第1話

カンカンカカンッ...ダンダンダダンッ

乱暴に階段を上ってくるその足音だけで佐々木玲奈はその人物を察知した。築50年の年季の入ったこのビルにはエレベーターがなかった。5階までたどり着くころにはいつも軽い動悸に襲われるのだが、都心部にアクセスが良くて12坪以上、目立たない場所に立地している、等の一定の条件を満たしている格安物件はこのビルのほかに見つからなかったので致し方無い。さっき本日のノルマをこなしに出ていったばかりなのに、ものの20分でヤツは戻ってきた。実際に今回の案件はそんなに時間がかかるものでもなかったが、騒がしい人間のいない穏やかなひとときをもっと堪能していたかったのに。大きく舌打ちをしてドアを睨んだ。

「たっだいまーー」

満面の笑みでその男はドアを勢いよく開けた。森蒼汰は今年で24歳になるのだが一応ここのメンバーで最も古株の人物だ。

「階段壊れそうだから気を付けて上って、って何度言ったら分かんのよ」

鋭い睨みと忠告を笑顔でかわすと、汗をぬぐいながら彼は得意げに話す。

「今日は去年の時より注目された気がする!やっぱ俺って才能に恵まれてんだなー」

彼の長所はポジティブなところだが、短所もポジティブなところである。大口を叩くが、調子に乗ってプロジェクトに失敗したことも少なくない。

 ズシ、ズシリと、ゆっくりとしているが力強い足音が廊下に響く。玲奈は慌てて冷蔵庫の扉を開き、ドアポケットに立ててある麦茶に手を伸ばす。某メーカーの型落ちのもので、たまに思い出したようにギーギーと悲鳴を上げるが、予算の都合上、買い替える予定も当分ない。玲奈は今日のプログラムを頭で整理しながら、ペットボトルの麦茶を紙コップに注いだ。走ってドアを開けに行くと、そこにはしゃんと背筋を伸ばした初枝が立っていた。

「こんなに体力使ったのはいつぶりだったか。人混みにそうやすやすと年寄りが行くもんじゃあないね」

そう言う割には全く息が上がっていないのには驚きである。73歳という年齢でも足腰に全く衰えを感じさせない。神宮初枝は3か月前に劇団に加入し、メンバーで最も新人だが、その演技力は劇団一だと劇団のメンバーはみな確信しているが、自分の演技にしか興味のない蒼汰は、唯一気づいていない。

 「それにしてもはっちゃんの後ろにいたおっさんは心動かされてた感出ていたねえ。ああいうのを見ると役者やっててよかったーって改めて思うわ」

年の差が50もある相手に平気であだ名をつける。こいつはそういう男だ。冷めた目で玲奈は蒼汰を見つめ、無視を決め込む。

「暑くて大変だったですよね。座ってお茶でも飲んで下さい」

そう言って初枝をエスコートしていると、

「俺らのこと忘れてね?なにげに今日のキーパーソンなんだけど」

振り返るといつの間にか初枝の背後に学生服を着た二人の男が立っていた。小林兄弟だ。福岡の田舎から上京してきて、2人ともしばらく一般企業に勤めていたらしいが、俳優を目指し、この劇団にたどり着いた。プロジェクトでは何かとちょい役に起用されるのを、最近不満に思っている。兄の信二は二枚目キャラを演じたがるが、以前試しにやってみたのが散々な結果に終わったことを、本人も自覚しているので口には出さない。弟の武は顔に似合わず、中川家のような兄弟漫才をしたいらしく、こっそりひとり、事務所に朝早く来ては練習している。 玲奈は何度かその姿を見かけたことがあるが、何となく知らないふりをしている。

「二人ともお疲れさまっ。で上手くいったの?」

玲奈はこの「劇団うまづら」の劇団長兼何でも屋で、世代や性格もばらばらな全員をうまくまとめている。いわば縁の下の力持ちである。

「俺らのあのしたり顔が効いたんだよなっ武」

「いやいや、俺の爽やかなスマイルにやられたに決まってるっしょ」

「「俺(ら)だよっ!」」

また始まった。信二と蒼汰は顔を合わせるとすぐに競い合う。まさに犬猿の仲だ。

彼らは今回のプロジェクトでの成果について争っている。このプロジェクトというのが現在の「劇団うまづら」の活動の90%を占めている。これがまた、特殊な活動なのである。


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