第14話
「ラスール。ああ、ラスール。母に顔をよく見せて」
数年ぶりに喪が明けた王妃の宮では、色とりどりの花々が飾られるようになった。
暗く降ろされたカーテンは開かれ、王妃の部屋に光が宿る。
イブリースとよく似た金の髪をした王妃は、こけた頬を悟られないように、集めの化粧を施し、垂れ目がちな緑の瞳をさらに垂らして愛おし気にイブリースを見つめている。
夕日が差した王妃の部屋は、第一王子が生まれたときからの肖像画が所せましと飾られていた。いたるところに置かれているのは、ラスールの遺品。
フォーコネ男爵から購入した香を炊きしめた部屋の中では、王妃の膝にイブリースが頬を寄せていた。
「母上、心配をおかけいたしました。ラスールはここにおります」
イブリースの口から出る言葉に満足したのか、両手で頬を包んだ王妃は、うっとりと微笑んだ。
「邪魔だったかな?」
音もなく開いた扉に動じることなく、イブリースの頬を撫で続ける王妃に非難めいた目線を送る茶色の髪に髭を蓄えた美中年は、この国の王だ。
「これは、父上」
王の登場に、膝から頭をのけようとしたイブリースを王妃の両手が強く止める。
「イブリース。席を外してくれるか」
圧のある言い方に、王妃の手からやんわり逃げたイブリースは小さく返事をして立ち上がる。
「この子はイブリースではなく、ラスールですわよ。我が君」
部屋を去ろうとしたイブリースの手を取り隣に座るよう目線で促す王妃の前で、王は柳眉を逆立てた。
「ふざけるのはいい加減にしなさい。イブリースをラスールと呼ぶなど、悪趣味な」
悪趣味という言葉に、王妃の表情が醜く歪み、威嚇する獣のような形相で王を睨みつける。
「ようやく立ち直ったと聞き宮を訪れてみれば、更に悪くなっているではないか。なんだ。この趣味の悪い香の匂いは。おい、換気しろ」
侍女が開けるのを待たず、苛立った様子で窓を開けようとした王の背に向かい、カップが飛んでいく。カップを投げなかった方の手は、イブリースを奪われまいと握りしめ、手の甲によく手入れされた爪が食い込んでいる。
それでもイブリースは痛みを顔に表さない。
「この子はラスールです! ラスール以外の何者でもないわ。なぜ、あなたは、わたくしとの間にできた初めての子を貶めるのです!」
まだ熱い紅茶を振りまきながら投げられたカップは、王に当たる前に床に落ち、大きな音をたてて割れた。
割れたカップを信じられないものを見るように凝視した王は、一つ。深く深呼吸する。
「イブリースが可哀そうだろう」
「イブリースって……誰ですの?」
息を飲む王の蒼の目に映る王妃の瞳は虚ろで、今にも消え入りそうに笑んでいる。
王妃の状態が聞いていたよりも悪いものであることに嘆息し、目を片手で覆う。
「…………医師を遣わそう。イブリース、おまえはしばらくこの宮に近付かないように。母上が混乱する」
「……はい」
王妃の爪が食い込んだ手の甲からか細い指を丁寧に外し、両陛下に一礼して部屋を出ていった。
自室に戻ったイブリースは、小さくため息をついてから着替えのために侍女を呼ぶためのベルを鳴らす。
ラスールがイブリースの体を使うようになってから、母親である王妃の執着は日に日に強くなっている。
意識はラスールだが、姿はイブリースである存在をラスールと呼ぶ王妃を見る周囲の目は狂人を見る目に変わっていた。
王妃が傾倒しているフォーコネ男爵と男爵令嬢の存在も、警戒されてはいるが、王妃が重用しているため誰も手出しができない状態だ。
ラスールをイブリースに憑依させた状態を保ち続けるために、男爵令嬢を王太子妃に引き上げることも厭わない程度には。
再びため息をついて、ゴブレットに水を注いでゆっくり飲み干す。
王妃の元で夕食を食べてきたので体が重い。
死んだ頃の年齢時に好物だった食事を大量に、これでもかというほど食べさせられた。
用意された分を食べきらないと、王妃がこの子はわたしのラスールではない。と言って暴れるため、かなり無理をしてい食べている。
満腹の腹をさすり、少し休んでから運動しようと決めた。
幼少期はふっくらしていて愛らしかったが、多少痩せたとはいビヤダルもかくやという腹をしていれば、いずれ病気になってしまうかもしれない。
可愛い弟が、そんなことで苦しむ様は見たくないので、少し手伝ってあげよう。と考えてふっと笑う。
ベルを鳴らしたのは数分前だというのに、まだ侍女が来ない。
レシャが持ってくる薬も、そろそろ摂取しないといけない。
昨夜、用があると出掛けて以降、見かけない。
