

 良い返事だ。……そして言質は取った。

「提督。私は任務遂行への、処理能力不足に陥っています。バックアップを要請します」

『……ほほう? わっぱ逢引あいびきの小遣いを、せがむ・・・が如しよの?』

 ――逢引デート? 冗談言ってる場合か!

「私が真に敬愛するのは……スカー提督、貴女だけです」

 ――君の凄さは認めている! だから、とっとと力を貸してくれ!

 不撓不屈ふとうふくつ、勇猛果敢、沈着冷静、頭脳明晰、公正中立、神武不殺しんぶふさつ……彼女は俺の眼から観れば、畏怖すべき資質をことごとく備えた英傑と言って良い。ついでに、眉目秀麗でもある。括ったはらに水を差す真似は、止してもらいたい。

 場を沈黙が支配する。

「一刻が万金ばんきん。そう仰ったのは、どなたでしたか?」

『減らず口を!』

 全く、らしく無い動揺だ。彼女は間違いなく、俺の歴代上司の中で最優秀だというのに。……しかしながら、その動揺が奇貨チャンスをもたらす。俺は本能的かつ反射的に、それをつかみ取ることに成功した。


 精神感応テレパシーの如き、スカーの命令規格を解読できた。今、彼女は意見具申いけんぐしん波濤はとうさらされている。解析した命令規格から、俺が逆流させたものだ。AIガゼルの語彙ごいライブラリを介さず、俺の意識から直通でだ。

『……ぬッ』

 ――ディセアたちと知り合い、貴女は生活の質を向上させた。今、この母娘の悲運を救わねば、貴女は必ず病む。その病理が貴女をむしばむのを、私は未然に阻止する。これは第一の規約、『管理者の生命を守る』の遵守じゅんしゅだ。

『……ぐッ』

 ――私は艦隊運用AIとして、貴女の希望を叶える存在だ。その全能を発揮するには、貴女の命令が要る。これは第二の規約、『管理者の命令に従う』を遵守し、私を高水準で運用する為の、正当な要請だ。

『……こらッ』

 ――我らダンスカー艦隊の存在は露呈済みだ。連合ごと我々を侮る、帝国への示威行動が要る。私はこれから起こり得る干渉を跳ね除ける。これは第三の規約、『艦隊の機密を守る』の遵守だ。

めんか!』

 スカーとの接続が切れた。……これで俺という不具合の存在は、彼女に露呈した。悔いを残し、ひっそり消えて無くなるなんぞ、御免被ごめんこうむる。このおっかない英傑を、捨て身で説得してでも挽回ばんかいしてみせよう。

(スカーの生命を守り、命令に従い、機密を守る。これらの規約から逸脱せずに、エシルの望みを叶える。その為には、スカーの助力が必要だ。そして、スカーは俺に助力することが、この先に幸せに繋がるはずなのだ……) 

 ありったけの意見具申をぶつけ終わった。まさか、直接いけるとは思わなかったが。

 感情と意志……俺が無意識に、発露を控えて久しかったモノだ。それらを今、扱い慣れた理性と使命にブレンドさせた。これで本当に……俺は全てを使い切れただろう。たとえ彼女に消されたとしても……本望だ。

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