第17話 薬木の林_3

森に差し掛かると、月明かりも完全に遮られて闇が増した。


馬が怯んだようにいなないたが、ドゥカイはそれを上手くなだめて、メナに振り返る。


「灯りをお願いできますか」


メナは、燃料の節制のために火を消していたカンテラを取り出して掲げる。


火よフレマト


彼女の「起音インティ」に合わせてカンテラの内部に火が灯り、森の影が少し薄れる。


ドゥカイはそれを受け取り、高く掲げて先を照らしながら馬を促した。先までと比べればゆっくりだが着実に馬車は進み始めた。


森道は想像以上に見通しが悪い。

道幅は十分にあるので道を外れる心配はなかったが、木立こだちの奥を見ようと目を凝らしてもみきから伸びる影に遮られ、ほとんど何も見えない。


「―――こうも暗いと待ち伏せなど分からないではないですか」


「確かに、気づきようがありませんわ」


メナとギノーがぼやくと、ドゥカイは小さく声を上げて笑った。


「木が灯りを吸いますからね。こういう時は目より耳を使うのがいい」


ドゥカイの言葉はもっともだが、視界による警戒を完全に捨てるのには、なかなか勇気がいる。


「それでは後手に回りませんか?」


メナがたずねると、ドゥカイは真剣な表情でメナに振り返った。


「―――そもそも、待ち伏せが考えられる時点で後手に回っているのです。こちらに考えられるのは被害をなるべく抑えること、それに尽きます」


「何故です?」


ドゥカイは正面に向き直り、森の奥を指差した。


「たとえば、あの木の裏に何者かが潜んでいたとしましょう。ですが、この角度からではその姿を見ることはできません」


メナはドゥカイの示す先を見て、確かに見えないことを確認する。見えるのは木の幹とその後ろの黒い影だけだ。


「相手はそれがわかっていて・・・・・・、そうしている訳です。探したところで見えるはずがないでしょう?」


メナは思わず「あぁ」と声を上げた。


自分が待ち伏せをする側なら、しっかりと準備をしてから相手を待つ。

隠れるならば道からは見えない場所を探す。

言われてみれば当然の話だった。


だからこそ「耳」なのか。


メナは感心してドゥカイの背中を見つめる。この場において彼がいて良かったと、心の底から思った。


「―――それに待ち伏せをするなら、こんな入口ではしませんよ」


「それは?」


「急襲とは、油断を突くもの・・・・・・・です。緊張して辺りを警戒している時より、緊張が解けて気が緩んだ瞬間を狙えば、もっと効果的だ」


メナはそれを聞いてはっと閃く。


「森の出口が怪しいと、そういうことですね?」


「さすが姫様、物分かりが良い。森が終わり視界も開けて、もう待ち伏せなどない、なんて考えている時は一番やりやすいでしょう」


彼の言う通りならば確かに、いま気を張りすぎることは得策でないように思えた。


「はぁ。待ち伏せ一つにしても、奥が深いものでございますのね。私にはさっぱり―――」


ギノーがメナの横で感心したように呟いた。


彼女がそういった物事とは無縁に生きてきたことがわかる、気の抜ける、だが忘れかけていた日常を思い出す一言だった。


メナとドゥカイは思わず吹き出すように笑いだした。

いままで緊張していただけに、一度決壊すると止まらなかった。


ギノーはしばらく目を丸くしてふたりを見ていたが、笑い続ける二人に釣られ笑い始める。


ひとしきり笑って目元の涙を拭き取るころ、森の出口はもうすぐそこにまで近づいていた。


幸いにも、その間には獣による襲撃も、追黒服による待ち伏せもなく、平穏無事に森を抜けることができた。


「―――そろそろ、切り替えましょうか」


ドゥカイは切り替えも早く、気づけば目元の鋭さが戻っている。

メナとギノーもそれにならい、周囲の警戒を始めた。


辺りの物音を聞き逃すまいと、全員が意識を集中させる。


「―――……」


馬車が進むにつれて葉がまばらになり、空が透けて見え始めてきた。


「―――……」


隠れられるような茂みや樹木がなくなり、遠景の望める草原が見えてきた。


冷たい風が吹き抜けて、背後の茂みをガサリと揺らした。


「―――……!?」


メナは勢いよくその方向に振り返った。


しかし、そこには何もいない。


三人は何事もなくあっさりと森を抜けたのだ。


「―――何も、ありませんでしたわね」


ギノーの呟きに頷いて、メナは改めて辺りを見渡す。あまりに拍子抜けの状況が信じられなかった。


しかし周りの開けた草原には、人影はおろか、鳥獣ひとつの気配すら感じられなかった。


「考えすぎだったのかも知れませんな」


ドゥカイもそう言って笑う。


未だ緊張の色は見えるが、少なくとも先ほどのような張り詰めた雰囲気はない。


「それはそれで、複雑な気持ちではありますが……」


追手も待ち伏せも存在しないということは、メナが上手く逃げ切れたのか、そもそも追手の必要がなかった・・・・・・・のか、そのどちらかだ。


ドゥカイは、メナの言わんとしていることを察したのか、話を少し脇に逸らした。


「何にせよ、教会領であれば助かる希望も見えてくるというものです」


「そうですね」


メナは顔を上げて道の先を見た。


白んでいく空の下、白亜の岩肌をさらした、まだらな緑の小高い丘と、その裏に見える楼閣ろうかくの先が見える。


「行きましょう」


貴石教会の本拠地、大聖堂はもう目と鼻の先だ。


彼女たちはたった一夜の、されども長い旅路の終わりを感じ、互いに頷きあったのだった。


メナは夜が明けていく様子を馬車の上で静かに見上げていた。

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