ノアの冷蔵庫
ふゆ
ノアの冷蔵庫
生物の発する、微細な生命維持信号を、外部装置と連動させて増幅し、半永久的に機能させる、生体の長期保存技術の実用化。
それが、俺の研究テーマだ。
先進的技術の研究で、世界をリードする、この大学に入学し、理解ある教授の研究室に所属できたのは、幸運だった。
最新の設備や高速コンピューターを自由に使わせてもらえ、次々と特許を取得した。
著名な科学雑誌にも、研究内容が掲載され、政府からの予算も潤沢に獲得できた。
そして、ついに装置のプロトタイプが完成した。
順調に歩みを重ね、結実させた研究の成果を、学会で発表する準備を進めていたある日、教授が執務室に私を呼んだ。
「ようやく、君の理論が形になったね。素晴らしい成果だ。ご苦労だった。後は、私達に任せて、君は、ゆっくり休んでくれたまえ」
「えっ? 教授、何をおっしゃってるんですか。私は、元気ですよ。やらせてください」
「分かっているよ。君の思いは、充分理解している。その上で、私が休んでくれと、言ってるんだ。素直に受け入れてくれたまえ」
「教授! この生体保存技術の実用化は、私の夢なんです。青春の全てをかけて、研究に没頭してきたんです。ここで去れーーと言うのは、あまりに理不尽です!」
俺は、必死で訴えた。
「うろたえるんじゃない。君は、自分一人の力で、ここまで来れたと思っているのかね? 研究室の皆は、君の熱意に打たれ、文句一つ言わずに、取り組んでくれたではないか。その献身的な協力を知らない訳ではあるまい。大人になりたまえ!」
教授の目は血走り、額には汗がにじんでいた。
俺は、拳を握りしめ、暫く立ちすくんでいたが、悔しさに耐えられなくなり、部屋を飛び出した。
ワンルームマンションのベッドに仰向きになり、じっと天井をにらんでいた。
やり場のない怒りと虚無感が、私を包んでいた。
「俺は、教授に利用されたのだろうか? だとすれば、それに気付かなかった俺自身が、間抜けだったと言うことか……」
もんもんとして、時間を無駄に過ごしていた時、テレビが臨時ニュースを伝えた。
大陸で発生した風邪症状の疾患が、未知のウイルスによる感染症だと、国際的な保健機関が発表したのだ。
感染力が高く、致死率は、ほぼ100%だと言う。既に世界的な流行が確実視されているらしい。
「これは、ただ事じゃないぞ」
日本政府の対応は、異様に早かった。即座に緊急事態宣言が発出され、国内外の移動が禁止された。
まるで、こうなることが分かっていたかのようだった。
突然変わった教授の態度が、頭をよぎった。
「まさか、俺の生体保存技術を、誰かの延命の為に、使うんじゃないだろうな?」
身体が、わなわなと震え出した。
「そんな事に使わせやしない。俺の技術は、全ての生物の種の保存の為のものだ。一部の人間の私利私欲に使われてたまるか!」
気が付くと、高ぶった感情のままに、人通りの途絶えた夜の街を、大学に向かって走っていた。
研究室のドアを蹴破り中に入ると、警報が鳴り響き、点灯した赤色燈が、不気味にプロトタイプを照らし出した。
「俺は、生き残って、この技術を実用化するんだ!」
起動装置を、セルフモードにして保存期間を10年後にセットすると、カプセルに飛び込んだ。
深い眠りに落ちていく俺には、笑みが浮かんでいた。
しかし、俺は、その時気付いていなかった。既に、ウイルスに感染していることを……。
「私の言葉が分かりますか?」
俺の傍らで、電子音ような声がした。
身体を動かそうとしたが、力が入らない。
「無理をしないでください。完全に元に戻るには、時間がかかります」
薄目を開けて、声のする方へ、ゆっくり顔を向けると、真っ黒な物体が見えた。
ギョッとした。
声の主は、洋梨のような外形に全身が触手のような突起物で覆われていたのだ。
「驚かせたようですね。無理もありません。更に驚かれるかも知れませんが、貴方は、人類と呼ばれた生物の、最後の生き残りです。この装置の中で、随分長い間、眠っていたようです」
「今、何年だ!」
俺は、反射的に叫んだ。
「そうですね……貴方が理解できる表現をすれば、西暦10万25年です」
「何だと? 10万年?……ハハハッ……俺は、10万年も眠っていたのか」
「驚異的です。貴方を我々の世界に運んでくれた技術は、素晴らしい。そして、貴方には、感謝の言葉を申し上げなければならない。
ありがとうーー。
何しろ、貴方の身体の中で、我々の太古の祖先が、生きているのですから」
(了)
ノアの冷蔵庫 ふゆ @fuyuhara
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます