不思議なおじいさんと私

陽麻

不思議なおじいさんと私

 風邪をひいた。

 しかし、風邪をひいても店にはいくわけで。

 ごほごほとせき込む喉を飴でごまかし、お客様に失礼のないようにマスクをしてレジに立っていた。

 そう、私の職業はスーパーの店員。一応社員だ。だから、なおさら風邪くらいでは休めない。


 夜八時を回って退社時間になると、私はまっさきに着替えて店の近くに借りているアパートへと帰った。

 広くもなく狭くもない私のアパートは、11月の寒さで室内が冷え冷えとしている。

 すぐに暖房を最大にして入れ、なにか飲もうと冷蔵庫をあけた。


「あちゃー……」


 そこには牛乳といくつかの野菜のかけらしか入っていなかった。

 買い物をしてくるのを忘れていた。夕飯はどうしようかと考えて、作るのも面倒くさいことに気が付く。身体の具合がわるすぎた。

 取り敢えず、当初の目的である飲物をと、牛乳をレンジで温めて蜂蜜を入れたものをゆっくりと飲んでいった。

 暖かくて甘い液体が腫れているであろう喉を通って、ゆっくりと胃の腑へ落ちる。

 美味しい。

 だけど。


「なんか寒い……」


 それにだるいし気持ち悪い。

 風邪は家に帰ってきて安心したことで、一気に悪化してきたようだった。

 牛乳を飲んだらもう寝てしまおう。

 一人暮らしはこういうとき、本当につらい。

 だれもいない寂しさもあるけれど、食べるものの確保もままならないのだから。


 牛乳だけのすきっぱらで布団を敷いて潜り込む。

 明日起きたら、風邪が治っていることを祈って。




「いらっしゃいませ」


 スーパーの開店時刻、次の日に私は同僚のあいさつを受けて一番に店内に入った。

 そう、今日の私はお客さんだ。

 仕事はお休みなので、食料の買い出しにきたのだ。

 近くにコンビニもあるけど、やっぱりスーパーの方が安いしね。それに自分の職場の売り上げにも貢献しなければ。


美登里みどりさん、いらっしゃい」


 店内に入ると、ちょうど行き会った店長が私に声を掛けてくれた。


「店長、おはようございます。今日はお買い物をしにきました」

「そうみたいだね。ほら、あっちで美登里さんを待ってる人もいるし」


 私を待っている人?

