2-4.待ち望んだ返事

 書き慣れない手紙をサラッサに託し、早七日が過ぎた。急ぎの知らせでもないただの私信なのだから、返事がすぐに届かないのは分かっている。分かっているのだが、どうも頭での理解に気持ちが追いついていない気がした。

 普段はエマティノスから渡されるまで知らぬ存ぜぬを決め込んでいる手紙入れを、アマルティエスは一日に何度も覗き込んでいる。そしてその度に、返事が入っていないことに落胆するのだ。そんな様子を見たエマティノスには、鼻で笑われる日々を送っている。

 そもそも、きちんと目的の相手に手紙が届いたかどうかすらも怪しかった。サラッサのことを疑っているわけではもちろんないが、彼がシュガテールの屋敷に直接届けてくれたのだとしても、イーリスの顔を知っているわけでもない。

 つまり、サラッサから直接彼女に渡すのは不可能だろう。当主や親の手にまず渡るのが通常の流れであり、その時点でイーリスには不要だと捨てられてしまっていれば返事などついぞあるはずがない。

 そうなっていないという保証はどこにもなく、そして知るすべもないのだ。だからこそ、アマルティエスは落ち着かない。せめてイーリスがあの手紙を読んでくれたのかどうか、それだけでも知りたいところだった。

「はあ……」

 机に頬杖をついて、窓の外を見ながら溜息ためいきく。これがここのところのアマルティエスの日中の姿だった。これが夜になると、部屋の寝台に寝転がって溜息ためいきく、に変わる。場所が変わっただけで、やっていることは何も変わらない。

 日がな一日この調子であるから、アマルティエスが恋わずらいをしているらしいという噂が、兵士たちの間で瞬く間に広がった。気のいい男たちであると同時に日常の変化に飢えている彼らは、上官の恋という話にすぐさま飛びついた。以来何くれとなく女性が喜びそうなものだとか、扱いに気をつけねばならないことやらを、頼んでもいないのに兵士たちが教えてくる。

 人のことばかり言っていないで自分たちも身を固めたらどうだと言い返すのだが、残念なことにある一定の年齢より上の兵士たちはほとんどが既婚者である。未婚なのはまだ年若いか、あるいは「女性に興味がない」と公言している者くらいだろう。アマルティエスと同年代でも、成人と同時に結婚していればすでに幼い子供を持っていてもおかしくはない。そして兵士の中には、その通りの者もいる。

 エマティノスには恐れをなして何も言えない彼らだが、アマルティエスのことは突き回してくる。いい迷惑だとは思いつつも、善意が大半だということはわかっているのでアマルティエスは話半分に聞いていた。

 兵士たちには手紙を送ったこともすでに知られていて、そして返事を待ち望んでいることすら周知の事実となっている。というのはアマルティエスが彼らに問い詰められて吐かされた結果だ。

 結果、普段頻繁ひんぱんに領地の見回り――と言う名の散歩に出歩いていたアマルティエスが出かけなくて良いようにと、自分たちで率先して見回りをしているらしい。

 どうしてだか、兵士たちからやけに後押しされている。気恥ずかしいような、なんとも微妙な気分になった。そもそもエマティノスも惚れた女のために清算をしているというのに、この差は何なのか。やっていることの違いのせいか、それとも日頃の扱いなのか。ただ兵士たちがエマティノスに恐怖する気持ちも分かるので、特段そこについてアマルティエスは追求するつもりはない。

 だが、これでもし振られたらどうするのか。そう聞いてみれば、なぐさめの酒盛りをしてくれるらしい。結局彼らが飲むための理由にされているとは思いつつ、一応は謝辞を述べておいた。

「おい」

「はいっ!」

 あまりにもぼんやりとしていたせいで、突然上から降ってきた重低音に反応が遅れた。慌てて立ち上がれば、その拍子に椅子が後ろに倒れてけたたましい音を立てる。慌ててそれを起こそうと振り向くと、今度はひっくり返った椅子の脚に己の足が絡まってつんのめった。

 かろうじて無様に転がることは避けられたが、ただ立ち上がるだけでとんでもない騒動である。そんなアマルティエスの様子を、ただじっとエマティノスが冷たい目で見ていた。

「馬鹿にでもなったか」

 怒りを通り越して呆れ返っているエマティノスの声に、苦めの愛想笑いをするしかない。どうにか体裁を整えたアマルティエスだったが、すねのあたりがじんわりと痛む。あざでもできているだろうか。

