黒き龍を討つ日まで
黒霧 氷
プロローグ
「ハァッ、ハァッ―――!?」
男は走っていた。とにかく遠くへ走っていた。
走らなければ後ろの殺意という権化に殺されるから。
走らなければ後ろの最強という権化に奪われるから。
自分が好きだった場所を駆け抜けながら周りが破壊されていく様は本当に辛い感情しか出てこなくて、胸が苦しい。
酷く張り裂けそうな想いをただひたすら「ごめんなさい」という声と共に空虚に謝罪する。
ただし何も出てこないが。
男には仲間がいた、好きな場所もあった、守ってくれた武具があった、力があった。
しかしそれも、全部。
全部。
後ろの男が、壊していった。
走って逃げている男の名前はリュート。とある村出身の「選ばれし者」。
ぼさっとした黒髪と青色の瞳。低すぎず高すぎずの背の高さ。
こんな彼は割とモテる顔だった。
そんな彼には幼馴染がいる。それが、今彼を殺さんと追いかけている男―――クロノスだ。
漆黒の様に黒く長い髪、世界では珍しかった金色の瞳。細い体からは想像出来ない様な高い、高い身長。
そんな彼は老若男女を惹き寄せた。
彼らは同じ日に生まれ、同じに出会った。
彼らは互いに意気投合し合った仲だ。時には喧嘩を、時には笑いを、時には波乱を。
そんな事を繰り返しながら、互いに信用し大親友と言い合う様になった。
彼らの仲間は互いの仲も良かった。リュートやクロノスの強さについて議論やら喧嘩やらしていたが、宥めたりするのが二人の一つの仕事の様なものだった。
それが今。
こうして全てを壊されている。
仲の良かった関係は、馬鹿みたいな事で笑い合う関係は、互いに背中を預けあって悪と戦ってきた関係は、もうない。
遂に彼には限界が来て、足がもつれて転ぶ。
そこに容赦なく、幼馴染がやってくる。
「はぁっ、はぁっ……な、なんでだよ……!俺達、仲間じゃなかったのかよ……どうしちまったんだよ……!なぁ、クロノス!」
悲痛な仲間の叫びに表情を一切変えず、クロノスは一つ忠告する様に言った。
「殺すと言った。それ以外に何か必要な理由が欲しいのかい?」
優しい声音とは裏腹に、彼の影に見えるのは。
―――黒い龍。
別に彼は操られている訳でも、誰かに命じられている訳でもなかった。
彼はただ、自分の意思で。
かつての幼馴染を殺そうとしている。
それを体現するかの如く、彼は自分が使っていた出せる全ての力を使って彼を殺そうとしている。
リュートは涙する。
さっきまで平穏だったのに、全部が奪われた痛みと辛さ、そして自分の不甲斐なさを後悔する様に。
どうして?
何を間違えた?
俺の言葉がダメだったのか?
それくらい直すよ。
欠点くらい補うよ。
許容範囲なんて教えてくれれば守ってあげるよ。
けど、どれだけなんでどうしてを繰り返しても自分が殺されるという未来は変わらなかった。
彼は強い。それは自分でもよく分かっているつもりだ。
あいつは俺の隣にいつもいたから。
「そろそろ、いいかな?」
「何を……」
「殺していいかと聞いてるんだけど」
「っ!?」
「まだ、死ぬって自覚がないのかな?」
クロノスは淡々と、恨み節すら吐かずに俺を殺そうとしている。真っ直ぐな目で。
ああ、どうしてだ。
あれまで笑いあって、ふざけあって、泣きあって、楽しい時間が何時までも続くと思っていたのに。
自分のせいかな、ああ。自分のせいだったらいいな。リュートはそう心の中で呟く事しか出来なかった。
でも生憎、互いに自分の悪い所を知っているのにこの殺害については唐突に言われた出来事だった。
そんな辞世の句を読む様に、クロノスの片手が上がった。片手から魔法陣が何十に重なっている。
多重魔法陣、多重魔法無詠唱、そして自身の独自魔法式の魔法。
あらゆる敵という敵を殺してきた彼の得意技だ。
リュートは、自分はきっと逃げられなくて、防げなくて、このまま死ぬんだろうと覚悟した。
