お願い、僕を捨てないで!
中西徹
第1話
「僕は、真実の愛を見つけたんだ。アンジュ・ラベー公爵令嬢」
これから卒業する上級生たちを送る卒業パーティーの席で、突如、まだ在学生であるアンジュは卒業生たちよりも注目を浴びることになってしまった。
壇上に君臨する丸まるとした金髪の青年は、豊かなブロンドを美しく結い上げ、青年と当人の瞳と同色である青のドレスを着たアンジュにおどおどした視線を送る。
「真実の、愛。ですか」
「そ……そうだ。僕は、このレシャ・フォーコネ男爵令嬢を愛しているんだ」
アンジュは美しい顔を、壇上にいる丸いお腹を突き出した脂ぎった少年に向ける。
アンジュ・ラベーはこの国の公爵令嬢であり、王太子であるイブリース・エルヴィシウスの正式な婚約者だ。
にもかかわらず、イブリースは、アンジュのエスコートを放棄して、栗色の髪と同じ瞳をした童顔だが肉感的な男爵令嬢を伴いパーティーに現れたのだ。
しかも、イブリースの瞳の色である青のドレスを身にまとわせて、だ。
婚約者であるアンジュ以外の女性をエスコートして現れたというだけでも問題なのに、「真実の愛」を見つけたとのたまうイブリースの様子に痛むこめかみを、絹の手袋をはめた指でそっと押す。
イブリースは、昔から、よく問題を起こす。
勉強は嫌いだから、家庭教師がいる間、アンジュの元でかくまってくれ、だとか。
食事よりもおやつのほうが好きだから、これから三食全てお菓子にしろ、だとか。武術の訓練が嫌だから、昼寝の時間に変えよう、とか……。
エルヴィシウス王家には、イブリース以外の子はいない。
そのため、イブリースに甘い王が、彼の我がままを全て叶えてしまうのだ。
そうしてできたのが、あの立派な肥満体系の我がまま王子、というわけだ。
割を食うのはいつも婚約者のアンジュで……。
「それで、イブリース様はこれからどうなさりたいのです?」
扇を口元に当てながら、穏やかに問い掛けると、イブリースの目が泳ぐ。
「どう……と言われても……」
イブリースは優柔不断だ。
イブリースの宝飾品を盗む侍女を処罰できず、盗まれていることを知りながら雇い続ける程度には。
そんな優柔不断なイブリースのことがアンジュは嫌いではない。
ちなみに、その侍女はアンジュが王妃に報告し、処罰を与え放免した。
その際、優しい天使のようなイブリースをたたえる言葉と共に、悪魔のような婚約者という言葉を投げつけられたが、全く気にしていない。
将来王になる者が罰を与えられないというのなら、王の補佐につく者が罰を与えればいいだけのこと。
優しい天使の妻が悪魔ならば、お似合いではないか。と侍女に微笑んだ。
その言葉通り、アンジュは、全く勉強にも武術にも政治にも興味を示さないイブリースを支えるべく、全ての武術・学問で上位を誇る令嬢となっていた。
「イブリース、婚約破棄よ。こーんーやーくーはーき」
体の線を強調するアンジュのドレスと対照的に胸元を強調したプリンセスラインのドレスを着たレシャが、イブリースの腕に絡みつき耳元で甘く囁く。
囁いていると言っても、声量が大きく丸聞こえなのだが、そこはあえて聞こえないふりをしてあげる。
周囲は、レシャの態度に目を顰めていた。
「ええ……婚約破棄だなんて、できないよぉ」
「だったら、何のためにこんなこととをしたのよ」
「だって……」
「だっても、でももなしよ。ここまで場を整えたんだから、最後まで責任を持って完遂してよね」
——あらあら、どうやらわたくしは婚約破棄されるようですわね。
扇も持たず、口元を隠すことも知らないレシャの声は、パーティー会場の中に響いている。
アンジュは、ふわりと優雅な動作で扇で口元を覆うと、にやける口元を隠す。
——結構ですわ。わたくしも、もう、あのダメ豚王子の尻ぬぐいには辟易しておりますの。王太子であることにあぐらをかいて、勉学をさぼり、武術を怠り、飽食に走り、挙句の果てに浮気まで……。
ややきつめの目元をほころばせているアンジュの前に、レシャがイブリースを突き出した。
イブリースは、この期に及んで、でもでも、だって、とレシャに言い訳をしている。
そのままじりじりと時間だけが過ぎていく。
決定的なことを言わずぐずぐずするイブリース。言質をとりたいレシャ。婚約破棄宣言を今か今かと待ち構えるアンジュ。
三者三様の様子に、周囲の雰囲気は重苦しい。
「だって……でも……婚約破棄なんて、言えないよぉ……」
最終的に、ぐずぐずとレシャに縋るイブリースの姿に、アンジュの我慢の緒が切れた。
「よろしくってよ。エルヴィシウス王太子殿下。わたくしは、婚約破棄を謹んでお受けいたします」
「そんな! 嫌だよ! 嘘だよ! 真実の愛だなんて‼」
優雅にカーテシーをするアンジュの足元に、腕に絡みついたレシャを突き飛ばしたイブリースが縋りつく。
「き……君を嫉妬させる計画だったんだ……。だから……お願いだから、婚約を破棄だなんてしないでおくれよ……」
「はぁ⁉」
——ふざけないでくださいます?
アンジュの脳裏に、今までイブリースから被った被害が駆け巡る。
イブリースが授業で居眠りすれば、その日分のノートを彼の分まで取り。
イブリースが武術場から逃走すれば、別授業を受けていたアンジュが手を止め、追って説得し。
太りすぎで、これ以上菓子類をイブリースに食べさせてはいけないと侍従たちから泣いて頼まれたアンジュは、心を鬼にして彼から菓子を取り上げた。
それなのに、イブリースの成績は下から数えたらいい方で、武術はからきし。
数メートル走ることさえままならない。菓子に至っては、アンジュの前でだけ我慢するものの、目が離れたら好き放題食べていて、体重は増加の一途をたどっている。
——いくら謝ったところで、もう願い下げですわ……。
しかし……。アンジュには、一個だけ弱点があった。
「アンジュ……お願いだよぉ」
ふっくらした頬の中に埋もれるくりくりした蒼の瞳が潤む。
捨てられた子犬のように、くんくん鳴りそうな丸い鼻がひくひく動く。
アンジュの足元に両膝をついたイブリースの姿に、王太子としての威厳はない。
——イブリース様って……。
「僕を……捨てないで……」
——イブリース様って、可愛らしいんですのよねぇぇぇぇぇぇ。
アンジュは、無類の「可愛いもの好き」だった。
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