第3話 月下の城_2

彼女が目を覚ましたのはどこからか響いてくる喧騒けんそうと、書庫のそばしつらえられた寝室の前を騒々そうぞうしく駆け回る誰かの足音がうるさかったからだ。


晩夏とはいえ、久しく涼しい心地の良い夜だっただけに叩き起こされた彼女の気分は悪かった。


こんな夜更よふけに何事かと、彼女は眉をひそめて枕に頭をうずめ、なんとか二度寝しようとこころみる。


しかしその試みも気分も、次第に大きくなっていく呼び声によって打ち砕かれた。


「―――メナ様!」


蹴破るかのような勢いで押し開かれた扉の音に驚き、彼女は飛び起きた。


そこには彼の持つカンテラの灯りに照らされた、見慣れた従者の見慣れぬ慌てた顔があった。


ドゥカイだ。


彼女の護衛として長年つとめてくれているこの男は、全盛期も過ぎて目元にシワが目立ち始めているとはいえ、まだまだ現役で働けるだけの体力を持っていた。

大仰な警護を好かないメナに付けられた、数少ない従者の一人である。


そんな彼の刈り揃えられた茶褐色のあごひげには今、大きな汗の玉が浮いており、激しい呼気に合わせてしたたった。


そしてメナの驚く顔を見るなり、少し安心したように息を吐いてから、真剣な表情で彼女に告げる。


「―――敵襲です」


敵襲。


図らずも外の喧騒の理由を知ったメナは、その言葉を理解するまでに一瞬の時間を要した。何せ、その手の話は近頃全く上がってこなかった。


「―――え、は、それは……いえ、はい、そうですね。それじゃあ」


動転するメナに対して、彼はゆっくりとした口調で彼女をなだめた。


「落ち着いてください。ですが、何か羽織るくらいはした方が良いかと」


彼女は寝台から立ち上がって、自分の格好を見下ろす。

確かに寝巻きの薄い生地ではあまりに心許こころもとない。


メナはひたりと地面に足を着き、衣掛けの中からなるべく地味な羽織を一枚取り出してまとった。本来なら侍従ギノーを呼ぶところだが、今はそのようなことを言っている場合ではない。


「わたし以外はどうしています?」


動きやすい靴を選んで履いたメナは、靴紐くつひもを絞めながら家族の安否をドゥカイにたずねた。


「―――分かりません。ですが、ぞくは既に城に侵入しています。確認の余裕はないでしょう」


「―――……そうですか」


メナは暗い予感が頭をよぎったのを悟らせぬよう、顔を引き締めて立ち上がる。仮にも王族である以上、いたずらに感情を表に出すのははばかられたのだ。


しかしドゥカイにはお見通しだったに違いない。彼は悲しそうに言った。


貴女あなたここに居た・・・・・のは、ある意味で幸運でした」


メナの寝室は本来、別所だ。


しかし彼女はしばしば、城の裏手にしつらえられた書庫、その脇にあるこの部屋で夜を明かしていた。今夜もその例に漏れず、もはや私物化したこの部屋にいたのだ。ここはある意味で隠れ家のような場所だった。


「―――……」


ドゥカイの言葉の真意は、想像に難くない。

彼の言う通りメナは・・・幸運だったのだろう。


準備を終えたメナは顔を上げ、従者に声をかける。


「―――ドゥカイ、行きましょう」


しかし、用意が整う瞬間を見計らったかのように、何者かが部屋に飛び込んで来た。

警戒して振り返るが、そこには見覚えのあるふたりがいることに気づく。

ひとりは中年くらいの大男、セジン。そしてもうひとりは、メナと同い年の少しふくよかな女性、ギノーだ。


セジンはメナと目が合うと太い首を下げて会釈えしゃくをしてから、ドゥカイに語りかけた。


「ドゥ、正面は修羅場しゅらばだ。衛兵が応戦はしているようだが、どんどん前線が下がっていやがる。ここが見つかるのも時間の問題だぞ」


「―――裏門はどうだった?」


やっこさん、どうにも城の構造に詳しい・・・・・・・・らしい、当然のように見張り付きだ。だが、まだ数は多くない、押し通れないこともない・・・・・・・・・・・ぞ」


「―――うまやは?」


「それは……」


言いよどんだセジンに代わってギノーが答えた。


「えっと、宿舎から見えましたわ。たくさんの黒服・・の方々」


「―――となると、正面突破は難しいか……仮に門を抜けられたとしても……厳しいな」


ドゥカイの言葉を最後に、部屋に重い沈黙が拡がった。


つまりは現状、安全な逃げ道・・・・・・がないのだ。


ドゥカイは眉根にシワを寄せ、提案を口にする。


「―――このまま、ここに居るのも危険でしょう。どのような手段を取るにせよ、裏門に一番可能性・・・がある……そこを目指しましょう」


時間が経てば経つほど、危険は増していく。メナとしてもこばむ理由はない。

メナが頷いて方針が決定するが、彼女は不意にあることを思い出して彼らを呼び止めた。


「あ、少し、待ってください」


彼女は寝台の脇の鏡台に向き直り、その引き出しから、赤い宝石を抱いた金色の鎖を握りしめる。


それは兄から受け取った形見であった。


「―――すみません、お待たせしました」


メナが三人の元に急いで戻ると、ドゥカイが即座に頷いた。


「それでは、行きます!」


開け放たれた扉の先、廊下を挟んだ窓の向こうの光景は、存外に静かなものだった。

雲で隠れた月の光が夜の暗さを引き立て、一見すると何事もない夜と錯覚してしまう。


しかしだからこそ、それを下から照らす松明たいまつの赤い光は目立った。

その火の粉は、空に絶望を撒き散らしているかのように舞い、空に溶ける。

メナは立ちすくみ、呟いた。


「―――これは」


ただの襲撃ではない。


無駄のない計画的なこの襲撃がそう感じさせるのか、時々響く喧騒は劇中の台詞のようだ。

城の陥落かんらく表題テーマにした悲劇の幕が開かれ、彼女たちはその只中にいる。その結末がどこに至るのか、それを知るのはきっと、この舞台を描いた存在だけだ。

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