第12話 甲田
入学してひと月が過ぎて、周りのみんなもそれぞれ居心地のいい場所を見つけたようだった。そして俺はそれに失敗した。
甲田は入学して初めに会話した男子だった。
入学当初、出席番号順で座っていた時には隣で、席替えをした後は前後になり、自然と会話をするようになった。
彼はモテる男だった。
顔が今時でかっこよかったし、それを自分でも分かっているようだった。
制服を緩く着崩して髪を染め、ピアスなんかも開いていて、少しクセのある香水を付けていた。そしてそれらがよく似合っていた。
幸い、とわざわざ言うことでもないけど、甲田は俺の好みではなかったようで、次第に色んな女の子とのやり取りが彼のSNSに上げられるようになっても、特に何の感情も湧かなかった。
彼が彼女たちとどんな遊びをしているのか、好奇心に近い興味はあったけど、どう考えても俺が憧れるような、一般的で爽やかな青春と呼ばれるものの範疇にはないんだろうと感じていた。
可愛い子や派手な子とのゼロ距離写真がSNSに上げられては日ごとに消え、また上げられる。俺も何度か遊びに誘われたが行かなかった。
女の子に興味が無いのもそうだったけど、その頃には彼と、それからこの遊びを楽しむ同じクラスの枝野と田丸とは、あまり気が合わないと感じていた。でも甲田はなぜか俺を気に入っているようで、付き合いの悪い俺を二人よりも近い存在のように扱った。
「結局、高瀬はどんな女子がいいわけ?」
唐突に始まった会話なのに、何が結局なんだかよく分からないなと思いながら、「さあ、わからない」と適当に返した。
昼休み、甲田は突然外に行きたいと言い出し、売店に行った枝野たちを待たずに、俺を連れて屋上に向かった。
学校の『本当の屋上』は三年生が陣取っていて、一、二年が立ち入れるのは一階建の第三校舎上の屋上だけだ。
本当の屋上にはまだ行ったことがないけど、ここにはちゃんとベンチがあって、校庭にある木の陰も届くし、かえって夏なんかは向こうよりも過ごしやすいんじゃないかと俺は思っている。
今日は天気がいいのになぜか他に生徒は居なくて、一番奥の木陰になっているベンチをひとつずつ使って昼食を取った。
「分かんないから色々遊ぶんじゃないの?」と、甲田はツナマヨおにぎりを齧りながら俺に言った。
そうだよね、それも別に間違ってないと思うよ、と心の中で返答する。
どうしたら、「俺はゲイだから」と言う以外で、この会話を終わらせられるだろう。
母さんが作ったサンドイッチをせっせと噛みちぎりながら、必死に脳にエネルギーを送る。
何故必死かというと、この間ついに、甲田たちのあの遊びには、性的な行為に至る場合もあるようだと確信したからだった。
こっちは初恋を終わらせたばかりだっていうのに冗談じゃない。大人の階段は三人で登って行ってくれ。
そういう訳で、早急に混ざらなくて済む理由を出来るだけ嘘のない形で提示したかった。
「俺はさ」
「あ? おう」
甲田がふたつ目のツナマヨおにぎりを齧りながら俺を見る。
同じ具のおにぎりをふたつ食う意味が理解できない。いや、まあいいや。
「俺は読書が趣味だし、勉強も好きだ。テンションは高くないし、うるさいのは苦手。流行りものにも興味が無いし、ノリもいいとは言えない」
急に『自分』を羅列しだした俺に、甲田はびっくりした顔でおにぎりを咀嚼するスピードを緩めた。
「甲田と遊ぶ子に、俺と気が合う人がいるとは思えない」
俺の最終回答に、「まあ、そうかもな」と頷く甲田に、胸の内で手ごたえを感じる。
「羨ましいとは思うよ? そうやって積極的にたくさんの人と出会いに行けるのは」
「じゃあくれば?」
今のはお前への配慮だよ。通じないのかよ。
俺は笑顔を作った。
俺は女の子に出会いたいんじゃない。それに、「そんな風に出会いたくないっていうかさ、まあ、ちょっと贅沢なのは分かっているけど」
またもぐもぐと米を噛みだした甲田は、何も言わずに遠くに目をやった。
話は通じたんだろうか。正直そんなことも不安になるほど気が合わない。放っておいてくれたら俺からは話し掛けないのに、甲田はどうして俺を誘ったりするんだろう。
会話が途切れ、不安になった俺の気を引くように、さぁーっと青葉を揺らした初夏の風が、俺の額も撫でていった。
ああ、もうすぐ夏が来る。
黙る甲田を放って、好きな季節への移ろいに心を預ける。
夏への期待感が、ようやく俺にもみんなと同じようなワクワクを湧かせる。
俺だって青春には憧れる。人を好きにだってなりたい。
