古代飛騨の太陽信仰とシャーマニズム
続いて②
②弥生時代の直前と思われる口碑
” 飛騨は涼しくて、食べるものが豊富にあり、人々は大自然や先祖に感謝をして、”日抱御魂鎮”(ひだきのみたましずめ)をして平和で幸せな生活が長い長い間続いた。今から約2500年前のころ、大淡上方様(おおあわのうわかたさま)と申し上げる、賢くて、とてつもなく神通力を持ったお方が旗鉾(はたほこ)の奥の方に出られました。”
要約すると
飛騨人は、”
2500年前にすごい
という話。
この
また、この日抱きが飛騨の語源になっているとのこと。
飛騨王朝は太陽を神とする自然崇拝集団であり、その酋長はシャーマンであった、という話だと読み取れる。
また、2500年前、つまり弥生末期にスゴイシャーマンがいた、とも言っている。飛騨口伝が事実かどうかを確認する術は当然ないが、事実であれば、このシャーマンは皇室の祖先でもある。
湖に映った太陽を見ながら瞑想するという事は、淡上方さまは日中にこの儀式をしていたということになり、確実に専業シャーマンである。猟に出たり果物を採ってくるよりも、儀式をやる方が重要であり、その力によって尊敬されてもいた。指導者であり、教祖でもあったと考えて良いと思う。
” 大淡上方様は深く深く日抱御魂鎮をして、「先祖代々このかた、皆、平和で幸せで仲良く暮らしてきたが、これから将来海から上がって来た人たちが暴れたり、喧嘩したりする事が起きてくるだろう。
今までは、ただ仲良くしてきただけでよかったがこれからは団結して固まってゆかねば幸せを守ることはできない」と考えました。(いざと言うときに備えて国造りをせねば)”
渡来人が勢力を増す、だから、血縁関係や友好関係にある土地と協力して守るぞ、と言ったようである。
この頃は九州を中心に渡来系民族が日本で勢力を伸ばしていく時期である。予言なのか、それとも、既に西日本では浸食が始まっていて、そちらからの情報からそう判断したのかは分からないが、防衛の方針を示したという事である。
ちなみにこの頃、中国大陸では春秋・戦国時代の戦国時代に入る頃で、戦争難民が既に日本列島に入ってきている可能性は高い。あっちの戦争は国を丸ごと滅ぼすような民族浄化をやったりするので、当然、避難民も大量に出る。
あと、またどこかで書こうと思うが、私は日本建国の発端の発端の発端はアレクサンダー大王の東征であると考えている。
” 大淡上方様がのう、日本の国を、あのころは日本とは言わなかったのだが、日本の国を末永く立派に保つにはどうしたら良いか、外国に侵略されないようにするにはどうしたらよいか、いろいろとご心配下されたそうじゃ。
そして、国内のあちこちに使いをだされたのだ。・・・
口碑では、日抱御魂鎮を行って一番の大神通力者であり皆から敬わられた大淡上方様が、行く末を見通す神通力(未来の透視)によっていずれ海から上がって来た人達が暴れたり、喧嘩したりするとはっきりわかったのです。我々の先祖は本当に尊い方々であり、みんなが末永く幸せに暮らせるためにはどうしたらよいかと日抱御魂鎮を行って考えたと思います。日抱御魂鎮は「祈りの精神統一」であり大自然に感謝し先祖に感謝しみんなが幸せになるよう祈る。本家と分家という仕組みを作り国を護ろうとした。
大淡上方様の長男の直系の山麓住日高日抱奇力命(ヤマノフモトズミヒダカヒダキクシキチカラノミコト)や次男の山下住水分奇力命(ヤマシタスミミクマリクシキチカラノミコト)は飛騨の要所を固め、末っ子の直系命(マッスグノミコト)が直系を継がれた。”
あくまでも私感の域を出ないが、私はこの辺がやけに信憑性があると感じている。これに出てくる名前が創作だとは思えない。
山麓住日高日抱奇力命(ヤマノフモトズミヒダカヒダキクシキチカラノミコト)は「山のふもとに住んでる日抱(=予知)の超能力持ってるミコト」で、山下住水分奇力命(ヤマシタスミミクマリクシキチカラノミコト)は「山の下に住んでる雨乞いの超能力持ってるミコト」で、あまりにも直球すぎる。
あまりにも直球すぎるゆえに信憑性を感じているのだ。末っ子、つまり本家を相続したという直系命(マッスグノミコト)が一番、シンプルになっていて、創作ならこんな付け方しないと思ってしまう。
” だんだん温度が下がるにつれて、西の方へもだんだんと広がって行った。大淡上方様は子供や孫や部下の者に、常に国を守って立派にすること、そのためにはまとめ役をする人によく仕えて団結すること、将来のことを見通して大きな希望を持ってやりぬくこと等々を教えられてのう。子は孫にまた孫にと子孫は受け継いたんじゃ。
大淡上方様には子が大勢おられてのう。一番賢くて一番神通力の強い末っ子の御方が大淡上方様の跡を継がれて、他の兄弟は、区別をするために姓をもらって分家(あぜち)をしたんじゃ。大淡上方様も生前は上方様と申し上げて、上方様の家は代々名字が無うて、分家をするときに苗字をもらったんじゃ。代々の上方様は一人一人名前をよう覚えておらんが、末っ子や女の人に賢い人がよく出られてのう。先代に分家した者、先々代に分家した者、兄や姉も皆、上方様上方様と敬い申し上げてのう。よくお仕えしてのう。また上方様は皆の者を可愛がって下されてのう。
総本家の上方様を中心にまとまっておったんじゃ。云々。」”
弥生時代に入って、気候は寒冷化してくる。これが日本の本格的な稲作への移行のトリガーにもなるのだが、「飛騨は涼しい土地で~」と語られているように、現在でも飛騨は涼しい、というかちょっと寒い。
地理の教科書には飛騨高山の世界遺産で、鋭い二等辺三角形の藁葺き屋根が載っているのだが、記憶にある人はいるだろうか? これが示す通り、現在の飛騨は雪深くて寒い土地である。標高が高い事や、盆地になっており、一度寒波が入ると、大雪を降らすという特徴がある。
気候が温暖であった縄文中期以前はちょうど良い気候だったのだと思われるが、弥生に入ってから寒くなり、人が少なくなり始めたという伝承は実際と合致していると思われる。
それでも、淡上方本家を中心に土地に残った者達はいたはずである。
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