第11話 告白される深海魚
ゴールデンウィーク目前、荒生さんに告白をされた。
俺は、よかったやっぱり付き合ってなかったよね! とホッとして、同時に心底驚いた。
馬鹿を言うなと詰められるかもしれないけれど、帰り際に呼び出された時、俺はその可能性を考えに入れていなかった。
だって高校生活が始まってひと月も経っていない! まだ四月の終わりだ!
一緒に居すぎないように気を付けたし、友人という定義を遵守するように心掛けていた。
それでも可能性としては、いつか、もしかしたらこうなることがあるのかもとは思ったけど、こんなスピード告白は想定外だった。
「だめかな?」
恥ずかしそうにしながら見上げられて、顔が引きつりそうになった。
「えっと……」
自慢じゃないが、俺には中学時代ファンがいた。と言っても多分五、六人くらいだと思う。正確には分からない。同じ学校じゃない人もいたみたいだし、総数は知らない。ただ監督の田所先生はそういう子たちとの交流を禁止していたし、今思えばそれも変だったのかもしれないけど、俺も全く交流したいと思っていなくて、その子たちをまじまじと見たこともなかった。
そんなわけで、ファンがいたにはいたけれど、告白というものをされたことはなかった。
それで今、初めて人に明確に好意を示されてパニックになっている。
なんて言えば傷付けずに断れるんだろう。
俺は、荒生さんとこんなに仲が良くなっても、これっぽっちも彼女とそうなりたいと思っていない自分に、また確信を上塗りするしかなかった。そして、そのことの方が自分を落ち込ませている現実に酷く申し訳ない気持ちになって、きちんとお断りする以外にないと覚悟した。
「ありがとう、でも荒生さんとは友達でいたいんだ」
「……そっか、わかった」
声が潤んでいる。ああどうしよう。入学してひと月もたっていないのに女の子を泣かせてしまった。
荒生さんは俺を置いてその場から走って行ってしまった。
綺麗に染め直された髪が艶やかに揺れるのを見送って、その場に立ち尽くした。
もう少し時間を置かないといけないような気がした。荒生さんが俺から遠く離れる間、待っていてあげないといけない。
「はあ」
初めての告白は女の子からだった。断るのは結構しんどい。
遠くから吹奏楽が聞こえた。今の俺には合わない荘厳なBGMだ。
暖かい風に髪や素肌を撫でられながら、目を閉じて孝一のことを思った。
春休みに寮へ引っ越していった孝一を見送ってから、ひと月が経った。その間、二度程メ―ルが来た。
入学した高校の外観の写真と、寮の部屋の写真が添付されていた。二人部屋なのに、孝一の広い部屋から考えると笑ってしまうほど狭い。正面に窓がひとつ、左右の壁にそれぞれの背中合わせの机、左に二段ベッド、右にクローゼット。
本当に必要最低限のスペース。
俺は、『狭いな』と笑い顔の絵文字を付けて送った後、すぐに自分がこの部屋で生活することを想像してゾッとした。
特待生を受けていたら俺も寮生活になったはずだ。野頭高校の寮がどんな風かは知らないけど、きっと同じようなものだろう。辞めて良かったと心から思った。
楽器の音が途切れて、なんだか帰るのが億劫になって適当なところに腰を掛けた。
野球部が並んでランニングをしている。この掛け声は野球部だ。
田所先生は俺たちを一度も並んで走らせなかった。自分のペースで走らせて、自分のタイムを伸ばすように意識させた。
どんな時も我慢強く見守ってくれるいい先生だった。俺のプレーの意図を一番理解してくれたし、意図を持つことをいつも褒めてくれた。それなのに、俺は理由を言わずにサッカーを辞めた。
田所先生はあれから一度も俺に言葉を掛けなかった。ただ卒業式の日に、頑張れよと言ってくれた。
俺は泣いた。みんなは卒業を別れを泣いていたけど、俺は田所先生の元でサッカーができたことが嬉しくて泣いた。最後までできなかったことが悔しくて泣いた。
二度目の孝一からのメールで、『何もないと思うけど、もし何かあったら真結のこと頼むかもしれない』そう送られてきた時、自分がまだ孝一の親友なんだと分かった。
嬉しくて切なくて、やっぱり少し泣いた。
荒生さんの告白を断ったことで、荒生さんとは今までのようには話さなくなった。
石川さんには、「ちょっと思わせぶりだったんじゃない?」と冷ややかに言われた。
どの辺が? と聞きたかったけど、「ごめん」と呟くしかなかった。
ゴールデンウィークに入ってすぐ、瀬尾さんにも告白された。驚いたけど、メールだったから断るのはほんの少し気が楽だった。でも断るとフォローが外されて、自分も外しながら、一体何がいけなかったんだろうと考えた。
俺はゲイだから、いや、まだバイという可能性も無くはないけど、少なくとも告白してきた二人を恋愛対象としては感じなかった。
彼女たちとは完全に友達のそれだと思っていた。そしてそんなのは俺だけだったんだと気が付いた。
今までの全てのやり取りが、彼女たちの模索であり布石だった。
ああそうだ、そりゃそうか、俺たちは異性なんだから。
今までのあれは友情の始まりではなく、恋人の可能性の芽生えだったらしい。
じわっと焦りが染みだしてくる。
順調に滑りだしたと思った高校生活は、ひと月も経たずにふたつも齟齬を生み出して、完全に不穏な幕開けになり下がった。
連休は勉強をして過ごした。
父さんと母さんは二人で旅行に行ってしまった。
「高校生になったし、親と旅行って年でもないのかと思って」
そう言われるとそういうものなのかもしれないけど、それは俺に言わせて欲しかった。
私生活が充実して、友達と出かけるから行けないよと、自分から言うようになるのを待って欲しかった。
正直サッカーばっかりしていたから親ともそんなに旅行をした記憶も無いし、もっとはっきり言うと、俺も行きたかった! 大阪に!
