娘の改心
死の間際になると頭というのはよく回るようになるのだろうか。ストーリー仕立ての妄想が取り止めもなく浮かんでき、それを考えていたら、だんだんと死ぬのが楽しみになってきた。
「お父さん‥‥‥」
私はチラリと娘の動向を伺う。先程から何かを言おうとして、ずっと喉の奥に言葉を詰まらせている。
実に挙動不審で娘らしくない態度だ。我が娘というものは思いついた事は我慢などせず何でも喋るし、不平不満のラップを年中ピーチク囀っているような奴だ。空気を読むような思慮などあろうはずがない。
これは本当に私の娘なのだろうか? 私は猜疑心をもって娘の顔をじっと見つめる。
あ、また何かを喋ろうとして言葉を引っ込めた。
ムッ!
ムムム!
さらに驚くべき事に、ここで娘の顔が急に歪んだ。
レアすぎて一瞬どういった時の顔なのだか分からなかったが、この表情は見覚えがあるぞ。スズメがまだ子供の頃によく見せていた顔だ。
おいおい、まさか嘘だろう。
オマエ、ホントウニ‥‥
泣くのか。泣いちゃうのか?
信じられん。いつも不貞腐れた顔をしている娘が、私の為にこんな顔をするなんて。
「お父さん。‥‥あの、‥‥‥‥あのね」
おお、声まで泣き声ではないか。
大丈夫か。今日は外は大雪か嵐か? さては天変地異の前触れか?
空には虹が三つ出て、オーロラが出ているかもしれん。流れ星がそこらの道端に転がっている状況も考えられる。
いや、しめた。ここまでの大異変だと、逆に良いことの前触れにも思える。
ならばあのポイントに行けば狙っていた大物が釣れるやもしれん。釣り残したヒラメがどうしても未練なのだ。どうせならあの堤防へ行って黒鯛を狙ってくるか。‥‥ああ悔しいな‥‥‥‥‥。
「‥‥ごめんね」
⚪︎
ア、アヤマッタ‥。
なんて言葉を口にしているんだ。馬鹿な。ありえん。我が娘は邪悪なのではなかったか? おかしい。こいつには生まれた時から人に謝るという機能はついていなかったはずだ。
「お父さん、最後に‥‥言いたい事があるの」
まだ半信半疑だったが、これは確定でいいのか?
大丈夫なのか? あの娘だぞ?
そんな甘いことを考えて後でガッカリさせられやしないか?
だがさすがにこのような状況だ。
娘の邪悪さも弱まっているのかもしれん。確定である可能性が高い。
ホレ、それにあの表情を見てみろ。
‥娘が、‥娘が、
–––泣きそうでブッサイクだ!
娘が泣く? 本当に? 私のために?
妄想はしていたが実際に、こんな事が起きるなんて信じられん。人生とは分からぬものだな。
ああ期待で、今にも止まりそうだった心臓が小躍りしそうだ。
娘の次に来る言葉は間違いない。
それは––––
––––『泣きながら、私に感謝の言葉を口にする!』
うっほーーー!
うおおお! うおおい! なんて事だよ!
死の間際にこんな一大イベントがあるとは。
えっ、娘の泣く顔を楽しみにするなんて悪趣味だって?
ジジイ、少しは自制しろって?
そんなものは‥‥‥、––––––見たい。猛烈に見たいぞぉぉぉぉ!
こやつが私の為に泣き崩れるというのは、想像するだけで本当に小気味がいいかも知れん。
いつだ? いつから見てない?
娘の泣きっ面を久々に超見たくなった。
待て、急げ。このまま死んでしまったら見れんじゃないか。
こんな凄いものを見損っなたら、死んでも死にきれんぞ。
よし、少し早いが死んだふりをして、娘の泣きっ面を拝もうじゃないか。
はい、目を瞑った!
はい、死んだ!
おっと祝福の祈りも忘れてないぞ!
チチンプイプイ
さあ、どうぞ!
そうして私は死に赴く前に、この現世に残された最後の楽しみを見つけた。
死んだふりを決行して、娘の泣きっ面を目に焼き付ける為、しめしめと待ったのだが‥‥‥。
⚪︎
「ジジイ、うんこ!」
「あ、俺もうんこ!」
「俺も俺も!」
その声を聞くと私は情けなくも反射的に起きあがろうとしてしまった。いつもその声を聞くと急いで、孫どもを1匹1匹抱き上げて、便所に順番に連れて行っていたからだ。
「もー、こんな時に」
「あ、僕が連れて行くよ」
とスズメとジロー君が言うと、
「やだうんこ!」
「ジジイのうんこがいい!」
「ジジイ、うんこさせろ!」
などと孫たちは駄々を捏ね出した。
「もー、この子たち、いっつもお父さんじゃなきゃウンチしないて言うんだから〜〜」
孫たちが漏らさぬよう、手際よく3連続でうんこをさせ、処理するのにはなかなかのコツがいる。それは他の誰にも任せられないこのジジイの自負する仕事であった。
待っておれ
このジジイが
このジジイがウンコをさせてやろう
あ、動けん
なので思わず立ちあがろうとしてしまったが、やはり体はピクリともしないと気づく。自分が死んだふりをしようとしていた事も、孫たちが騒ぎ出したことによって一瞬で忘れてしまっていた。娘の方も先ほど私に何かを言いかけていた事も忘れて、小言を言い出し始める。子供たちを前にして、母親の顔に戻り、いつものテンションになってしまっていた。
「お父さん、起きて。この子たちウンチ連れて行ってあげて」
などと能天気に邪悪なことを言い出す始末。
せっかく場がいい具合に湿っていたのに台無しだ。
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