スズメ②




 スズメや、スズメ。

 こっちにおいで。




「なーにー?」




 大事な話があるんだ。

 お父さんと話をしよう。




「だから、なーにー?」




 手招きをすると、こちらへチョコチョコとやって来るのは、中学に上がったばかりの娘だった。

 威丈高で不満気な返事。この年齢になると、女の子というものは急に気難しくなる。思春期に入り、昔はお父さん子で何かと私に引っ付いて回っていたあの幼き娘は、背丈が伸びて制服を着こなすようになると、学校の同世代の交友関係が優先となり、寂しいもので父親とは距離を置くようになってしまっていた。

 

「呼んだ?」

 

 うむ。実に見事な仏頂面だ。我が娘ながら恐ろしい。父親に媚びて渡す笑顔など微塵もないといった感じだ。こやつが学校の友人の前だと、笑顔の絶えない明るい子(内申書にて)などと評価されている事が信じられん。(外面はかなり良いと考えられる)


「ねぇ、呼んだ? 早く話して」

 

 呼んだとも呼んだとも。

 私はニコニコとして娘に微笑みかける。

 思春期の少女などというものは爆発物と同じだ。ちょっとした事で感情が起伏して手に負えなくなる。世の中の大方の父親も同じ経験と、同じ気苦労を味わっていると思うが、この年齢の子供(特に異性の)が考えていることは、男親には理解できない。なので何かと気を遣う。今では父である私の方こそ媚びた笑みを浮かべて、よく分からない事ですぐに発火し、怒り出す娘の機嫌に仕えている現状だ。


「ちゃんと喋って」


 娘は腕を組み、クイッと顎でやる。

 私はニコニコとした笑みを作って(会社の上司にもしない営業スマイルで)、速やかに娘の指示に従うのだった。



          ⚪︎



 私がこれから伝えねばならないのは重大な要件だ。娘にある依頼をしなくてはいけないのだ。なので私は娘の機嫌を損ねることがあってはならないと細心の注意を払うことにした。出来るだけ優しく伝え、こころよく依頼を受けてもらえるようにしなくてはいけない。

 という事で、まずはカメハメ波のジェスチャーを2度やることにした。2回目は界王拳10倍、超かめはめ波だ。


「フンフン」


 娘は両手を腰に当て、ない胸を反って、偉そうに私を見つめる。

 どれ聞いてやる。続けて言ってみろという態度だ。

 しからば次は妻に強制的に連行され1日だけ頑張ったフラダンスを披露する。腕は波のようにフラフラ。半回転し娘にお尻を向けてフラフラをする。そして1分ぐらいこのナウイフラダンスをやり続け誠意を伝えた。それをじっと見つめる娘。


「フンフンフン」


 娘は手を顎に添えて、何度か相槌を打つ。どうやら話は伝わっているようだ。

 私は張り切って3度ほどネコマチ(有名な一発芸)をしてから、続けてレッツ・アンド・リターン(同じく有名な一発芸)をし、とどめの誠意あるメッセージとして、『そんなのなんでもね! そんなのなんでもね!』と口を閉じたまま拳を地面に打ちつける激しい動きをしてから、最後に『ヘイ!おっぱっペー』とポーズを決めて締めるのだった。


「フンフンフンフン」


 娘は何度も相槌を打ちながら私の言わんとしていることを解釈しようとしているようだった。いま娘の頭の中では、私が誠意をもって伝えた情報が組み立てられていって、徐々に言語化されていることだろう。

 そして、しばし間が空き、–––––


「また釣りーーー? で、また私が代わりにお母さんに言い訳を考えて伝えろって?」


 当たり。

 さすがは我が娘よ。完璧だ。

 

 ここまで過不足なく私の言わんとする事を理解してくれるのは、この世の中で私の亡くなった母親と、この血の繋がった娘だけだった。


「ジョーダンじゃないんですけどー。いいかげん自分で伝えてほしいんですけどー」


 すかさず文句を言い出す娘。


「そもそもさ。何で普通に喋んないのー? いやなんですけどー」


 ヤレヤレ。優しく諭すようにこれだけ気を遣って伝えたのに文句を言われるとは訳が分からない。年頃の娘の情緒不安定さには困ったものだ。幼い時から口達者の子ではあったけれど、今では妻に似て、よく喋る喋る。


「だってさ。お母さんに言うとさ。私は何にもしてないのにさ。なぜか私がお母さんに小言いわれるハメになるんですけどー。いつもお父さんのせいなんですけどー」


 それはお前の普段の行いが悪いからだ。お母さんがいつだってお前に小言を言う機会を狙っているのは知っているだろう。まあ、それは私にもなのだがな。だから私はお前に私の代わりに親善大使として行ってほしいのだよ。だってお母さんが怒り出したら長いからね。釣りに行けなくなっちゃう。