次はきっと孝一の時みたいに男を好きな自分に動揺したりしない。ちゃんと納得して好きになる。でもきっとその人はゲイじゃない。
俺はその人にどれくらい近付いていいのか分からずに、もしくは近付くこともできずに、叶わない妄想ばかりを繰り返して、切なさだけを経験するんだろう。でも、それでもいい。そんな人に出会いたい。
「俺をバカみたいだと思うか?」
「え?」
内側にあった思考が、甲田の唐突な言葉に引き戻された。
「ああやって、色んな子と遊ぶ俺を」
甲田の目は、自信に満ちたいつもの眼差しとは少し違って見えた。
何で急にそんなことを言うんだろう。
「楽しいんじゃないの?」
「楽しいよ、モテるのは」
「……そう」
素直なのはいいことだ。驚くけど。
「いい子はいたの?」
甲田は眉を上げて視線を彷徨わせる。
「いたり、いなかったり?」
「いたならその子と次に進んでみれば?」
「セックスするとか?」
「ええ?」
びっくりして声が大きくなった。甲田が驚いた俺を笑う。
「付き合ってみたらって意味だよ!」
肩を震わす甲田が適当な返事を寄こす。
「雰囲気でそうなることはあるだろ? 付き合うより先にさ」
俺はのどかな空に目を向けた。
俺にそんなことがあるわけないだろと胸の内で突っ込みながら、孝一の部屋で勃起したあの日を思い出さざるを得なかった。
「そんな雰囲気になったことはないよ」
少々硬くなった声の俺を甲田は疑うように覗き込んだ。
「お前、中学の時ファンがめちゃくちゃいたって聞いたぞ? この前だって告白されてたろ。お前高校に入って一体何人振った?」
あれからもう一人、別のクラスの知らない子に告白された。喋ったこともない子だったから本当にびっくりした。というか何でそれを甲田が知ってるんだ。
「ファン……みたいな子たちはいたけど、大人数とかそんな大そうなもんじゃないよ。話が大きくなってるんじゃない?」
途端甲田は、「なーんだ」と気が抜けたようにベンチに寝転んだ。
「ファンとやりまくってんのかと思った」
絶句。
「——そ、それは甲田がそう思ったってだけだよね?!」
勢いで半分立ち上がって聞き返すと、「うん? うん」
ベンチの上で甲田の上履きがぱたぱたと動く。
俺は飛び出るかと思った心臓を撫でおろした。
「そういう噂が出回ってるのかと思った……」
「なんだ、じゃあお前童貞?」
急にバカにしたように言われて、俺の心は一撃で萎えた。まさかとは思うがそんなことで優劣を決めるつもりなんだろうか。
「そうだよ」
クスクス笑う声が肯定した俺を囲う。上靴もからかうように揺れている。
「別に恥ずかしくないけど」
「いやー、お前っていつもヨユーそうにしてんじゃん? 遊びに誘っても来ないしさ、告白も全部断るし。彼女がいるのか、もうちやほやされるのに飽きてんのかなって思ってたんだよ」
妙に晴れやかにペラペラと喋る甲田に、俺は呆れた気持ちになった。
「それでバカみたいだと思ってるか聞いたの?」
「そ」
「さっきも言ったけど、自分には合わないと思うからだよ」
「ふーん、分かったわ」
甲田はベンチの上で仰向けになったまま、しばらくクスクスと笑っていた。
それが自分の勘違いについてなのか、俺が童貞だということに対してなのかは考えないようにした。
甲田はそれからも女の子と遊ぶ投稿を繰り返していたし、俺を前のようには扱わなくなった。
甲田は俺を下に見たのだ。
そのあからさまな変化は、いっそ清々しいほどだった。
初め甲田のことが好きで、その後、俺に告白してくれた和田さんという女の子は、派手な子ではなかったけど、手足がすらっとしていて、黒髪のボブがよく似合う可愛い子だった。
図書室で何度か見かけて、何となくお互いに認知しあった頃、俺が自習テーブルで中学の担任の中屋先生に教わった世界史の時系列まとめをしていると、「それ何してるの?」と話しかけて来た。
説明すると、自分もやってみたいと言って隣で真似を始めた。
間を埋めるために、先生から聞いた世界史雑学を教えてあげるととても喜んで、それから図書室で会うと会話をするようになり、最終的に俺のクラスの甲田がかっこいいという話になった。
正直なところ、例の件もあって少し言うのを躊躇ったけど、友人だよと告げると、和田さんは飛び上がりそうなほど驚いて、「言わないでね!」と強く念を押された。
俺はその必死さに笑ってしまった。
俺を気にしなくなった甲田とも、一応変わらず付き合いは続いていた。
