第5話 嗤える芸
山北は当初、お笑い芸人を目指していることを一部の人間にしか話していなかったようだが、一か月半以上が経った七月中旬ごろには所属する大田区グループの誰もが知っており、山北自身も隠そうとしなくなっていた。
彼は相変わらず天才を自称し、漫才かコントの訓練のつもりか、よく私や他人を不意にいじったりしていたが、いつもながらツッコミ方は遠慮なさすぎて単なる嫌がらせにしかなっていないし、ボケ方はボケの体をなしていないかスベりすぎて痛々しかった。
そして、他人をよくコケにするくせに、自分が少しでもコケにされたと思うとブチ切れる。
ある日の休憩時間、山北は一冊のノートを持って私のところに来た。
通っているお笑い芸養成学校でネタを披露することになったから読んで欲しいとのことだ。
このころはもう山北の相手をする人間は、私を含めた少数になっていた。私も実は不本意だったが。
渡されたノートはネタ帳で、開いてみると漫才のネタのいくつかを対話形式にまとめてある。
彼によると自信作らしい。
奴はこういったところでは几帳面で、丁寧な字でびっしりと清書されたそのネタの一つは以下のようなものだった。
お前が彼女
松尾:いやーしかしもう夏ですね、夏といえば海ですねー。
山北:いいね、海行きたいねー。
松尾:でも海といえば、彼女と行きたいなー、僕らも彼女ほしいですねーホンマ!
山北:俺、もうおるけどな。
松尾:ええ!?いつから?知らなんだわ!どんな彼女!?
山北:五月から付き合うてん。身長は高めのぽっちゃりで、眉毛が太うて…。
松尾:ほうほう、僕らがコンビ組んだ頃か、でも、ちょっとたくましい彼女やね
山北:頭が角刈りで、毛深くてちょっとヒゲが生えとって。(笑笑)
松尾:え、角刈りでヒゲ?ずいぶん男っぽいコやね、で、いつも一緒に何してんの?
山北:電話で話したり、学校で一緒に授業受けたり、漫才のネタ考えて…。
松尾:お互いダメ出しをしたり…って、その彼女って俺のことやないかい!(笑笑)
山北:でもそろそろ別れよかと思うてんねん。(笑笑笑)
松尾:コンビ解消かい!もうええわ!(笑笑笑笑)
松尾・山北:ありがとうございましたー
え!?
えーと、この『松尾』というのは山北の相方でツッコミ担当と考えてよく、容姿はきっと山北がネタ中盤で話す通りであり、それを彼女と見做したところがこのネタが漫才たる核心部分と考えられるが…。
などといちいち分析して笑うところを解明しなければならない学術論文のようなネタだった。
ていうか題名でオチがばれてないか?
これ一応お笑い芸人養成学校で披露するんだよな?
この『お前が彼女』という漫才のネタ以外の『日本凶惨党』『泣きっ面に劣化ウラン弾』『女だらけの為替大会』なども読んでみたが、とても二十一世紀向けのクオリティを有した漫才とは私には思えなかった。
特に「女だらけの為替大会」などネタ名から推察できる通り読んでて最もつらい。
一方の山北はクスリともせず眉間にしわを寄せて読んでいる私にイラつき始め、「ここが笑うところ!」とか「ここ一番ウケるだろ?」とかいちいち指定してくる。
「(笑笑)」とか書いてあるところがそうであるらしく、「笑」の数が多いほど自信があるようだが、そう計算通り笑わせられるもんではないだろう。
それに漫才はネタ帳だけでなく、その相方の松尾とやらと一緒にやってくれなければ分らぬではないか。
「あのな、あんた漫才とかコントとか見たことあんのか!?」
山北は自信作を否定されたと感じてキレたと見え、大声をあげた。
休憩室で休んでいた他のバイトがこちらを見る。
「いや、俺だってダウンタウンとかロンドンブーツとか好きだからよく見るよ」
「じゃあ何を見てるんだ?お笑いってもんをちっとも理解してねえじゃねえか!」
「いや、お笑いってのはさ、面白いか面白くないかだろ?俺だって少しは…」
「もういい!お笑い知能指数ゼロだな!頭が悪い奴にはわからねえよ!」
そう捨て台詞を吐いてネタ帳を私からひったくり、「おーい、俺たちにもネタ見せてくれよ」と一連の様子を見ていた兼田たちの冷やかしも無視して休憩室から出て行った。
お笑い知能指数ゼロ、頭が悪い…ときたか。
いつもなら頭にくる山北の啖呵もこの時は本当に滑稽だった。
奴は自分のセンスのなさを私の頭の悪さのせいにしている。絵が下手なのは見る人間の視力が悪いから、料理がまずいのは食べる人間の舌が腐ってるからと言ってるに等しいではないか。
「どんなネタだった?」と私に訊いてきた兼田たちに、自分の思い出せる範囲で山北のネタを再現したらあまりの寒さに大いにウケた。
普段天才を自称して尊大にふるまう男の自信作が予想外に低レベルだったんだから、誰だって顔で笑えなくても腹の中では大笑いするだろう。
ひょっとしたら腹の中で笑わせるのが芸なんだろうか?
だとすればまさに体ばかりか魂まで張った大した芸じゃないのか?
そのように私に再評価され始めた山北を、ここ南東京ベースで一挙にスターダムに押し上げる伝説的な一幕が後日開かれることを我々はこの時まだ知らなかった。
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