「イヤなんですけどー。ダメなんですけどー。わたしゼッタイやらないからー」


 ムッ、これは良い流れではない。

 娘に親善大使として行って貰わねば、私が釣りに行けなくなってしまう。もう船の予約をとってしまったんだ。一緒に釣りに行く定食屋の友人がもう待っているのだ。それでは困るのだよ。



          ⚪︎



「もーお父さんはさー。本当にどうしようもなくお父さんなんだよー」



 ブツブツと言いおって。

 しからば仕方ない。

 私はこの娘の説得を大先生に依頼することにした。


 –––先生お願いします。この生意気な娘にビシッと言ってやって下さい。


 と私は夏目先生を一枚、娘に差し出す。

 娘はその千円札をじっと見つめると、しばらくしてから鼻をフン鳴らした。

 しっかりとその札をポケットにしまい込んでから、


「あのさ、お父さんさ。いい加減痩せたら? 友達のパパなんてすっごいカッコいんだよ。スマートでスポーツマンですっごい自慢されちゃった。この前なんて『あの禿げてる人、スズメちゃんのパパ?』て聞かれて、ううん、知らないおじさんって言っちゃった」


 何がパパじゃい。


 こ、こやつ。

 ちょいと前は千円で小躍りしていたのに。

 

「‥‥私って不幸な星の下に生まれたのね。そう。そうなの。だってお父さんは、ずっと砂漠の国へ出張で旅立っていないんですもの。––––でも、でも、いつかは帰って来て、真実が明かされるの。実はね。私の本当のお父さんはタクヤ(芸能人)だったの。ウソ〜、ステキ❤️」


 うぬぬ。

 厳禁な奴め。

 

「‥あーあ、そうだったら救われるのになー」


 しかも何かいろいろ言われてしまった。

 致し方あるまい。このままでは親の沽券に関わる。私は言われっぱなしにならず、再チャレンジを試みる事にした。


 –––先生、あのような事を申しております! 親に対するあの無礼な態度を見て下さい。人倫に反することは先生のお心にも反する事と存じております。先生、是非にあの生意気な娘を懲らしめてやって下さい!


 私がもう一枚、財布から渾身の夏目先生を取り出すと、娘はすぐさまパスっとそれを強奪する。実に快速だった。

 そして、しばらく悩むように考え込んでから、


「‥‥んー、お父さんさ。その服、昨日も着てたよね。釣り道具は新しいのばっか使いたがるのに。なんで普段着はブショーなんですかー? くちゃい、くちゃい。洗濯機で洗う時、靴下とか下着、絶対に別にしてよね。というか洗濯機も別にしてよね!」


 はっはっは。

 またまた何かいろいろ言われてしまった。


「あれ? ポケットに二千円もあるんですけど。あ、本屋行こ。あ、買お。この前、間違えて買った夏目とかいうおじさんのチョーつまんない猫小説じゃなくて、『転生した最強ねこねこ魔導士の私は、気に入った王子様たちを変身させて私の猫奴隷にします。えっ、私が猫様たちの奴隷!? ニャンともしがたいことですニャ!!』ていうラノベ」


 日本の大文豪に向かって、なんと不届な奴め。

 ええい、ならばよいだろう。出血覚悟の大大大奮発だ。

 これでもくらいやがれ!

 私は財布の中から、勢いよく虎の子の一枚を抜き出す。


 ––––先生。故事にはあります。『虎穴に入らずんば虎子を得ず』と。私は覚悟を決めました。これで今月のお小遣いはかなり厳しいものとなりますが、どうかどうか先生、この私の心意気を買って、あやつをギャフンと言わせて下さい。


 娘は私の差し出したお札を見て目を丸くしている。さしも生意気な娘も夏目先生が3枚目ともなるとギャフンといった表情だ。

 と、ここで私はある重大な違和感に気づく。


 ––––これはこれは福澤先生では御座いませんか。お久しゅう御座います。ええ、ええ、そうですとも。このうみねこ、先生の教えを片時も忘れたことは御座いません。いえいえそんな私は先生を心より尊敬してますよ。いつもお会いしたいとは思っておりました。しかしながら何分、わたくしの家内はケチンボなものでして、小遣いが少ないのです。大きな買い物(釣り道具は貯金して買う)をする以外は、なるべく使い込まぬように倹約の為、あなたを月初めに10で割って、財布には夏目先生のみを常駐するようにしているのですよ。これもあなたの学問のすすめの知恵ですな。いえいえご謙遜を。先生、ですのでまさかいらっしゃると思いませんでした。本当に驚きました。お久しゅう御座います。積もる話もありますので、どうですかな? 定食屋に一席設けておりますので今から一杯でも。はっはっは。


 などと私が福沢先生との久しぶりの再会を楽しんでいると、福澤先生は娘に強奪された。私がミスに気づいて先生を引っ込める前の機先を制する物凄い早技だった。

 

「行ってらっしゃ〜い。パ・パ❤️」


 そうして娘は、学校の内申書に書かれていた事が事実であると裏付けるように、今まで私に見せたこともない最高の笑顔で私を見送るのだった。

 



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