第17話 お正月


 冬休みに入り、俺は夏と同じように短期の講習を受けて、元旦にはいつもの三人と初詣に出かけた。


「寒いねー」

 合流早々に林さんが言い、「いや、あけましておめでとうでしょうが!」と持田が突っ込んだ。

「新年から漫才してる」

 鶴見が笑って、俺も寒さに身を縮めながら笑った。


 いつもは親と地域の神社に行くくらいだったけど、今年は誘いに乗って、市の一番大きな神社まで来た。

 持田は神社で新年を迎えようと張りきったけど、三人が寒がって、結局元旦の昼過ぎに集まることになった。


「あー、お昼にあんなにお雑煮食べなきゃよかった。去年ってこんなに出店あったっけ?」

 林さんがマフラーに首をうずめながら、恨めしそうに賑わう出店を眺める。

「俺は去年は来てない」

「俺もー」

「俺は近いとこに行った」

「高瀬はよし! 持田と鶴見は去年の分もお賽銭奮発しなさい!」

 林さんが急に厳しく言った。

「じゃあ百円」

「俺もー」

 新年からどうでもいい会話をしながら、参拝の列に並んだ。

 確かにいい匂いがしている。俺もお昼ご飯は食べてきたけど、せっかくだから一つくらいはいっときたい。何がいいかな。

 出店の暖簾と匂いをヒントに思案をしていると、「あ、ねえあれってさあ、高瀬の友達じゃない?」

 林さんが指さした先に、晴れ着姿の松島さんと森崎さんが居た。

「ホントだ」

「あの二人って友達同士なの?」

 林さんに訊かれて、自分も疑問に感じていたことを思い出した。

「俺もよく知らないんだ。一度、二人でいるのを見たことがあるけど、仲がいい風には見えなかったし」

「そもそも高瀬とはどういう知り合いだっけ?」

 鶴見が二人から視線を俺に移した。

「シュークリームの子は、シュークリームきっかけだよなあ?」

 よく覚えている持田に頷く。

「うん、森崎さんね。メガネの子は図書委員の松島さん」

「ああー、高瀬は図書室によく出没するもんなー」

「熊みたいに言うな」

「じゃあ、別々に出会った二人が、実は友達だったんだ」

 鶴見が二人に目を戻した。

「そうみたい」

 二人からお互いの話が出たことは一度もなかった。見かけた時の雰囲気も良くはなかった。でもああして一緒に晴れ着で初詣に来ているんだから、やっぱり仲がいいんだろう。

「声掛けないの?」

 林さんが見上げてくる。俺は首を振った。

「向こうが気が付いたらね」

「ふーん」と、林さんの鼻が鳴った。

「高瀬って、女子嫌いなの?」

「へっ?!」

 素っ頓狂な声が頭のてっぺんから出た。

「なにその声」持田が笑って、「今のはシの音」とピアノをやっている鶴見が頷く。

「絶対音感やめて」

 俺はなんとか笑顔をこさえて、バク上がりした心拍を右手で宥めた。

「別に嫌いとかではないよ!」

 言う俺を、林さんはあからさまに疑うような目で見てくる。

「荒生さんも駄目、瀬尾さんも駄目、佐藤あかりちゃんも駄目で、三住文香ちゃんも駄目。和田さんも駄目で、あの二人も駄目」

 俺の告白履歴を正しい順番で羅列していく林さんに戦慄した。

「え?! 高瀬、五人も振ってんの?!」

 持田が驚いた目で俺を見た。

「なんで全部知ってるんだろうこの人」

 心の声を口に出すと、「女子はなんでも知っているぅ!」林さんが急に「ふははは!!」と大きく笑って、その声で丁度横を通りがかった松島さんと森崎さんが俺に気が付いてしまった。

