第16話
廃墟の中、縛られて椅子に座らされている男が二人。その前にはクロさんとヒーロさんと、私が立っている。
外でも感じられる埃臭さは、より濃い。
「さーて、後は警察に引き渡せば終わりだね」
ヒーロさんは伸びをしながら、達成感を全身に味わっていた。だけど、クロさんは逆だ。
「おれに必要なのはここからだ」
クロさんの言葉に、ヒーロさんは疑問符を頭の上に表した。
私は、これから何が行われるか知っている。少し、足が竦む。
息をいっぱいに吸いたいけれど、ここの空気はあまり綺麗に感じない。
そして、もっとひどくなるだろう。
そんなことは露知らず、ヒーロさんは話を続ける。
「どゆこと?てか、よく無事だったね。すごい勢いで吹っ飛んでたし、トラバサミにはちょっと血も付いてたじゃん。モロに撃たれてたし。ボク、完全に失敗したと思ったよ」
「爆風に逆らわず跳んでいたからな。ワイヤーを爪先で弾き、起爆地点は飛び越している。トラバサミに挟まれる足には鉄板を仕込んで置いた。トラバサミに付けていたのは、少量の血糊だ。普通は骨まで到達するのに、出血があの程度で済む筈が無いだろう。銃弾は流石に応えた。胸と腹は防弾ベストに加えて他にも仕込んであるから何とかなったが、頭部を守っていた左腕は、ケプラー素材の防弾で貫通はしていないものの、衝撃で恐らく骨に小さなヒビでも入っているだろう」
クロさんは何ともなしに言っているけれど、かなり危ない状況だったのではなかろうか、それ。
「そんなんで戦ってたの…?やばいねあんた…」
ヒーロさんは相変わらずドン引きである。
「痛みは強いが、動くからな。そんな事はどうでも良い。それより、おれは今からこいつらに聞きたい事を聞く。お前達は部屋の外に出ろ」
クロさんの言葉に、私は出て行こうとしたけれど、ヒーロさんはその場から動こうとしない。
場の空気が一変する。ピリピリと張り詰めた空気に、息も詰まる。先程までの明るさはなりを潜め、ヒーロさんはキッと鋭い目つきをクロさんに向けた。
「…何するつもり?さっき、あんたは三人殺したんだよ。ボクは、殺すとまでは思ってなかった。まぁ、それは仕方なかったとしても、今から何かをするのは違うでしょ。無抵抗の相手に」
ヒーロさんは、刺すような声でクロさんを非難する。向き合い、胸を張るその姿は、徹底抗戦の意思が窺える。
クロさんは、やはりという感じで、煩わしそうにしていた。
「…こいつらが今まで何をしてきたか知っているだろう。それに、今後の為にもこいつらには聞いておかねばならないことがある」
「だからって、これから尋問でもするつもり?警察に引き渡して、必要な情報があればボクが聞いといてあげるよ。それでいいでしょ」
「ダメだ。警察の事情聴取にも限界はある。また、正式な一員ではないお前に機密事項まで教えるはずがない。何より、お前が言っていたろう。おれは三人殺している。警察と協力関係を築くのは無理だ」
「それは、正当防衛とか、色々あるし…」
「正当防衛は、こちら側がやられるいわれなく、緊急時にやむを得ず行う抵抗だ。おれは、最初からこいつらを襲うつもりで自ら突っ込み、罠に嵌め、命を奪った」
「…とりあえず、あんたがやろうとしていることは、自分の利益になることを知りたいからこれから乱暴働きますってことだ。認められない」
「お前に認められる必要は無い。おい、外に出ていろ」
クロさんが私の方を向き、外に出るように促す。ヒーロさんと一悶着ある気がしてならない。既に一触即発だ。
お互いの語気がどんどん強くなっている。
出来れば、二人には争って欲しくない。
「わ、私は、ヒーロさんも来てくれないのなら外には出られません…」
クロさんは、私がそばにいるのなら努めて危ない事は避けるし、ヒーロさんと喧嘩するようなことにならないと思っていた。何より、私の前では拷問はしないと思っていた。
…それは、甘い考えだったと知る。
「…勝手にしろ」
クロさんはそう言うと、突然椅子に座っている一人の男性の顔を殴った。奇妙な喘ぎ声とともに、口から血を流しながら男性は目を覚ます。
「おい!何してるんだ!」
