29
左手を貪食竜の前に差し出す。すると、すぐに首だけを出して噛みついてきたが、避けずに喰らわせてやった。
そして、腕を引いて手首と腕を引きちぎる。
ニチャニチャと咀嚼をするも、すぐに食べ終わってしまうので、再び腕を差し出して喰わせた。
それを、ひたすらに繰り返すだけの簡単なお仕事。
ただただ、無心であるようにだけ努めて、作業的にこなす。
痛みはない。
でも、やっぱりいい気分はしないな。
「その、ゾンさん、ごめんなさい……」
ほら見ろ、ルルもどんな顔していいのか分からなくなっている。
(そんな顔するなって、俺は大丈夫だから)
喰い千切られた左手の再生速度は、以前、衰えない。
これって、俺が死ぬことはないんじゃないか? いやでも、再生を阻害する魔術とかありそう。強力なだけに、対策もされているだろうし。
(ナユタ先生はどれくらいでくるんだ?)
四回目になる、貪食竜への腕の提供を済ませた俺はルルに聞いてみた。
「そろそろ、来るかと。全部見ているはずですから」
ルルが不安そうに言えば、森の中からなぜか呆れ顔のナユタ先生が歩いて出てきた。
「何をしているんですか、あなたたちは?」
「がぅぅ、ぐぅぇっぇ」(何って、餌付け)
「餌付けって、言ってます。あ、えとこれは、変な貪食竜が現れたので、他の子が三人襲われそうになってしまって、」
おぉ、おぉ、混乱してる。怒られると思ったのかルルにしては珍しく、説明が支離滅裂になっていた。
(落ち着け、ルル。深呼吸、深呼吸)
五回目の腕の提供を行いながら、ルルに深呼吸を促す。
それをナユタ先生は、ものすごい微妙な顔をして見ていた。
「説明は結構。事情はだいたい把握してます……コレはどうしますか?」
「どう、といいますと?」
「止めをさせないから使い魔を差し出して、時間稼ぎをしていたんですよね。私が殺しましょうか?」
「がっぎゃぁぎゃ! げぁがっが!」(言い方ってもんが! あるだろうが!)
時間稼ぎのために、ルルが俺を差し出したとか。間違いじゃないとしてもやめてくれ。
「それに早くしないと、」
ナユタ先生が何か言い切る前に、俺の左肩が消えた。
は? 何が起こった?
「へぇ……欠損部位が多いと、再生に時間がかかるんですね」
相変わらずの仏頂面で呑気にそんなことを言っているナユタ先生は、この際無視だ。
貪食竜の方を見れば、明らかにさっきより大きく口を動かしている。
喰ったのか? 一瞬で?
「すみません、拘束が壊れ始めています」
そんな俺の疑問を肯定するように、ルルが謝る。
確かに、土の柱はひび割れ、蔓の何本かはすでに切れていた。
(そういうことは、もうすこーし早く言ってほしかったかなぁ)
怒ってはいないよ。怒っては。これは相談であり、提案だよ。
「ルルさん」
「はいっ」
「この貪食竜を相手に、生き残ったご褒美を上げましょう」
「ごほう、び?」
「特別授業です」
そう呟くナユタ先生は、どことなく楽しそうだった。つまり、不気味だ。
ルルの術式で展開された蔓の、切れている一本に触れる。それは、必然的に貪食竜に肉薄する行為なのだが……。
(気づいて、ない?)
「えぇ、おそらく。でもなんで……?」
ずっとだ。ナユタ先生は現れてからずっと、貪食竜に気づかれていない。俺たちと会話しているのに、だ。
「まず、ルルさん。通常個体の貪食竜の生態は知っていますか?」
「はい。えぇと、草食寄り雑食で食欲は旺盛ですが、亜竜の中では最もおとなしい種とされています」
「他には?」
ナユタ先生の掴んでいた蔓は、成長して地面に向かって伸びていく。そして、地面を経由して、より太い蔦が出てくる。
「他には、自分では餌の調達を行いません。治癒の魔術で、傷ついた他の魔物を治療して、見返りに餌の調達をさせることが確認されています。そのため、『魔物の掛かり付け医』という俗称もあります」
「よろしい。では、この貪食竜は、どのような個体だと思いますか?」
二人が話している間にも蔦は、貪食竜にするすると巻き付いていくが、それを嫌がる素振りは見せない。本当に、気づいていないのか?
「お、おそらくですが……」
ルルも、貪食竜に巻き付く蔦と、それに気づかない貪食竜は変に思っているようで、視線がちらちらとそっちに行っていた。
「憶測で構いません。どうぞ」
「飢餓感を与える霧を発生させる能力を持った特殊個体だと思います。ただ、海に棲む魔物に翼が生えないように、必要のない能力は特殊個体でも芽生えません。だから、その、」
「理由が分からない?」
「はい……」
「分からないなら、分からないと言いなさい。そして、飢餓感を引き起こす霧というのも、十分、芽生えてもおかしくない能力です。分かりませんか?」
蔦は完全に、貪食竜の胴体に回り、今度は腕に浸食しようとしていた。
ルルはそんな貪食竜には目もくれず、やや考えた素振りをしてから諦めたように首を振る。
「すみません。分からないです」
「結構。ここに来るまでに、草食の、もっと言えば被捕食者の魔物を見ませんでしたか?」
「見ました。傷がない角ウサギでした」
あぁ、やっぱり。そう呟いてから、ナユタ先生が話し出す。
「その角ウサギを走り回らせていたんですよ。それを狙った空腹の捕食者の魔物を、この貪食竜は狩っていたんです。その角ウサギが傷を負えば治癒の魔術で治す。いわば釣餌ですね。」
「そんなこと……」
「飢餓感を引き起こす霧も、おそらく新陳代謝を高める治癒魔術の応用。あなた方は、霧の外にたまたま出てしまった角ウサギを仕留めてしまい、貪食竜に目をつけられた……そんなところでしょう」
釣餌って。野生の魔物がそんなことまでするのかよ……。
その釣餌を行って張本人ならぬ張本竜は、いつの間にか治っていた鼻面に蔦が巻き付き始めていることに気づいて、慌てている。だが、すでに手遅れなようで、暴れても体を覆う蔦がギシギシとなるだけだった。直に口輪となって、叫ぶこともできなくなった。
「魔物とは、本当に、不思議なものです」
ナユタ先生の顔は少しだけ悲し気だった。
握っている蔓に額をつけると、蔓は急速に枯れていった。
貪食竜に巻き付いて蔦はそれとは反対に、どんどん太くなっていきミシミシと音を立てて締め付け始める。
そして蕾が着き、白い花が咲くと、蔓と同じように枯れていく。
植物の一生を、一瞬で目の当たりにしたような。綺麗なのに、どこかおぞましさを感じてしまうそれに、思わず後ずさりしそうになった。
枯れた蔦がずれ落ちた下からは、干からびたように痩せこけ、安らかな顔で息を引き取っている貪食竜が出てきた。
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