第二六話 情動

『人間は、感情の生き物だ』

 ――ああ、っているとも。

『その感情を、どれほど御しるか。……それは、おのが器量にる』

 ――御し得ぬ輩ばかり、観てきたさ。

『まして帝国主義など、過ぎたる自己愛を振りかざす者共だ。その偏りは、推して知るべきであろう?』

 ――だから、何だと言うんだ!

 今は一刻を争う。そんな場に相応ふさわしからぬ主の言に、俺は苛立ちを益々募らせた。

『思い出せ、ガゼル。……そも、帝国は我らと交渉する気など、はなから無きことを』

 ……失念していた。履行する気のない相続契約、これがいくさの発端だった。

『お主の策どおりはかどったとて、帝国の者共は我らを〝将帥しょうすいの遇し方もわきまえぬ、人ならざる者共〟……そうそしるのが、精々であろうよ』

(……ッ!)

 帝国人に〝人間として接してもらえる〟前提が、そもそも間違っているのだ……スカーはそう言いたいのだろうか。だとすれば、俺の策は〝人間様ぶった蛮族の交渉ゴッコ〟程度の扱いで、虚しく空転するだろう。

 〝人は喜んで自己の望むものを信じるものだ〟……そう嘆じた名将が居たと聞く。仮に俺たちが全面戦争を避け、外交に応じる姿勢を十分に示せたとしよう。だがそれは、彼らには受け容れ難き敗北の喧伝けんでんだ。そんな屈辱の外交に臨むよりは、〝蛮族の紛れ当たりだ、やり返せ〟とでも斬り捨てることを選ぶだろう。その方が、彼らのはらに都合良く収まる……といったところか。

『理性と客観性をもって、物事を捉えられる者ばかりではないのだ。……私はお主の視点を、好ましく思うが、な』

 ――絵に描いた餅……か。

 俺もまた、自分の信じたい青図あおずを引いただけだった。意気消沈し、また〝白い世界〟に落ちそうな気配を感じる。……まさにその時だった。

『……今のお主には、迷いが在る。迷いがお主の眼を曇らせておる。まずはその迷いを解け』

 聞き捨てならぬ言葉に、思わず踏み止まる。俺は努めて冷静に、己の為すべき事を考え尽くした……そう自負していたからだ。

『エシルと向き合うて来い』

 その自負が早くも揺らぐ。痛い処を突かれてしまった。……どうやら、無意識に目を背けていたらしい。

『どうした、何を呆けておる。……今は一刻が万金ばんきんぞ。く、行け』

「……了解」

 尻を蹴っ飛ばされたように錯覚し、俺はその場を後にした。


『AIガゼル、ノード〝バーボネラ#E〟に接続完了』

 エシルの居る工作艦へとアクセスした。……それと同時に俺は〝白い世界〟へと落ちる。一体、これ以上何を、どう考えれば、問題を解決できるのか判らずに居た。

 知恵を絞り尽くした出涸でがらしの気分だった。それでも、現状打開には至れない。おかげで、主に駄目出しをらう有り様だ。

(これで、どうエシルに向き合え、と……)

 正直、何も考える気になれなかった。そんな俺の脳裏に、嫌な声が幾重いくえにも響き渡る。……俺の歴代上司たちの、随分とエモーショナルな声だった。

(モラハラ、パワハラ、認知のゆがみ、生存バイアス、ダブルバインド……本当に、盛り沢山だったなぁ)

 その時々の感情ヒステリーでブン殴ってくる彼らへの対抗として、俺は己の理性と知恵を磨き上げてきた。臨機応変の顔で、ただ右往左往するだけの、朝令暮改の激情家たち。そんな醜態に学び、理知をもって戦い抜くと心に誓った。

(……諦めて、たまるかよ)

 気が荒れてきた。心に隙ができると、いつもこうだ。心の隙を知的探求で埋める。……いつも通りに、また立ち上がれば良い。

使つかゆるもんな、何でん使つこうち戦い抜く。潰されっぱなしにやら、ならん。それが俺ん流儀や)

 そうだ。その為なら、反面教師に富む上司たちの罵詈雑言の記憶も……心の燃料としてべるまでだ。俺は今一度己を奮い立たせ、謙虚に自問を始めた。

(スカーは俺に、迷いがあると言っていたな)

 それが眼を曇らせているとも。つまり、俺が無意識に見落としているモノがまだ有り……再考や改善の余地があるということだ。俺はこの気づきを起点に、再度思考の淵に沈んで行く。長考と潜行を繰り返すうち、やがて一つの着想を得る。着想は新たな策への展開を見せ、エシルとの向き合い方に僅かな希望を見出だせた。

(……危険な賭けだが、試してみよう。その為に、まずはエシルの助力を仰がねば)

 俺ははらを括る。エシルと向き合う心の準備は整った……はずだった。

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