あれから一日半。
常より大目に摂取しているとはいえ、そろそろ効果が切れそうだ。
もう一度ベルを鳴らそうかと手を伸ばした時、扉がノックされ、入室の許可を求められたので許可をした。
二人の侍女がしずしずと入ってきて礼をする。
「やあ、アンジュ。また会ったね」
「ラスール殿下には、認識阻害も効果ありませんのね」
顔をあげたのは、金の髪をポニーテールに結び、侍女の恰好をしたアンジュだ。
「レシャも侍女の恰好をしているんだね。二人が一緒だなんて、何をたくらんでいるのかな?」
アンジュの隣で頭を下げていたレシャは、すっと頭をあげ、手の中に入れていた魔道具を起動し、扉に鍵をかける。
「これは、防音効果のある魔道具か。君たちは、よほど僕と秘密話がしたいんだね」
着替えることを諦めたラスールは、肩を竦めてソファに座り、二人にも向かいに座るように促した。
日は落ちかけ、夕日に照らされて笑うラスールの表情は相変わらず笑顔で読めない。
「お久しぶりでございます。ラスール様」
「ああ、やっと気が付いたんだね。すっかり忘れられたと思っていたよ。元婚約者殿」
ソファの傍らに立ち、一礼するアンジュをからかうような口ぶりのラスールは再びソファに座るように促す。
「君に忘れられているのは悲しかったな」
「ご冗談でしょう。いつだって、ラスール様はイブリース様を溺愛なさっていて、わたくしのことなんて眼中になかったんですもの」
音もなくソファに座ったアンジュは、愛らしく拗ねる少女のような顔をする。
「これでも、同好の士は大切にしているんだよ」
ふっと鼻で笑い、腕を組んだラスールはソファに行儀悪くもたれかかった。
「イブリースが私に菓子を作って持ってきてくれるのを、君は本当に羨ましそうに見ていたよね」
「あなたは、そんなわたくしに優越感を感じていた」
「まあね」
「本当に、嫌な方ですわ」
この会話だけで、イブリースの中にいるのがラスールだと確信できる。
ラスールは、いつも穏やかな笑顔を浮かべているようで、本当に譲れない事に対しては対抗心を強く持つ。
かつて、ラスールだけでなくアンジュにもイブリースが手作りの菓子を渡すようになった時、笑顔の奥に冷ややかな視線を送られていたことを思い出し、懐かしくなった。
「どっちが。僕が死んでから、イブリースの婚約者に収まって。あの子のいいところを認めもせずに肉体改造させようとしているくせに」
「あら、それはわたくしも反対しましたのよ」
「どうだか」
含みのある笑顔でふふふと笑い合う二人に囲まれ、レシャは冷や汗を掻きながら立っていて、早く本題に切りだせというように、アンジュに肩をちょんと叩く。
ここまでラスールと話をしていて、彼は生前のようにイブリースを想っていることが分かった。
居住まいを正し、ラスールを見つめる。
「ラスール様、そのお体をイブリース様にお返し願いますわ」
「そうしたいのはやまやまなんだけどねぇ……」
にっこりと笑い険しい表情をしたアンジュの声を柔らかく包む。
「そこに降霊の魔女がいるから、聞いているんじゃない? 私の体の中でイブリースは眠り続けている。起きて出てこようとする意志も感じない。僕がこのまま体を明け渡しても、眠り続けるだけだよ」
「……わたくしが、叩き起こして見せますわ!」
ぶはっとラスールが噴き出した。
啖呵を切ったアンジュは、笑い出したラスールに不満げに眉根を寄せた。
「君が叩き起こす? どうやってだい? 私ですら、魂の奥で眠ってしまったイブリースとは話せないのに」
「そのためにここまで来ましたもの。わたくし、勝てない勝負はしない主義なんですの」
不思議そうなラスールを前に胸をドンと叩く。強気な姿に、ふっと笑った。
「私が覚えている君は、男の後ろに控えて何も言わない淑女だったけれど。……君は変わったね」
「イブリース様の、おかげですの」
かつて、ラスールの婚約者だったころのアンジュは、口数の少ない少女だった。両親に、将来の王太子妃として淑女として完璧であるよう教育されてきたからだ。
ラスールは、年上で優秀で会話もリードしてくれ、淑女の婚約者として理想的な相手だった。
笑顔を浮かべ、淑女として後ろに控え、ラスールの優秀さに釣り合うよう励んだ。
年上で優秀な王太子に釣り合うように背伸びした。今思うと、無理をしていたのかもしれない。
周囲からのプレッシャーに押しつぶされそうになった時、イブリースと出会ったのだ。
丸く柔らかな雰囲気を持ち、なんの無理も気負いもなくラスールに甘えている。