その様子を見て、ヒーロさんは堪らずクロさんに掴みかかった。クロさんも応戦し、逆にクロさんから一歩踏み込んで掴みかかる手を払い除けようとした。
その瞬間、クロさんの身体が横にぐるんと宙を舞った。
足払い。完璧に決まった足払いは、体勢を崩すどころか綺麗に浮く。
そのまま地面に叩きつけられたクロさんからは苦悶の声が滲み出た。ただの足払いでこの技量だ。ヒーロさんの実力を侮っていたのかもしれない。
埃がぶわりと大きく広がる中、クロさんはすかさず起き上がろうとした。しかし、ヒーロさんが馬乗りになってそれを阻止する。
マウントポジション。上半身と右腕はヒーロさんの身体の下で、左腕は何とか自由が効くが…。
「マウントポジションを取られた状態、そしてヒビ入りの左腕じゃ、殴っても力が入りきらない。ボクの勝ちだ。言うことを聞いてもらうよ」
ヒーロさんは勝利宣言をすると、クロさんの首元に手を伸ばし始めた。頸動脈を抑え、失神させるつもりだ。
クロさんはそれを払おうとはせず、ヒーロさんの脇腹辺りに左手を添えた。
「早計だ」
クロさんの親指が、ヒーロさんの脇腹に深くねじ込まれる。耐え難い痛みに苦悶の声を上げながらヒーロさんの腰が浮いた。クロさんも腰を浮かせ、反転し、マウントポジションから抜け出す。
お互いに距離を取って、睨み合い。
緊迫した空気が場を満たした。
「な、なんなんだよこの状況!くそぉ!」
先程、クロさんに殴られて覚醒した男が唐突に叫ぶ。ヒーロさんはその声に反応して、一瞬であれどクロさんから目を切った。
クロさんがその隙を逃す筈はない。
姿勢を低くしてタックルに向かった。大きく舞う埃に紛れ、黒い影が素早く動く。
体格差と膂力は間違いなくクロさんの方が上。だけど技量はヒーロさんの方が上だろうか。
クロさんだって戦闘技術は高いはず。相手の技量には対抗しつつ、しかして単純な力押しを主軸に攻めていく方針だろう。
だが、ヒーロさんは生半可ではなかった。元々、自分よりも力が強い者たちを相手にしてきた彼女は、むしろ真っ向勝負に慣れている。
ヒーロさんが語ってくれた話の一つにこういうのがあった。
力弱き者が粗暴者に対する為に、弱き側から守る為に歴史を重ねて磨き上げたものが武術。そしてその正しき心を持って歩むものが武道。それを証明する為に、何度か無茶をしたことがある。
荒くれ者の、不良たちが群れて、カツアゲや強奪を繰り返される事件が一時期多発した。くそったれな話だが、当時の少年青年達には、それがいわゆる『ブーム』だったのだ。
彼女の知人もその被害に遭った。だから、彼女は、
荒くれどもの中に単身突っ込んで、擬似百人組み手を行った。
結果は、辛勝。それでもちゃんと、勝利した。
巷の族の内ではもはや伝説となったストーリー。
自分よりも力が強く、その力に頼って戦う者は、ヒーロさんにとっては甘いお菓子。
彼女は、それ程までに戦闘技術が高い。
「足が取れれば、腕が取れれば、ボクは投げられるよ」
目線は切っても、意識までは切らなかった。距離を詰めるクロさんのタックルに合わせ、ヒーロさんはほんの少しだけ身体をずらす。
大袈裟に避けたりはしない。最小限で最大の働き、それはまさしく、達人の域。
そして、右腕を取って捻りを加える。そのまま軽く押すようにするだけで、クロさんの大きな身体が宙に投げ出された。
しかし、クロさんだってただでやられるわけにはいかない。
くるんと投げられたクロさんだったが、異様な速さで空中を回った。投げた方のヒーロさんが後方にたたらを踏む。
投げられた先、前方回転受け身の要領で、クロさんは受け身を取った後即座に立ち上がる。
「回転投げ…合気か」
「ご名答。それにしても、投げられるに合わせて蹴ろうとするなんてね。流石、戦い慣れてるね」
クロさんは拳を強く握りしめ、ヒーロさんに半身で距離をジリジリと詰めていく。対してヒーロさんは正対し、手のひらを緩く開き、自然体にて静かに待つ。
「悪いが、容赦出来そうに無い」
「望むところだね」
私は介入なんて出来るはずもなく、固唾を飲んで見守り、目覚めた男は助けてと叫び狂っている。
何とも奇妙な状況だ。
「お前は確かに強いみたいだが…残念ながら、おれが得意なのは試合でも、ましてや喧嘩でもない」
「…じゃあ何が得意だって言うの?」
「殺し合いだ」
告げた瞬間、ヒーロさんの足下に何か滑り込んだ。それは靴。クロさんがいつの間にか脱いだ片方の靴をヒーロさんの足下に滑らせた。視線をそこに向けてしまうものの、ヒーロさんの視界の端にはまだクロさんの身体が映っている。
クロさんが一足跳びに距離を詰める。そして、そのまま足を広げながら横に回転するように跳んだ。
「上!?」
胴回し回転蹴り。跳びながらの踵落としである。
ヒーロさんは寸でのところで両腕を交差してガードしようとする。しかし、頭を蹴られずには済んだが、力を受け切れずに右肩に入る。踵が身体にめり込み、無理矢理地面に向かって落ちていった。
嫌な音が響く。頭に入っていれば、死んでいたかもしれない。右肩に受けたのはまだ幸いだが
「うあぁああ!!!」
骨が外れたのか、右肩の部分が不自然にぐにゃぐにゃになっている。折れている可能性もある。
命を奪う事に、何の躊躇いも無い一撃だった。
「下段蹴りや上段蹴り、直突きなら対応されそうだったからな。下や横の攻撃以外を選んだ」
「だ、だからって…全体重を乗せた…っ!」
クロさんは、まだヒーロさんが喋っているのも関係無しに口と鼻を塞いだ。右肩の痛みに加え、混乱している状況。左手で必死に引き剥がそうとしていたけれど、焦りが余計に空気を奪い、まもなくヒーロさんは失神した。
「悪いなヒーロー。現実では、逆転を演出させる隙を与えてはくれない」
クロさんは、ヒーロさんをその場に寝かせると、靴を履き直した。そしてヒーロさんのシャツの首元を掴み、ずるずると引きずる。
荒々しい…。
そのまま壁際まで引きずって行き、頭を打たないように手で首を支えながらゆっくりと、壁に背を預けさせた。
優しい…。
いや優しくはないだろうか。ヒーロさん、殺されかけてたし。
足を投げ出すような形で壁にもたれるヒーロさんの右手と左手をクロさんは掴み、コートの内ポケットから取り出した結束バンドを手錠のようにして装着、固定した。その後にヒーロさんのズボンから携帯を取り出して、何か操作をした後にジッと見つめ、少し離れたところに置いた。
そして、今度はヒーロさんに覆い被さり、ギュッと抱きしめたかと思うと、すごい音が部屋中に響いた。
「いっだぁ!?」
先程まで異様な形をしていたヒーロさんの右肩が戻っている。恐らく骨をはめ戻したのだと思う。ついでに骨を無理矢理はめる時の痛みでヒーロさんも起きた。
「おれの勝ちだ。言うことを聞いてもらうぞ」
痛みで涙目になっているヒーロさんの様子を無視して、クロさんはそれだけ言った。
ヒーロさんは自分が負けていた驚きに目を開き、はめられたばかりの右肩の痛みに顔をしかめ、マウントポジションを取った時に自分から出た言葉がブーメランで返ってきたことに苦虫を噛み潰していた。
クロさんはただただその百面相を見つめている。
コロコロ変わる百面相に何の反応もしない。笑いもせず、ただ単に見ているだけだった。
その後、クロさんはヒーロさんから視線を外して私の方を向いた。
「こいつはもう、ここから動かさん。…お前はどうする」
「わ、私は…ヒーロさんを見張ります」
「…そうか。見張る必要は無い。こいつのそばにいてもいいが、あまり近付きすぎるな。ここにいるなら、目を瞑って、耳を塞いでおけ」
あぁ、そうか。
やっぱり、そうか。
私は移動して、ヒーロさんの隣に座る。少しだけ埃が舞った。鼻に埃臭さが改めて届く。
ヒーロさんは私の顔を見て、哀しげな表情をした。
お互いにもう止められないことはわかっていた。大きなため息が出た。でも、顔の前の埃煙は晴れない。
クロさんは部屋の真ん中に移動し、叫ぶ男と静かにしている男、二人の肩に手を置いた。
「もう目もハッキリと覚めたろう。待たせたな」
叫ぶ男は椅子を激しくガタガタ揺らす。いつの間にか目を覚ましていたのであろうもう一人の男は、俯いたまま静かにカタカタと椅子を揺らした。
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