スマホの通知が鳴って見てみると、中学時代のクラスのグループチャットが動いていた。
春休みの初めには、みんなで近況を報告し合っていたけど、段々と松永とかのよくしゃべる少数の下らないやり取りばかりになって、メッセージは見もせずに溜まっている。
一覧の一番上でメッセージの数が増えていくのを無視して、設定を開いて通知音を切った。
サッカーを辞めた時、チームのチャットグループからも抜けた。
健人や直は最後まで納得してなかったし、あんな時期に辞めた俺を怒っていた。
それ以降は学校でも話さなかったし、連絡は一度も来ていない。卒業式に写真すら撮らなかった。
しょうがない。あんな風に孝一をキャプテンに勧めておいて、両手で副キャプテンに立候補しておいて、理由も言わずに辞めたんだから。
嘘を吐けば良かったのかな。田所先生にも、みんなにも。
そうすれば、今も元チームメイトとして、時々近況なんかをやり取りする関係でいられたのかな。
何もない連休が明け、思い切って同性との友情を育むべく舵を切った。けれど船はすぐに座礁した。
俺は彼らにいつも一抹の『不満』を感じていた。
彼は面白いけれど大人が足りない。彼は偏食が過ぎるし、そのせいかひょろひょろだ。彼は無口なくせに、たまに喋るとギョッとするような毒を吐く。彼は髪にワックスを塗り過ぎてる。それになんでそんな変な色のTシャツをシャツの下に着ているんだろう。
一抹どころの騒ぎではなかった。
俺は女の子が毒を吐いても笑って流せたし、髪が変になっていたら教えてあげられた。リップの色が濃くても流行りなんだろうと思ったし、嫌いなものがあると言われたって、同じ栄養が摂れる別の食材を紹介できた。
なのに男たちには何かを思っても言い出すことができなかった。
何故なのかはあまり考えたくなかったけど、考えるまでもなく答えはすぐそこにあった。
俺にとって彼らは異性だった。同性であって異性。ややこしいな、でもそういうことだ。
中学の同級生にはそんな風に思わなかった。そうじゃなかった頃に出会っているから。
でも彼らは違う。俺は初めから彼らをそういう目で見ている。そして好みかどうか判断している。俺の好みの基準は言うまでもなく孝一だ。
俺は彼らを見て思ってしまう。孝一がいかに素晴らしいやつだったかと。
孝一がいなかったら、もう少しぼんやりとした感想になったのかもしれない。面白いんだけど、時々子どもっぽいところがなあーとか、好き嫌いが多いと一緒に食事してたら気になるだろうなあーとか。
毒舌は無い。笑えもしないし。ワックスべとべとも無理。清潔感が大事だから。
こんな調子で、俺は男を品定めしている。孝一を基準に。
明らかに自分がゲイだと駄目押しされた瞬間だった。
相変わらずみんなは模索していた。よりよい友人、恋人、自分の居場所。
俺は成長期がまだ続くことが怖かったけど、みんなはそれに期待している。急にゲイになったりしないからだろう。
友人からの紹介、その新しい友人からの紹介。幾つものSNSは出会いたい分野によってそれぞれ適性があるらしいけど、もちろん俺には分からない。
みんなはそれらを駆使して光の速さで人脈を拡大している。ように見える。俺には。
こうして年齢を重ねて大人になって、いずれ模索が進めば、結婚に至る最良のパートナーを目的とする時期が来るんだろう。
生物の正常な営み。
不安よりも好奇心が勝る大多数の行動が、そんな未来を暗示しているようだった。そしてやっぱり、その未来に自分は入っていないような気がした。
好奇心は不安には勝てそうもなかったし、積極的に人脈を増やすことは、平穏な生活を守るには、かなりリスクのある行動に思えた。
普通に紛れたいと思いつつも、群れのいる海流に飛び込む勇気が出ない。
キラキラと輝く群れをすぐそこに望みながら、海底でじっとする深海魚であることを選ぶしかなさそうだった。
まあでもそれでいい。海は海だ。青春のあれこれは諦めると決めたんだから。
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