今から死ねば、天の皆に俺が謝れるかな。
いつの間にかやらかしていた俺の責任なんだろうなぁ。
だからこそ……
「……分かったよ」
諦めた様に、両手を上げた。
「もう分かった。俺がお前に何かしてしまったんだろうな。
俺が何となくで呟いていた事がたまたまお前を傷付けちまったかもしれない。
じゃあ殺せ。いっそその魔法で薙ぎ払ってくれれば楽に死ねる」
涙を流しながら、そう言うしかないリュートをクロノスが見つめる。
「そうかい。君はそこまで薄志弱行な男だったか?」
すると、ふっと優しい声で微笑むクロノスに……心から安心した。
ああなんだ、嘘かと。何かの悪い夢だと思っていた。
良かった、本当に良かった―――
「お、おい…なんだそりゃ」
彼は立ち上がった。今までのが夢の様だった様にへらっと笑って。
しかし、次の瞬間には地面に倒れ伏せていた。
全身の痛みと共に。
「が、ぁぁぁっ!!!???」
「誰が立っていいって言ったんだい?話を最後まで聞くんだな」
「いっ゛、ぐ……ぁぁ……!」
「俺はお前が嫌いだ。そのヘラヘラとした顔も、まるで嘲笑うかの様な口調も、ちょこまかと走り抜いて他人に守られているお前が、とにかく不愉快だ。
良かったじゃないか、今死ねるぞ?」
燃える森林にて、影にいた黒い龍がクロノスに覆い被さる。
そして遂に、心臓を握り潰さんとする殺意が今目の前に現れた。
最低最悪の理不尽という名の全てが詰まったあの黒い龍の姿へと変わっていた。
リュートはいつも隣で見ていた。その龍の恐ろしさを。
クロノスは生まれながらにして、黒い龍を召喚した。それはまさしく家族同然の関係で、彼の力の礎となる様にクロノスが成長するにつれて強くなっていった。
正直めちゃくちゃ大きくなったから影魔法で収納してたのは自分も知っていた。ちょくちょく不器用に優しくしてくるのが主似してるな、と茶化した事もあった。喜んでいたが。
しかし―――それが今は何だ?
俺を殺そうとしている。さぞ当たり前の様に。
「それじゃあ、まずは全部奪うね」
「は?―――あ」
困惑の声を他所に、ぐしゃっ――と汚く、痛々しい音と共に黒い炎の腕に掴まれる。全身の痛みから絶叫が出そうになるが黒い炎の腕に口を塞がれて悶える事しか出来ない。
そして、かなりの速さで力がどんどんと抜けていく。溜まっていたジョッキの酒が飲み干される様に、どくどくと力が出ていく。
感覚として今まで持っていたスキルが鈍くなっていく様な気がした。
「あれ、一つ奪えなかったな。まぁいいや、改変するね?」
「―――!」
奪えなかった、の一言で確実に分かった。
あのスキルだ、とすぐに納得して体を振る。しかしその黒い炎の腕から抜け出せる訳がなかった。
今の自分と彼ではあまりにも差があり過ぎる。
「よし、改変完了。奪うね」
「ッ―――!?――!」
まるでゴミを投げる様に投げ捨てられる。
そしてパキン、と何かが壊れる音が響く。
自分の心の音かもしれない。もしくは自分が持っていたスキルが壊れた音かもしれない。
力が抜けて、最早生気を感じにくくなってきた視界からゆっくりと黒い龍を纏ったクロノスがやってきた。
「さて、あとは殺すだけだね。死ぬ前に一言いいよ?墓に刻んであげるからさ」
「…………」
何が墓に刻むだ。ここまでしておいてお前がわざわざ墓なんて用意する訳ないだろ。
「あ、墓は用意してあげるよ。君の好きな白色のね」
心を読まれた。あいつの得意技だ。
しかしそれすらどうでも良くなってしまった。
なんでこんな目にとか、なんでこうなったのとか心の中で疑問しか生まれなかった。
一日前までとても楽しかった日々が続いていたのに。
そう思うと、ふつふつと心の中で自分とは場違いな感情が生まれ出した。
黒い、黒い―――憎悪。
憎いと喚き散らす体が、ゆっくりと起き上がらせる。
