第50話 積極性に欠けるゲイ


「最近の男子高校生は脱毛に興味があるみたいです」

「へー! 私はどっちでもいいけど、若い子は無い方がいいのかもねえ」

 一緒に品だしをしながら、福田さんと今日の話をした。

「確かに娘が推してるアイドルグループもみんな綺麗だもんなー」

 福田さんは四十代の主婦で、中学生と高校生の娘がいる。

 うちにはアイドルに興味がある人間がいないので、テレビでその人たちを見る機会は、ゲストで登場するバラエティ番組くらいしかない。

「化粧はしてるわ毛は無いわ、綺麗な顔なのに体はきっちりマッチョだわで、女として立つ瀬がない気がして、じっくり見てられないんだよねー」

「男としてもどうしたらいいんだろうって思いますよ」

 ゲイとしては本当にさじ加減が分からない。

 俺は彼らには性的な意味で興味がわかないけど、綺麗な肌や髪型は真似したいような気がする。でもやっぱり興味が湧く自分に動揺してしまう気がして直視はできない。

 うちの学校にもおしゃれな男子はたくさんいる。流行りの髪型にきちんとセットして、熊田みたいにニキビを隠すためだけじゃなく顔に何かを塗っていらっしゃる男子を見たこともある。

 彼らがどういう興味からそうするのかは分からない。割合で言えば学校にもあと何人かは、いわゆる性的マイノリティと言われる人たちがいるはずだけど、俺には彼らを見つけ出すつもりも、見つけ出されるつもりもない。

 学校の玄関前の掲示板に、そういった人たちに向けたポスターが貼ってあるけど、ひと気の多いあそこでどうやってアクセス用のQRコードを読み取らせるつもりなのかといつも思う。まあ本当に知りたければ検索すれば良いんだけど。


「いらっしゃいませー!」

 入店音に福田さんと声を上げる。常連のいつも煙草を買いに来るおじいちゃんだ。

「俺行きます」

「ありがとー」

 レジ前ですでに待機しているおじいちゃんに、「いつものですか?」と聞くと、「いや」と首を振った。俺は返す言葉を失って、「禁煙されたんですか?」と恐る恐る訊ねると、おじいちゃんはうんと頷く。それは素晴らしいと思いつつ、じゃあ何しに来たんだろうと思って、びっくりした目でこっちを見ている福田さんとアイコンタクトをしてから、「では今日は何にしましょう?」と伺う。

「なんか代わりになるもんないか」

「え」

 まだ吸えない俺に聞かれても困るな。

「ガムとか飴とか、ミントタブレットはどうでしょう?」

「たぶれっと」

 それがいいのかタブレットが分からないのか判別できないが、おじいちゃんが繰り返すのでタブレットのコーナーに導いた。

 また入店音が鳴って、福田さんが、「いらっしゃいませー」と声を上げた。

「ここら辺が全てそうです。フルーツ味か、ミント味は口の中がさわやかになると思いますけど」

 おじいちゃんの服からは長年の喫煙で染み込んだ匂いが漂っている。一体どういうきっかけで禁煙を始めたのか分からないけど、病気じゃないといいな。

「何個口に入れるんだ?」

「一個ずつです」

「一日何個?」

 聞かれて裏を見てみる。

「特に注意書きはないですけど、なんでも食べすぎは良くないかと」

「ふうん」

 

 結局ブドウ味とミント味を買って帰っていったおじいちゃんを福田さんと見送った。

「禁煙できるといいですね」

「あの年まで来たら普通はやめないけど、家族に相当言われたのかねえ」


 このことを店長に伝えると、煙草を吸っていないおじいちゃん奥さんが肺がんで亡くなったという本当に悲しい話が返ってきて、俺と福田さんの間でおじいちゃんの話はタブーになった。

 おじいちゃんは病院の人に勧められて、ガンで近しい人を亡くした人たちの集まりに参加して、「気を付けていたのに」とか、「もっと早く気が付いてやれていれば」と、残された人たちが自分を責めているのを見て大変ショックを受けたらしい。


「うちのばあさんは、俺の健康を心配していつもやめれって言ってた。でも俺はもう俺の自由だと思って喫んでたけど、まさかばあさんが死んでしまうとは思ってなかった」


 前から喫煙を注意されていた子どもたちにもかなり責められたらしく、「これを最後にする」と言って、昨日一箱買って帰ったそうだ。




「……なんともつらい話だね」

 先生がそっと言った。

 今日の先生との話題は、脱毛とおじいちゃんの話だ。

「でもショックで投げやりになるんじゃなくて、禁煙しようって思ってくれて良かった。あの年で習慣を変えようなんて偉いなって。夫婦仲は良くて、おばあちゃんも可愛い人だったらしいから」

「……そうなんだね」

「続くといいな、禁煙」

「うん」

「あ、それでね! 今日俺も色々タブレットを買ってみたんだ」

 言って電話口でタブレットケースを振った。

「そうなんだ」

「同じミント味でも清涼感の強さが色々あって、フルーツミントもあるし、今度おじいちゃんにおすすめしてみようかなと思って」

 トランプのようにケースを広げて、美味しかった順に並べる。

「今度俺にもおすすめして」

「いいよ!」

 期間限定のみかん味を一粒口に入れる。うん、やっぱりこれが美味しい。

「高瀬」

「なに?」

 パッケージを眺めながら返事をする。

「高瀬は、学校にも自分と同じようにゲイの人がいると思う?」

 言われて思考が止まった。

 話の流れが大きく変わったことに驚いたけど、今日丁度そのことも考えたなと思って、思考を巡らせた。

「人数は分からないけど、一人や二人はいるんじゃないかな。明らかにそうだって分かってる人はいない」

「割合としてはいるはずだよね」

「中学にはいる?」

「本人からじゃなくて、親から言われたりすることはあるよ。後は、そうかもしれないから発言に気を付けてあげて欲しい、とかね」

「そうなんだ」

 驚いた、中学生でもう親に話してるんだ。

「親が思うだけで違うのかもしれないし、もちろん誰にも言えない生徒もいるんだろうけどね」

「まあ、俺がそうだったしね」

 笑い交じりに言ってみたけれど、少し考えてしまった。

 進路のこともあるし、親に話してみようと一度は気が向いたはずなのに、結局それも棚上げになっている。

 バイトを始めて料理を覚えだした俺に、両親は相変わらず甘い。

 俺用に名前入りのいい包丁を買ってくれたし、父さんは会社の若い人に頼ってエプロンをプレゼントしてくれた。俺がシフトの日には仕事帰りにコンビニにも寄ってくれる。明らかに不要な出費が増えていると思うけど、もちろん嬉しい。

 良好な関係の両親に、きちんと事実を話したい。でも勇気がない。

「高瀬はもし近くにそういう人がいたら知り合いたいと思う?」

 気持ちが内側に向いていたせいか、直ぐには言葉が出てこなかった。

 ゆっくり先生の言葉を理解した後、知り合いたいかどうかより、先生はどうしてそんなことを言い出したのかという方が気になった。

「学校が同じ人とか、同じ地域の人は嫌かな」

「そうか」

 声ががっかりしているように聞こえる。

「どうして?」

「うん、高瀬も見たことあると思うけど、そういったコミュニティのポスター掲示があってね」

「うちの学校にもあるよ。でも、正直に言うとそこへ行きたいとは思えない」

「そうなんだ」

 そこへ行って見知らぬ人にカミングアウトするくらいなら親や友人に話したい。でもその踏ん切りはまだつかないし、だからそのポスターにも興味は湧かない。

「これも我儘なのかなとも思うけど」

「いいんだよ、したくないことはしなくていい」

 いつも通り先生はそう話を落ち着けた。でも俺の気持ちは落ち着かなかった。

 初めて先生が提案した。仲間を見つけたらどうかって。

「どうして今それを聞いたの?」

 ポスターは前からあった。中学の時にもパンフレットが配られたし、先生も俺が知っているのを分かってて聞いたみたいだった。

 胸の中がもやもやしている。嫌な気持ちがどこかから湧いてきているけど、どこからなのかは分からない。

「最近考えるんだ、俺がいることで高瀬を狭い場所に留めているんじゃないかって」

 先生の言葉に、もやがかった心がざわっと揺れた。

「どういういう意味?」

「俺はいつだって話を聞いてあげることしかできない。ちゃんと理解してあげられているとは言えないから、役に立つことも言えない。いつもただそばに居るだけだ」

 先生の口調が、やっぱり寂しそうに響いてくる。

 胸が何か嫌なものに撫でられているような感じがする。望まないことが訪れる時のあの感じ。

「それでいいよ。例え相手がゲイだって俺はその人とは違う人間だし、環境も違う。その一点だけで友達になれるかどうかは怪しいし、そもそもお互いをちゃんと理解するなんて難しいでしょ」

 よく知りもしない相手に自分がそうだと教える勇気はない。オープンにしているならまだしも、秘密の共有はきっとお互いに不安を生むだけだ。

「俺にも理解されたくない?」

 驚いて電話口で首を振った。

「そうじゃない! そうじゃなくて、俺は共感が欲しいんじゃないんだ。いつも先生が言うみたいに俺のままでいさせてくれるのが一番嬉しいんだよ。相手もそうならその部分はクリアできるんだろうけど、先生は一緒にいると楽しいし、困った時は話を聞いてくれるし、だから——」

 だから、もう少しこのまま頼らせて欲しいとはさすがに口にできなかった。

「でも相手もそうなら、一緒にいて楽しければその先がある」

「え……」

 何故かひどく傷付いてしまった。

「……先生がいるから見つからないわけじゃないよ」

 喉元が詰まるような苦しさを感じて、ミント味のタブレットを一粒舌に乗せた。

「ごめんね急に。成果が欲しいわけじゃないんだ。でも、高瀬は時々俺の知らないうちに何かを諦めてしまうことがあるから」

 確かに俺は大事な事に限って先生を頼らない。それでいつも先生を驚かせる。

「今は……あるものを大切にしたいって思ってる。居場所は簡単に無くなっちゃうって分かったし」


 修学旅行から帰って小塚先輩にお守りを渡しに行ったら、凄く喜んでくれた。

 買う時には少し迷ったけど、フットサルのみんなへ買ってきたお菓子も渡すと、優しく笑って、喜ぶよと言ってくれた。

 俺はそれだけで凄く救われたような気がした。笑って目を見てもらえただけで。

 ――俺さ、

 小塚先輩が何かを言いかけた所でチャイムが鳴って、走り出した俺に「また今度」と手を振ってくれた。

 なんとなくだけど、あれはわざとだと思う。

 初めての時みたいに続きを残してくれたような気がして、鼻がむずむずするほど嬉しくなった。それでやっぱり、あのとき上手く立ちまわれなかった自分にがっかりした。


「高瀬」

 黙る俺を先生が呼んだ。

「大丈夫だよ、最近は前向きに考えられてる。髭脱毛に行こう! とかね。でも今はまだ、そういう出会いには積極的になれないかな」

「そうか」

 やっぱりどこかがっかりして聞こえる先生の声に、俺の心は不安に傾いた。

「先生はもっと積極的になった方がいいと思うの?」

「いや、どうなのかな……」

 少し疲れたような息が吐かれ、俺は先生を窺い見る気持ちで耳を澄ませる。

「教師が言う言葉じゃないかもしれないけど、俺が人にできることなんてそもそもなにもないんだと思ってるんだ。結局決断するのも行動するのも本人だからね。でも、高瀬のことは他の人よりも身近に感じてるからかな、それで、もう少し何かできたらいいのにって思うんだよ」

「……もっと何かしてくれようと思ってるんだ」

「そう」

 まだ少し胸はざわついているけど、唇を摘まんで誤魔化した。

「俺は別にこれ以上何かしてもらいたいことなんてないけど」

「そこに限界を感じてるんだよ、俺では思いつかないことがもっとあるんだろうなって」

 驚いた。俺にも思いつかないことを当事者でもないのに考えたいなんて。

「先生って奇特な人だね」

「なんだって?」

「ありがとう、頭には入れておく」

「そっか、じゃあひとまず寝ようかな」

「うん、おやすみなさい」


 スマホを置くと胸がホッと下がった。

 一瞬、匙を投げられるのかと思った。もう面倒見きれないって。

 タブレットケースを重ねて机に乗せ、電気を消すと雨音がした。

 カーテンを捲ると、いつの間にか降り出していた雨が窓を濡らしている。

 ガラスに映った自分の顔を水滴が流れていく。表情は憮然としていて、気持ちは少し落ち着かない。

 ベッドに横になって、しょうがなく先生の提案についてもう少し考えてみることにした。


 今の気持ちが前向きなのは嘘じゃない。バイトは始めて良かったし、料理も割と向いていることに気が付いた。恋愛にいそしむ同級生を羨ましく思うけど、性欲まで高める気がして感情を動かしたくない。今は少しずつ生活力を付けて、自分に向いた成長をしていきたいと思ってる。ただいずれ積極的になれるかと言われると、そんな日が来る気はしないし、もちろんそれが孤独を意味するのは分かっている。


 ゲイの高校生と知り合いになったらどんな感じだろう。嬉しいのかな。ホッとする?

 でもきっと見かける度に意識してしまうだろうな。

 言いふらされたりしたらとか考えちゃうだろうし、そういう不安は知り合ってからでは取り返しはつかない。

 第一知り合って何を話せばいいんだろう。悩み相談? もし相手が親や友人にカミングアウトしていて幸せにやっていたら、励ましになるだろうか。

 妬ましく思ってしまったりしないかな。彼に倣って自分もカミングアウトして、自分は受け入れてもらえなかったら?

 一人とでは比較してしまうだろうな。ただでさえ今もみんなと比べないように気を付けているのに。

 コミュニティっていうくらいだから、年上の人もいるんだろう。その人たちと話すのは、将来について知ることができて意味があるんだろうな。

 どんな仕事をしているのかとか、職場や生活で起こりうるトラブルや対処法も、進路を決める前に聞いておいた方がいいはずだ。

 親や友人へのカミングアウトをどんな風にしたのかとか、その後の関係がどうなったのかとか、経験者しか分からない話もたくさんあるんだろう。

 きっと先生が勧めたのはそういう理由だ。ゲイじゃない先生には分からないこと。それで、今俺が想像して思いついたこと以外にも知っておくべきことがあるんだろう。


 一緒にいて楽しければその先がある。

 

 それもまあ、そうなんだろうな。

 見かけるカップルを羨ましいと思うけど、どこかで出会いたくないとも思っている。

 異性愛者がたくさんいる異性をどう見ているのか分からないけど、万が一そういう人に出会った時、俺はその人をどう見るだろう。普段心の中で思うみたいに、ちょっとした見た目の良し悪しで好みじゃないと判断して切り捨てるんだろうか。

 普段は相手にとって自分が絶対にそうじゃないからできるけど、相手がそうなら?

 俺は今まで女の子の告白をなんのためらいもなく断ってきた。今はそういう気が無いからなんて言って。

 もしゲイの人に好意を持たれたら? あまり好みじゃなかったとして、同じ言葉を言えるだろうか。

 せっかく出会ったんだから中身を見てから判断するべきな気もする。だってみんなはそう言う。取り合えず付き合ってみたら、まずは友達になってみたらって。

 対象がたくさんいる人なら見た目を加味してそれでいいんだ、でも俺はそうじゃない。少ない出会いを見た目で切り捨てていては何も始まらない気がする。でもそうじゃないと思いながら取り合えず付き合ってみるのは、とても失礼な気もする。


 相手は俺をどう見るだろう。こんな自信なさげな高校生は、それこそいまいちだと切り捨てられるのかもしれないな。

 まだよく知りもしない人にそう判断された時、俺はどんな風に傷付くんだろう。もしくは好意的に見られた時には、どんな気持ちになるんだろう。

 先生はなんて言うのかな、取り合えず友達になってみたらって言うのかな。 

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