「な、なんでしょう兄さん……?」

 最近のエマティノスは冷たい視線を向けることはあれど、アマルティエスの様子に対して何も言わない。一度叩きのめしたことで満足したのか、はたまた別の思惑があるのか。

 どちらにせよ、兄の沈黙はひたすらに不気味だった。

 七転八倒の末ようやくエマティノスに向き直ったアマルティエスへの反応も、馬鹿にしたように鼻を一つ鳴らしただけで終わる。拳の一つや二つ飛んでくるかと身構えていたのだが、拍子抜けであった。

 もっともそれで優しくなったのだなどと思うと後日痛い目にあうことは分かっていて、今はたまたま何かの目的があってこういう態度なだけだとアマルティエスは自分に言い聞かせた。

「お前宛だ」

 言葉少なにそう言って差し出されたのは、アマルティエスが何にも身の入らないような思いをしながら待ち望んでいたものだった。

 だが、どうしてだか手紙が二通ある。喜びに舞い上がりそうな気持ちを二通あるという不可解さでねじ伏せ、軽く礼を言って受け取った。封は切られておらず、エマティノスは目を通していないらしい。

 今度はゆっくりと、椅子に腰を下ろす。手紙をひっくり返せば、一通は差出人がイーリス・シュガテールとなっている。そしてもう一通にはパトリオティス・エクスーシアと記されていた。

 思わず、眉根を寄せる。

 イーリスから返事が来るのは良い。そもそも、こちらは待ち望んでいたものだ。だが、このもう一通は一体何なのか。

 パトリオティス・エクス−シアという人物について、アマルティエスが知っていることはほとんどない。イーリスの父親である彼は、ずいぶん変わった人だというのを人伝に聞いたことはある。だが、当然ながら今まで関わったことすらない。

 彼はシュガテールの当主の姉と結婚して、シュガテールの領地に住んでいる。現在のシュガテールの当主はフィオス・シュガテールであり、美貌ではあれど男だ。何事もなければ女性を当主とする女系一族であるシュガテールの一族が、女性、しかも姉という年長者がいるにも関わらず男性を当主と仰いでいる事情もアマルティエスは知らない。

 訝しみつつ、パトリオティスからの手紙は後回しにすることを決め、机の上に置いた。まずは先に、イーリスからの手紙だ。

 イーリスからの手紙の封を慎重に破り、中身を取り出せば、女性らしい綺麗な文字が並んでいた。封を開けた瞬間ふわりと漂った馴染なじみのない香りは、シュガテールの匂いだろうか。どこか華やかさと甘さを帯びていて、けれど少しだけイーリスには似合わないような気がする。彼女にはもっと、涼やかな方が似合うだろう。

 そして肝心の手紙の内容はと言えば、実に当たり障りのないものである。それどころか、少しばかり素っ気ない。

「ご縁があればまた会うことも、か」

 言葉の意味のまま受け取るほど、アマルティエスもさすがに青くはなかった。やんわりと自ら会うことを望んでいないと伝えてきているのは分かる。ほんの少しだけ、アマルティエスは肩を落とした。出会ったあの一瞬だけで好意をいだいてもらおうというのは無理があったなと、苦いものをめた。

 そしてもう一通、どことなく妙な圧力がある気がする手紙を手に取った。イーリスからの手紙よりも、少しだけ分厚い気がする。

「うわ」

 開いて取り出した紙の枚数に、思わず声が出てしまう。

 初対面なのに何をそんなに書くことがあるのかと思うほど、パトリオティスからの手紙は長かった。どうやら彼は能筆家らしく、ずらずらとよくわからないことをただ書き連ねている。しかもその文字が嫌味なほどに整っているものだから、質が悪い。

 三回ほど読み返してようやく、アマルティエスは自分がシュガテールの屋敷に招かれているらしいと理解できた。

「何でだ……?」

 イーリスに会う口実ができることは非常に望ましい。しかも向こうからの誘いなのだから、無理に作った口実でもない。

 だが、アマルティエスにとって都合が良すぎはしないか。だからこそ、逆に怪しい。

 パトリオティスとそれなりの関係を築けているのであればいざ知らず、これが初めての接触だ。お互い名前を知っている者同士程度の関係のはずだが、パトリオティスはどうしてアマルティエスを招いているのだろうか。

「罠か……? いや、理由がないよな……」

 首を傾げつつも、誘いに乗らなければイーリスと話をする機会は永遠に来ない。警戒心さえ忘れずにいれば多少のことは乗り切れるだろうと、アマルティエスは立ち上がった。

 シュガテールの一族にエクスロスの一族と事を構えて得になるような事案は、今は何もない。そこは、逆も同じだ。

 であれば、多少は気楽に向かっても問題はないはずだった。アマルティエスは頭の中で承諾の返事をどう書くか悩みながら、エマティノスの元へ足を向けた。

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