イブリースは、甘えているように見えて、彼の持つ特有の雰囲気で、ラスールの持つプレッシャーを取り去っていることに気が付いたとき、思わず小声でいいな。と零れた。
イブリースと婚約してから、しばらくはラスールの婚約者だったときのように。
いや、それ以上に気を張っていた。
男より出過ぎる女は煩わしがられる。なので、出過ぎないように。けれど、イブリースを確実に補佐できるように。
そのことだけを考え、王太子妃教育に励んでいたある日、イブリースにお茶に誘われた。
婚約者になってから、初めてのお茶会だ。
緊張しながら出向いた先で、同じように緊張しながら、スコーンやサンドイッチ、ジャムを挟んだケーキを所せましと並べたテーブルで、イブリースが待つ。
席についたアンジュに、会話下手なイブリースが懸命に話しかけ、テーブルに並べられた菓子が全て彼の手作りだと恥ずかしそうに頬を染めながら伝えられた時、ふっと肩の力が抜けた。
どんな時もマイペースで、自分を崩さない彼を見ていると、自分も、少々淑女の枠からはみ出ていてもきっと受け入れてもらえる。という気がしたのだ。
「そうか。君の勝気な一面を引き出したのはあの子だったか」
「イブリース様は、何も言わなくとも、わたくしの本来の在り方を大切にしてくださったんですの。もちろん、ラスール様も、ですけど」
「いいよ、お世辞は。私と一緒だった時の君は、畏縮していたからね。あの子は、自分に甘いところもあるが、人の本来の姿を丸ごと受け入れる度量があるんだ。その能力が劣っているなど、思わない」
きっぱりと言い切ったラスールに、嬉しくなる。
「いい加減、ゆっくり休んでいたところを酷使されるのにもうんざりしていたしね。起こせるなら、やってごらん。アンジュ」
出された片手を強く握ると、同じくらいの強さで握り返された。
「話はついた? 怪しまれないように早くして」
アンジュたちの会話を黙って聞いていたレシャが、ポケットに入れていた小瓶を差し出す。レシャから薬を常に受け取っていたラスールは、彼女が魔女だということに薄々感づいていたようで、驚く様子はあまりない。
「この薬をアンジュ様と殿下に飲んでもらって、手をつないだ状態で寝てもらう。そうすると、殿下の意識の奥深くに接触できるってわけ」
薬の半分をラスールの前にあったゴブレットに注ぎ、残りの入った瓶をアンジュの前に置く。
空いた瓶の蓋からは、それまで嗅いだことのある薬の匂いよりもきつい香りが漂ってくる。
「毒じゃないの? 今が好敵手であるラベー公爵令嬢を亡き者にする好機だしね」
眉を顰めた問い掛けに、ふんと鼻を鳴らす。
「私ね、そもそも王太子妃なんてものに興味はないの。あんたに近付いたのも、王妃の依頼に目のくらんだ男爵の命令だし。ああ、おしとやかな令嬢ぶるのは大変だったよ」
これまで猫なで声で近付いてきていた彼女とは違い、はすっぱな町娘のような態度に不機嫌そうに片目をぴくりと上げたが、すぐににこやかに笑う。
「信用してもいいのかな」
「信用できないってんなら、やめれば。別に、あんたらがどうなろうと私の知ったこっちゃないし」
いかにも面倒くさそうにため息をつき肩を竦めたレシャは、きっと表情を変えた。
「けどね、これだけは言える。今の状況はヤバいよ。薬がなけりゃ、あんたは体の中にはいられない。そのうちはじき出されるだろうね。でもね、あんたが体外に出ても、イブリース様が目を覚まさなきゃ、空いた体に別の霊たちが入ってきて好きなようにその体を動かすようになるよ」
「なんだって」
「他の客にもそんな奴がいた。今じゃ病人として屋敷に隔離されてるよ」
「……仕方ないね。一度は死んだ身だ。君を信用したアンジュを信じよう」
腕組みをして苛立ったように説明するレシャに、深いため息をつきアンジュに目をやると、こくりと頷いた。
「決まったら、二人並んで座ってくれる? 薬を飲んで、手を繋いでね」
二人を立たせ、てきぱきとソファの背もたれにクッションを置いていく。薬を手に取って二人は同時にあおり、ふかふかのソファに並んで座る。
「イブリースのことを頼むよ」
「お義兄様」
エスコートするように差し出された手を取り、同時に握りしめる。
薬が効いてきたのか、強い眠気が襲ってきた。
子守歌のように独特のリズムで、レシャの呪文が唱えられる中、二人は深い眠りに落ちていった。
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