今からそれを始めます
真昼
はじめに
筆者は本来ホラー小説や怖い話を書くような人間ではない、本を読んだり映画を観たりするのは好きだが、アクション映画や恋愛映画などジャンル問わず嗜んでいる。しかし昨今ホラー作品の事ばかりを考えてしまうのは何故か、それはフェイクドキュメンタリーという物に触れてしまったからだ。
ここの読者なら大半の人が知ってるであろう「近畿地方のある場所について」やYouTubeで配信されている「フェイクドキュメンタリーQ」、またテレビ東京で放送された「このテープもってないですか?」「祓除」など、今や空前のフェイクドキュメンタリーブームになっている。これらに惹かれてしまう理由は様々だが、一つはSNSによる拡散性があるだろう。
昨今はあまりにも多くの娯楽に溢れており、そのどれもが刹那的で誰もが大量消費してしまう時代になっている。そんな中どんな作品だったら優先的に観てもらえるかと言えば、リアルタイムでのライブ感だ。ただ単に質が良い作品ならあとで時間がある時にゆっくり観よう、となる所を今SNSで皆が話題にしてるこれ気になる…という心理にさせる手法が多く取られるようになった。特に地上波での放送はかなり効果的だし、YouTube上でもライブ配信でチャット欄を設ける事で誰もが同時にそれらを体験できるという、言わば自宅で楽しめるお化け屋敷と言ったところか、そういったアトラクション性に富んだ物が多く出てきている。
ホラーと言えば、リングの貞子だったりが思い浮かばれやすいかもしれないが、最近のこの手法のホラーはどちらかというと「ネットであった怖い話」系というか、2ちゃんの怖い話スレの雰囲気があって、インターネット黎明期のアングラ感を彷彿とさせ、また素人が書いてる事による妙なリアリティも臨場感を与える要素に思える。他は昔よくテレビでやってた心霊番組やそういったオカルト番組を模倣した物も人気である。実際昔あった「放送禁止」シリーズは昨今のホラー文化にかなり近い物を感じる。
さて、ここまで筆者の昨今のホラーに対する感想になってしまったが、筆者がこのフェイクドキュメンタリーにおいて最も興味を持つ事柄を述べようと思う。それは読者、視聴者がその作品の一部にされるという構造である。どんなに怖い物語や恐怖映像でもモニター越しに観てる物は所詮は対岸の火事なのだ、映画館にホラー映画を観に行くという行動を取ってる時点で「怖い物が出てくるのを待ってる」ので本当の意味での恐怖ではないと思う、しかし我々は本当の恐怖を娯楽として処理は出来ないし、日常生活においてそんな恐怖は滅多に起こらない。
だからこそ作品を通じて自身の想像力に触れたくなるのだと思う。作品に触れるという事は一方的な受信なのではなく、自己の中にある「恐怖」と対面するという事なのだ。つまりこれは誰もが潜在的に抱えている闇への恐怖や人間の感情への恐れ、あるいは世の中に伝染する怪異、人が気が触れてしまった時の恐ろしさ、そういった物が我々の生活と地続きであるという事を確認する為の作業なのだと、筆者はそう認識している。
人は理解不能な物を目にした時、それを処理する為にこじ付けのような脳処理をしてしまう。それはバグなのではなく正常に生きていく為に必要なシステムだ。幽霊も怪異も神も悪魔も全てはそういった理由付けの為に我々の脳内で産み出され、それを誰かが語る事でお話となる、そうやって人間は歴史を築いてきた。
これはどんなに時代が経っても変わらないし、筆者自身その一端にいるのだろう、これは別に筆者が選ばれた特別な人間などというわけではなく、気づきを得て筆を取れば誰しもこうなるのだ、これは誰かの意志でやらされてる事では決してなく、筆者自身が筆者の趣味嗜好のため、またはメンタルコントロールの為行っている事なのだから、万物の流れに取り込まれていたとしても、それは筆者以外が筆を取っているという事にはならない、そこは絶対に安心して頂きたいのです。
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