まとまりが偶数な方が何かと都合がよかったし、この三人はあまりクラスの人間と関わろうとしないから、団体行動をするときに俺が便利だったんだと思う。
今思えば止せば良かったと思うが、軽い気持ちで、「俺をダシにしなよ」と、俺に用事がある風を装ってクラスに来た和田さんをそばに居た甲田に紹介した。
甲田はチラッと和田さんを見て、「よろしく」と笑った。
微笑まれた和田さんは目に見えて浮かれていたけど、甲田の好みじゃないんだとすぐに分かった。
あんなあからさまに一瞥して切り捨てるなんて、俺はもの凄く腹が立った。
自分だって好みかどうかで男を判断するけど、心の中での話だ。周りの二人が直ぐにそれと気付いて、不憫そうに和田さんを見ていた。
嫌な結果になって心底後悔していたけど、それからほどなくして和田さんが、「甲田君は、私には興味を持ってもらえなさそう」と告白してきた。
どうやら連日のSNSの投稿を見たらしい。
「甲田に興味が無くなったって言っても、悪いようには思わないよ」
俺が和田さんに本音を勧めると、「女の子と遊び過ぎてて引いた!」と顔をしかめて、二人で笑った。
俺はあんな眼差しを向けた甲田に和田さんが興味を失ってホッとしたし、甲田にはざまあ見ろと思った。和田さんは甲田の好みではないだけで、可愛いし、頭もいいし、甲田を選ばないという正しい判断が出来る女の子だ。
彼女にはもっとちゃんとした男子が似合う。人の童貞を笑わないような人が。
梅雨に紛れて夏がきて、体育祭が近づいた頃、D組の三住さんという女子に呼び出された。
水たまりを避けながら、渡り廊下の横の中庭で向かい合う。
結構人目があって、少しそわそわした。
「あの、高瀬君って彼女いる?」
告白も四回目になると流石に驚かない。
「いないよ」
事実を返して、次の言葉を覚悟した。
「私と、付き合ってみてもらえないかな?」
付き合ってみて?
初めての言い回しだ。みてってなに、試しにってこと? それで勝率が上がるのかな。覚えておこう。使うことないと思うけど。
告白には慣れたものの、頭の中では早口になる。
「ごめん、今そういうことに興味がなくて」
嘘、ある。女子にはないだけ。
「そっかぁ、わかった。ごめんね、時間取ってもらって」
気まずそうにする顔が赤くて、どうしても胸が痛む。
「全然いいよ!」と、とにかく明るく笑顔で返す。
「じゃあ」
彼女は俺を置いて走って行ってしまった。
この時の虚しさにはまだ慣れない。俺は何も悪くないはずなのに、なんで置いてけぼりにされたような気持ちを味わわなければいけないんだろう。
「はあ」
息を吐いて気持ちを切り替え、教室に戻るために歩き出した。
どこか上の方で見物人の笑い声が聞こえた。
一体彼女が俺の何を気に入って告白してくれたのかは分からないけど、俺はそれが気にもならない。
かわいい子だったと思う。腕の中にすっぽりと収まりそうなサイズで、黒髪がよく似合う色の白い子だった。ふわっと染めたような赤い唇で、まつ毛が綺麗に上がっていた。
きっと言われるんだろう。付き合ってみればよかったじゃんって。
俺が男に告白して振られたとして、相手はどんな気持ちで教室に帰るんだろう。
普通の男は、興味が無い同性に告白されたらどう思うのかな。
男に告白されたー。
へー、どんなやつ?
そこそこ身長あって、昔サッカーが結構上手かったやつらしい。
へー付き合ってみればよかったじゃん。
いや、俺男は無理だからさー。
あー。
そんくらいの感じだったらいいね! そんなわけないか!
そもそも俺は、ゲイかどうかも分からない、喋ったこともない人に告白なんかできない。
一体どういうメンタルなんだろう。俺には全然分からなかった。
考え事が捗って、無駄に遠回りをしながらとぼとぼと歩いた。
俺がゲイじゃなかったら、かわいい子だったし付き合ってみてもいいかって思うのかな。彼女もいないし、もし合わなくて別れても、あのかわいい子と付き合ってたんだって言えて嬉しいのかな。
「三住さんだろ? 付き合ってみればよかったじゃん!」
案の定、クラスに戻ったとたん田丸が言った。
なんでもう知ってるんだろう。告白されたことも、断ったことも。
俺の知らない最新のSNSがあるんだろうか。
こんなプライバシーの無い世の中で、あんな風に告白できるのは、多分彼女が可愛いからなんだろう。
俺はついそう思ってしまって、頭の中で奇声を上げた。
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