 店長の言っている意味が良く判らないながら、そちらへ目線を移す。

 すると、八十歳すぎだろうと思われる背の小さい痩せたおじいさんが仁王立ちで立っていた。

 他のお客さんからはなぜか浮いて見える、ちょっと変わったおじいさん。


「おう、美登里ちゃん、ひさしぶりだな」


 まったく見知らぬ人だ。顔は皺に覆われて、口元もしょぼしょぼしている。

 でも、矍鑠かくしゃくとして元気がいい。そして、なんだかやけに私に馴れ馴れしい。私のことを美登里ちゃん、なんて呼ぶなんて。


「あの……どなたでしょうか? 私、会ったことがないと思うんですけど」

「そうだな。俺と美登里ちゃんは、美登里ちゃんが赤ちゃんのときに会ったくらいだ」


 にかっと笑ったそのおじいさんは、私の買い物用カートを奪い取ると、「さあ、買い物をしよう」と私の先に立って歩きだした。


「ちょっと待って、赤ちゃんのときって……何ですか? それに勝手にカートを取って行かないでください!」

「まあまあ、昨日の夜はなんも食べてないんだろう? ならば食べなきゃな」


 おじいさんはカカカッと笑うと野菜と果物のコーナーへとカートを滑らせた。


「まず、りんご。りんごを買っていこう。りんごはいいぞ。栄養満点だ」


 おじいさんはリンゴを二つカートの籠へと入れた。


「私、リンゴ嫌いなんですよね……硬くて歯にしみるから」

「リンゴはいいぞ! 甘くて美味い!」


 おじいさんは全然人の話を聞いていないようだった。


「次は柿だ! 柿はビタミンがいっぱい入ってる。今の美登里ちゃんにはちょうどいいもんだ」

「はあ……」


 柿はまあまあ好きなので籠に入れられる三つの柿をだまってみていた。


 おじいさんは野菜売り場に来ると、太いネギをわしづかむ。


「今度はネギ! うどんに入れると美味しいよ! うどんも買っていこう」


 またカカカッと笑ってネギとうどんを籠へと入れる。

 まあ確かにネギは切らしていたし、風邪にいいっていうし、うどんに入れると美味しいのは本当なので買ってもいいか。


「あと卵もな! あ、でも美登里ちゃんはたまごアレルギーがあるんだったな! うどんに入れると美味しいけど、仕方ない」


 おじいさんは私の卵アレルギーを知っていた。

 不思議だと思っている間に、手にとった卵のパックを棚に返していた。


 そのあと、おじいさんはふんふんふん、と鼻歌を歌いながら野菜と果物のコーナーを通り過ぎてお菓子のコーナーにきた。

 そこには私の大好きなチョコレートが並んでいる。


「何か一つ買っていこうかなー」


 私がおじいさんにそういうと、おじいさんは顔をしかめた。


「美登里ちゃん、そんなものはいらん! 戦争を思い出す代物じゃないか! 俺はチョコレイトなんて嫌いだ!」


 チョコレートで戦争を? いまいち意味が判らなかったけど、私はチョコレートが欲しかった。棚からチョコレートを手に取っておじいさんに食い下がる。


「おじいさんが食べるわけじゃないでしょ。私が食べるんだから買っていきます」

「いーや、だめだ。チョコレイトなぞ、虫歯になるだけだ。それに太る」


 おじいさんは鼻息荒く腕を組んで胸をそっくり返して私を見ていた。

 私はその無駄に鋭い眼光に負けて、手に取ったチョコレートを棚に戻した。


 脱力しながら、私はカートを押して歩くおじいさんのあとをついていく。

 なんなんだ、このおじいさん。


「次、肉、肉―!! 肉は力になるからね!」


 おじいさんは鶏肉を籠に入れてカートをまた押して行く。


「なあ、美登里ちゃん、食べものがあるってとっても大事だよ」


 おじいさんは後ろを歩くわたしに、振りかえって笑った。


「食べなきゃ力が出ないし、そもそも生きていけない。食べれば風邪だって治るさ! 栄養のあるものをたくさん食べて、動いて、いつまでも元気でいるんだよ」


 そうおじいさんがいったとき。

 ぱあっと光のうずに私は巻き込まれた。


 そして、気が付いたときには、朝の光が差した部屋、布団の中で寝ていた。

 私は布団の中で呆然とする。


「あー。夢?」


 夢オチというやつか。

 そう思って納得した。

 あんな変なおじいさん、どこを探したっていないよな、と思う。

 そう思いながら時計を見ると、朝の十時。

 今日は仕事がない日だけど、やっぱり買い物をしてこないと朝食べるものがない。


 でも、まだ頭が痛いし、喉も痛かった。

 布団から出たくない。

 寝ていたい。


 布団の中でごろごろしていると、インターホンが鳴った。

 何かと思って出てみると、宅配便だという。

 荷物を受け取ってダンボール箱の中を見てみると、昨日おじいさんと買ったものが入っていた。

 リンゴ、柿、ネギ、鶏肉。それに温めれば食べられるうどん。


 差出人は実家で、送った日は昨日の午後だ。


 奇妙な偶然の一致を不思議に思って、私は実家に電話をかけた。


 詳細を聞くと、母もおとといに夢をみたのだという。母のお父さん、私の祖父にあたる人が、これを私に送れ、と言って夢に出てきたのだという。

 あんまりリアルな夢だったから取り敢えず送っておいた、とのことだった。


「おじいちゃんってどういう人だった?」


 私は一つの確信をもって電話の向こうの母に聞いてみた。


『そうねえ、八十過ぎまで矍鑠かくしゃくとした、元気で陽気な人だったわよ。あんたのことも初孫だったからすごく可愛がっていたけど、覚えてない?』

「覚えてない……」


 でも、きっとあのおじいさんだ。

 チョコレートが嫌いな、それで買ってくれなかった、あのおじいさん。


 もう亡き祖父を想って、私は贈られてきたダンボール箱の中身を見る。

 あの世とこの世では、時間の概念が少し違うのかもしれないな、と思った。

 私が風邪をひいておじいさんの夢を見たのは今日の夜だ。

 でも、母はその前の日の夜に、すでにおじいさんからこれらを私に送るようにと、母の夢に出てきている。


 取り敢えず、朝ごはんはネギの入ったうどんと柿にしよう。

 りんごはあんまり好きじゃないけど、あとでおろし器ですって食べよう。

 あのおじいさんが生きていたころは、きっと食べるもの自体がすごく少ない時代だったんだよね。

 だからきっと私のところに出てきて、「いっぱい食べろ」と言ってたんだ。


 食べればきっと風邪も治って元気になる。

 おじいさんが言ってたように。


 そう思いながら私はキッチンにたち、うどんを作ることにした。




 END

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