世界観構築のための自分用メモ

かっつん

日本へのヒト定住

 私が中高生の時分には、人類の祖先は猿人であり、300万年前に現れたアウストラロピテクスがそれである、と教えられた。しかし、それよりもさらに古い猿人化石が出土し、人類の出現は600万年以上前に書き換わったようである。

 この600万年前の猿と人間の相の子のような猿人たちは次第に生息域を拡げ、同時に原人、旧人、新人と進化を遂げていった。


 日本最古の人類遺跡は38000年前の新人のものとされている。つまり、最低でもその時期には日本列島にヒトがいたという事である。

 では、その時期が最も古いのか、と問われれば疑問符がつく。

日本の気候は高温多湿、しかも、酸性雨が降る。こういった土地では遺跡や化石は残りづらい。ヒトは180万年前にはアジア大陸まで進出しており、さらに30万年前には旧人にまで進化していた。

 38000年より前にヒトがいたとしても不思議はない。日本では戦前に原人化石の可能性があるものが発見されているが、これはくそったれアメリカ軍のせいで東京大空襲の際に焼失している。真偽不明のまま焼失した明石原人化石が真であったとすれば、日本のヒト定着は数十万年前まで遡ることになる。


 ともかく、アフリカで生まれた人類は数百万年をかけてほぼ地球全土に分布し、多くの地域で石器時代が展開されていたのである。


 石器時代は旧石器時代と新石器時代に分かれており、この分類は今でも変わっていないようだ。より原始的な打製石器を使うのが旧石器、加工を施した磨製石器を使うのが新石器時代であり、新人たちはこの新石器時代を生きていた。

 農耕と牧畜の開始をもって石器時代の終わりとなるようだが、日本においてもこれが適用されるかは議論が分かれるところのようである。


 というのも、日本は牧畜文化がかなり後まで発展しなかったのである。西洋においては農耕は小麦が中心である。しかし、小麦というのは、手間のわりにリターンが少ない。100粒まいて300粒程度にしかならない。つまり、一年かけて3倍にするだけなのが、小麦なのである。これに対して、稲は10~30倍にもなる。しかも、連作障害も少なく、小麦畑は毎度のように休作期間を設けなければ、途端に収量が落ちてしまうのに対して、稲の場合は無堆肥栽培で連作したとしても、7割弱までしか落ちない。

 稲を水田で育てられる地域は限られるが、これが可能な地域は食糧問題のほとんどを解決できた。洪水や蝗害などの災害のない平常時においては安定した食糧供給ができる。

 また、日本は牧畜などしなくとも、川、海から魚を採る事ができ、山においても、西洋のそれと比べて豊かな山林資源は鹿、兎といった獲物を多く育ててくれていた。縄文人たちは山に入れば、キノコ、木の実やアケビの他、兎や鹿、鳥を獲ってくる事ができ、牧畜の必要はなかったのである。


西洋が貧弱な農耕を牧畜で補わなければならなかったのとは違い、日本ではその必要がなかったため、かなり後まで牧畜が求められなかった。とはいえ、地域によっては豚を飼育していた形跡もあり、全くなかったわけでもない。

 牧畜の開始を石器時代の終わりと位置付けるのは、遠からず見直されることになるだろう。


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