「あ! 高瀬君!」

 二人が草履を鳴らして駆け寄ってくる。

「林、わざとでかい声で笑ったな?」

 鶴見が言って、林さんがニヤッと笑った。

 俺は、「悪い顔してる」と小声で嘆いた。


「あけましておめでとう!」

 黄色が眩しい振袖の森崎さんが、跳ねるようにしてお年始の挨拶をくれた。水色の振袖の松島さんも、小さい声で、「おめでとう」と言った。

「おめでとう、二人とも綺麗だね」

 俺が返すと、俺の方を向いたままの持田が、からかうように顔で遊んだ。俺はそれを見ないようにして、「二人は友達なの?」と思い切って訊いてみた。

 二人は顔を見合わせて、「そうだよ!」と森崎さんが先に頷く。

「どういう友達?」

 林さんが振り返って訊くと、森崎さんは驚いて、一瞬、ほんの一瞬だけ、林さんを睨むように見た。

「あ、クラスの子?」

 すぐに笑顔になった森崎さんに、「林さんと、持田と、鶴見」そばにいた三人を紹介した。森崎さんは急に視界が開けたような顔になった。

「あけましておめでとう! ごめんなさい気が付かなかった!」

「いいのいいの~」

 林さんがおばさんのように手をひらひらと振る。

 明るい声で笑う森崎さんの後ろで、松島さんがずっと黙っていた。口元が硬く結ばれている。

「松島さん、今日はメガネじゃないんだね」

 声を掛けると、松島さんはハッとして、「着物だから」と照れたように俯いた。

「髪を上げてるのも似合うね」と続けると、ますます俯いてしまった。

「そんなに俯かないで」

 俺が笑うと、森崎さんが、「ほら顔あげなよ!」と松島さんの腕をつついた。

 その時、参拝の列が動いた。

「あ、それじゃあ」

「うん! 三学期に!」

 二人に手を振って、みんなで歩き出した。

 俺は、焼きそばを食べようと、ソースの匂いにつられて決心した。


「高瀬は、悪い男だと思う」

 二人と距離が出てから持田が言った。

「俺も」

 鶴見も同意した。

「なんで?」

「さらっとした褒め方が絶妙」と林さんが眉を上げて目を瞑った。

「え、でも、女子ってあれくらい普通に褒めあうよね?」

 内心ドキドキしていた。問題なくやり過ごしたとホッとしていたところだった。

 林さんはそんな俺を見透かすように、視線を大きく上下に動かして俺を眺める。

「女同士ならね、男でそれができるのは悪い男」

 喉がぐっと押されたようになった。

 女子同士に近いんだよ! とは言えないが、悪い男だという風評もあっては困る。

「てかあの二人絶対高瀬が好きでしょ! 褒められて顔赤くしてるし、もう一人は林のこと睨んでたじゃん!」

 持田が騒いで、「俺も気が付いた」と鶴見が頷いた。

 俺もその眼差しは気になった。だからつい、松島さんだけを褒めてしまった。

「鋭い眼差しが怖かったわ」

 なぜか林さんは嬉しそうにしている。

「もう少し距離を取らないと」

 ため息まじりに呟くと、「本当にお前は誰ならいいんだよ!」と持田が俺の背中をどついた。




 おみくじは全員大吉で、お賽銭は115円を投げ入れた。

 良い縁を願うというよりも、居心地のいい友人が三人もできたことへのお礼を神様に伝えたかった。出だしはあまり良くなかったから。

 でも、新年から友人三人に悪い男だと言われてしまった。

 二人は本当に俺のことが好きなのかな。どうしよう。俺はどうしたらいいのかな。


 それから二日、三日で父さんと母さんの実家へ挨拶に行って、お年玉をもらって帰路に就いた。

「お年玉で何買うの?」

 帰りの車の中で、母さんが後部座席にいる俺を振り返った。

 正直欲しいものは無かったけど、「今年の冬になったら機種変更でもしようかな」と何となく返事をした。

「だいぶ先の話だね、機種変くらいしてあげるわよ。他には?」

 他に? 彼氏とか?

 はいはい、お年玉で買えるものだよね。

「んー、欲しいものがあまりない」

 高速道路から見下ろす街並みを眺めて呟く。

「うちって、この子に贅沢させすぎてる?」

 母さんが運転席の父さんに真面目に確認した。

「そうかあ? 会社の人はもっと色んなもん子どもに強請られて、いっつも怒ってるけどなあ」

「そうなのよね、お義姉さんとかもいつも文句言ってるじゃない? なんかないの? ゲームとか?」

「別にやらなくてもいいかなあ」

 言いながら、ゲームくらいやって現実逃避をした方がいいのかもとも思った。でもそれなら本を読む方が俺は好きだ。

「ていうか、あんたの今着てる服って、去年の正月休みにアウトレットモールで買ったやつじゃない?」

 母さんが上半身ごと振り返って、俺の服装をまじまじと見た。

「んー? そうだね、スニーカーも、上も中も全部そう」

「嫌だモテない男みたい!」

 失礼な、異性にはモテてるよ、無意味に。

「じゃあ今年も行くかあアウトレット」

 のんびりと言った父さんが、ウインカーを出して高速の出口を降りた。


 去年と同様にアウトレットモールは混んでいた。マスクをして、父さんに電子マネーをチャージされて、三人で人混みの中に突撃した。

 おしゃれに興味が無いわけではない。ダサくならないようには気を付けている。髪型だって毎朝セットしている。なにせ清潔感が大事だと初恋相手から学んでいるから。

 持田が持ってきたファッション雑誌を眺めてみたりもする。ただモデルに目がいってしまう。どの恰好が似合うかなんて会話の合間に、好きなのはこの顔で、でもこの人の方が体格がいい、とか思ってしまって頭を抱えそうになるだけだ。

 自分の為に着飾る気にもなれない、なぜなら、なんだかちょっとゲイっぽい気がするから。

 俺の脳は、ほとんど自分をゲイだと認めながら、それでも時々衝動的に否定したくなったりと、未だに平静と混乱を繰り返している。


 自分でしたいファッションもない俺は、ざっと店内を見回して、おしゃれな店員さんが履いているモデルのスニーカーと、万人が似合いそうなインナーのTシャツがセットになった無地のトレーナーを買った。パンツも買おうかと思ったが、試着が混んでいたから止めた。

 服なんて買ったって、どうせほとんど着ることはない。学生は制服と寝るときのスウェットがあれば生きていける。今着てる服だってまだ着られるんだから。

 二つの買い物袋を下げて両親に終わったと連絡を入れると、母さんから早すぎると苦情の返事が来た。

 何か飲み物でも買いに行こうかと何気なく吹き抜けから階下を見下ろしていると、そこに甲田がいた。

 なんでよりにもよって甲田が。

 俺は手すりに肘をついて甲田を目で追った。思いもよらない場所で出会うというのは、それなりに近い運命をたどっているのかな、とかちょっとスピリチュアルなことを考えながら、意外とファッションは無難だな、なんてどうでもいいことを思った。

 甲田は例によって女の子と一緒だった。

 白いふわふわしたニットに、短いパンツからすらっとした脚を出した、スタイルのいい女の子と手を繋いで歩いている。甲田の腕にかけてあるのは女の子のコートだろう。俺はそれを見て鼻で笑った。

 二人がエスカレーターに乗ってくるのを見て、俺は慌てて後ろの店の中に逃げ込んだ。

 球技大会の時に、唐突にサッカーを辞めた理由を聞かれたが、それからはまた甲田とは目も合わせていない。

 和田さんの時のあれは、時間が経ってから考えてみると、結構なことを言ってしまったと思っている。いや向こうだって和田さんを侮辱したし、俺を童貞呼ばわりした。まあ童貞は事実だけど。

「それ、試着されますか?」

「え?」

 突然、後ろから声を掛けられて振り返ると、背の高い男性店員が、俺の前にあるデニムを手のひらで示した。

「あ、えっと」

 あれ、やばい。多分この人は俺のちょっとだけ好みだ。ドキドキするから。

 立て続けに情緒が乱されて、心拍が落ち着かない。

「こちら、裏にクラッシュ加工が施されていまして」

「クラッシュ?」

 裏返すと、裏腿の辺りに大きな裂けがあった。

「これは……母に縫われそうですね」

 俺がつい素直に感想を漏らすと、店員さんは、「そうですか?」とくすくす笑った。あ、八重歯がある。

 八重歯が唐突に性癖に刺さった俺は、正直走って逃げたくなった。

 でも甲田が今後ろのどこかにいるのかと思うと、ここからは動けない。

 ここはデニムの専門店らしく、俺はどうしようかと迷って、「ブラックデニムありますか?」と訊ねた。

「ノンウォッシュがいいですか?」

 言われて意味を考えて頷く。「綺麗な感じがいいです」と付け足すと、案内されるままに奥へと付いて行った。

 ファッションも清潔感が大事だ。裏腿に穴などが空いていては困る。


 デニム専門店だったが、普通のパンツも置いていた。デニムより色落ちの少ない、黒いチノパンにすることにした。


 試着室で一瞬チャックが噛んで、カーテンの向こうにいた八重歯のお兄さんが、「手伝いましょうか?」と声を掛けてくれる。少し想像して、ふざけるな勃起するわ! と心の中で突っ込んで、「大丈夫です!」と強めに断ると、クスクス笑う声が聞こえて、首のあたりがむずむずした。

「裾上げも必要なさそうですね」

「はい」

 思ったより気に入ったラインで満足した。

 少しだけチャージをオーバーしたので、お年玉を投入することになったけど、長身の八重歯のお兄さんにお会計をしてもらって、なんだかちょっといい気分になった。

「最初は色落ちがあるので、一回は水通しをして――」

 ふんふんと聞きながら、かわいい子に接客されたらなんでも買っちゃうおっさんってこんな感じかな、と考えた。

「よお高瀬」

 覚えのある声が俺を呼んだ。

 俺は八重歯のお兄さんと目を合わせたまま、がっかりした顔をしてしまった。

「こんにちは」

「偶然だな」

 思い切って振り向くと、甲田は相変わらずのニヤニヤ顔で立っていた。

「可愛い彼女はどうしたの」

 さっきの脚の寒そうな恰好の女の子は見当たらない。

「なんだ、見てたんだ」

「邪魔しないように避けたのに」

 俺は肩を竦めて見せた。

「童貞には眩しかったか?」

 おお、まだそれを言うのかくそったれ。

「眩しいっていうか、寒気がした」

「はぁ?」

「彼女、脚の露出が多かったから」

 横で店員さんが少し笑う。甲田の眉が吊り上がった。

「お前なんなの?」

 甲田の顔からニヤニヤ笑いが消えた。

「声を掛けてきたのはそっちなんだけど」

「むかつくからだよ」

「わざわざむかつきに来なくていいよ。マゾなの?」

 ああいけない。つい一言多くなってしまう。自分でもなんでこんなに言いすぎてしまうのかは分からない。ただこいつに勝ったと思わせたくない。

「お前なんでそんなに――」

 苛立ったように一歩近付いた甲田から一歩下がる。

「ほら、彼女が探してる」

 通路できょろきょろと辺りを見回す女の子を甲田に示した。

 甲田はチッと舌打ちをすると、俺を睨みつけてから女の子のところへ戻っていった。

「すみません」

 深く息を吐きながら謝ると、カウンターに肘をついて口元を抑えていたお兄さんが、耐えかねたようにクスクスと笑った。

「いいや、面白かった」

 お兄さんは首を伸ばして店の外に視線をやって、「確かに脚が寒そうな彼女だね」と八重歯を見せて笑った。

「一回、水通しします」

 テンションが完全に下がった俺は、袋を受け取ってさっきの説明を繰り返した。

「またおいでよ」

 言われてドキッとした。

「……来年の年始には、来る、かも」

 ニヤついてしまいそうになる唇を噛む。

 鼻を鳴らした店員さんは、「残念だな」と、また八重歯を見せて笑った。


 それからしばらくの間、八重歯のお兄さんが俺のいわゆるおかずとなった。

 あの八重歯に甘く噛まれるのを想像すると、堪らなく気持ちがよかった。

 具体的な想像ってこういうことかと、声を殺しながら毎夜快感に浸った。

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