最高の父親



 さて、

 お聞き頂けただろうか? 


 このように私は妻を大切にし、愚かな娘を見捨てず育て上げ、文字通り命を使い切るまで尽力して家族の為に働き続けた男なのである。

 ここは声を大きくして自負したいのだが、義務を全うした私の父親としての評価は高い。客観的に見てもそうなるはずである。

 

 もし、例えば小説や映画のような物語にいる人物のように私の心を見通せる超越者的な存在がいるとしたら、たった今、このウミネコの心の有り様を覗き見て、その人物はいたく感心してこう言うだろう。『ウミさん、アンタ最高の父親だよ』と。

 まさに私はそのような父親だったのである。


「ジジイ、みかん食うか?」


 続けて、仮にその超越者的な存在が本当にいたとして、私の今までの独白を聞いて、さらに深いところで彼はどういう感想を持っただろうか? このウミネコの生き様に共感できるという時点でその人物は、当然に人格者なのだから、非常に道徳性が高く、高度な良識を身につけていると考えられる。もしかして私と同じく、父親としての苦労を知る者なのかも知れない。

 であるならばやはりこのウミネコに全面的に同情的であるはずで『私もバカ娘には苦労してね』『どうだい今度、一杯付き合わないかい? 話聞くよ』などと私の心情に寄り添ってくれるに違いない。


「ジジイ、みかん食って元気出せ」


 などとつらつらと妄想を語ったが、すべてフィクションだ。

 これは私が老いるまでに学んだ重要な人生の知恵で、人間というのは主観的になりすぎると考えが凝り固まって行き詰まってしまう。だからこのようにフィクションで作り上げた第三者の視点を借りて、自分を客観視し評価してみる試みはとても有用だと私は思う。

 私は、自分のこれまでの人生のストーリーを確認して、感動で思わずうっすらと涙が出かかってしまう。自分があまりにも家族に献身しすぎた良き夫であり、良き父であった事を改めて自覚してしまったからだ。


「コラ。お爺ちゃんの上にみかんを乗せるんじゃない」


 私は人生をやり切った。

 取り立てて大きな社会的地位を得ることも、出世することもなく、一見して凡庸で誰にも賞賛されない日陰の人生ではあったが、自分のすべてを捧げて家庭を守り抜くはしたのだ。もし私の行いを覗き見る第三者がいれば、私を評価してみな口を揃えてこう言うだろう。

 

 『良き夫とはウミネコである。

  良き父とはウミネコの事である』と。


 御覧ぜよ、皆様方。

 これがあなた方の理想。求めた真の父親像だ。

 これ程までに自分を犠牲にして、さらに最後の一瞬までも家族の為に使い切り、家族に捧げようというこの姿勢。誰が私に文句をつけられようか。


 –––もはや私は誰に対しても、

 –––神にさえも何も恥る事はない。

 –––ああ、神よ。このウミネコが祈ろう。我が願い聞き入れたまえ。


 私は父親という辛い役割を、これほど立派にやり抜いたのだ。



          ⚪︎



「もっと食え。ジジイ」


 刻々と私の終わりの時が近づいている。

 幼い孫たちはまだ死という現実を知らない年頃だ。(おい、小僧どもさっきから何だ。私の上に何を乗っけている!)状況が分からないまま両親の顔をなんとなく伺いながら、先ほどから悪気なく戯れている。


「ジジイ、食え」

「俺も俺も」


 ここで突然、事切れるジジイ。

(イカンイカン。妄想に熱中し過ぎて話が間伸びしてしまった。話を進める為に脈絡なく逝ってしまおう。いや、実際はまだ死んでないぞ。これは想定の話だ。先ほどと同じのフィクションになる)

 そうなれば孫たちはキョトンとした顔で両親にこう尋ねるだろう。

『ねえねえ、お父さん、お母さん。お爺ちゃんはどうしちゃったの?』

 この突然に訪れた不幸に対する家族の悲しみの様は、目にあまるものがある。このあとの展開は想像に容易い。

 前に突っ伏し、声を張り上げ泣き崩れるスズメ。その背中を涙を堪えながら優しく摩るジロー君。急変した両親の姿と、いくら必死に呼びかけても一向に動かぬ私を見て、孫たちは事態が飲み込めず、さぞかしオロオロすることなるだろう。

『僕たちの大好きなお爺ちゃんが急に動かなくなっちゃった。どうしてなの?』

 と、最初は何が起きたのか分からない。『死』を知らぬからだ。


 ここからが教育だ。


 次第に孫たちも両親の尋常でない悲しみようから察するのだ。これが死なのだということを。そして生まれて初めて本当の悲しみというもの子供たちは経験する。

 一斉に泣き出す3人の孫たち。


「コラ、お前たち。お爺ちゃんの上に(みかんを)そんなに置くんじゃない」

 

 よし、ここでさらに盛り上がりを見せるとしよう。

 堪えきれずスズメを支えていたジロー君も涙を流す。彼が落涙する事によって一気に家族のジジイへの思いが決壊をしてしまうのだ。

 そうして家族全員が私を取り囲んで思うままに泣き叫ぶ。


 ––––お爺ちゃん、大好き。大好きだよ!

   お父さん、ありがとう。ずっと愛してるよ!


 うみねこ家のこの嘆きの声は近所一帯に響き渡り、ご近所の方々にも涙を誘うことだろう。


 うん、いい。いいじゃないか。

 うむ、実に泣けて想像力が捗る大円団ではないか。

 私も自分自身の死を儚んで、ちょと涙ぐんでしまった。

 

 これが私が理想して思い描く、我が人生のフィナーレなのだ。



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