青い瞳がじわり、じわりと涙を流しながら黒い炎で焼けていく森を見つめている。
「意外だな。その体の負担で起き上がれるなんて」
「……ふざけんな」
「まぁいいよ。どうやって殺して欲しい?好きなのを選ばせてあげるよ」
「じゃあお前も殺して俺も死ぬ共殺だ」
「ハッ―――」
こんなふざけた事を抜かした途端に、右腕の感覚が消える。
右腕が吹き飛んだ。
今も尚燃えている黒い炎にジュッと焼ける焦げ臭い匂いが香る。そして飛び散った血肉と腕が燃えていく。
痛みがもう麻痺していた。最早片腕が持ってかれても何も言えなかった。苦笑いしか出来ない。
「ああ、ごめんな。不愉快過ぎて右腕を吹き飛ばしちゃった」
「そうかよ。お前の左手みたいに吹っ飛ばしてやろうか?」
煽る様にそう言うと、パンッと甲高い音と共に左腕も吹き飛ぶ。
左腕は何処か遠い所に向かって吹き飛んでまた焼け上がる。嬉しくない焼肉だこと。
ああ、これじゃあ冒険出来ねぇな。
リュートの顔は数秒だけ悲しみに変わると共に、すぐに憎悪の顔へと変わる。
「ああ、まただ!悪いな、お前がそんなに意地悪な事を言うからついやっちゃったよ」
「凄いな。煽り耐性が少な過ぎるぞお前。何時しか吹き飛んだ左目の様にまた発破掛けてやろうか?」
そして……今度は前が見えなくなった。
比喩ではなく本当に。
そして後ろに倒れ込む様な感覚が走った。肌に少しだけ熱い感覚が来ているので、お得意の炎の魔法で目を潰されたらしい。ああ、最後にあいつの顔すら見れないらしい。
「あーあ。なんて悪いヤツなんだ君は」
声が響く。うるせぇな。
悪いヤツなんてオレもそうだが他にいるに決まっているだろう。この世は善と悪もいるのだから。
……そういえば。
あいつは絶対正義を掲げていた。
幾百、幾千の悪を全て倒してやると。
正義の名の元に全ての悪を滅ぼすと。
叶う訳ないだろ?って俺が言ってたな。
この世に絶対正義なんてなくて、自分だけがルールなんて事もなく。みんなが自由に生きて欲しいと俺は願っていた。それが人間だから。
あいつは生まれた頃から龍に懐かれてたからてっきり龍の仲間とか思ってたよ。あながち間違いなんじゃ無かったのかもしれないが。
龍ってプライド高いからよ。自分が認めたくないものは認めない。
だからあいつ、龍でもあながち間違いじゃねぇなって。
ははっ。
「笑える暇があるんだ?」
聞き慣れた声が響く。ああ、現実に戻すなよ。
「もういっそお前の悪い点ばっか挙げたらすぐに殺してくれるかと思ってな」
「クソみたいな心の言葉だね。お望み通り殺してあげるよ。
けど、そんな君に朗報」
静寂と共に、彼が何かを召喚する音を耳にキャッチする。
「今召喚したのは、「死神之業鎌」。これを使えばあらゆる魂は煉獄に行くんだって」
「わースゴイ。死ね」
「まぁそう言うなって。君みたいな不愉快の塊が煉獄に行くんだから感謝してよ」
「何時誰が煉獄に行く様な真似したか分かるか?今更罪ありきものとか頭がマジで壊れてるな」
「まさか。全然正気だけど」
声音は何もズレていない。本当に嘘は言ってない。真実でそう言うクロノスに自身にも不愉快という感情が分かってきた。
「あ、さっき言ってたけど死ぬ前に一言どう?」
「あー、そうだなぁ……」
もう何も見えない目を覆う様に、手を顔に被せる。今すぐにでも見ず聞こえず喋らずをしたいくらいに辛い現実だ。こんな前に一言残せる俺がおかしいのだろうか。
いいや、多分……俺も壊れてるんだろうな。
今まで溜まってきた鬱憤を晴らす様に、俺は肺に息を貯めさせて言葉を放った。
「正義と幸福の偽善者野郎に伝える言葉なんてねぇよ」
そうやってバカ笑いした瞬間―――俺の意識はプツリと完全に途切れた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます