父と娘②


 娘とろくに言葉を交わさなくなったのはいつ頃からなのだろう?

 幼い時はそれなりに懐いていてくれていたが、思春期に入り、娘は父親をあからさまに見下し毛嫌いするようになった。

 まあこれは世間一般的に他の家庭でもよくある話だ。年頃になった娘なりの甘え方なのだろうと思い、私は泰然自若と構え、一々と小言などは言わず、看過し見守ることにした。

 しかし私が言い返さない事をいいことに娘は増長した。それが当然とばかり親に対して暴言まで吐くようになった。それはもう挨拶代わりにと言ってもよいぐらい日常的にだ。ヤレヤレ、当時の娘は親を都合の良い自分のサンドバックだとでも思っていたのだろうか。

 それでも私は言い返したい気持ちをグッと我慢して、敢えて口を噤んでいた。成長してゆけば物の道理を弁え、親の有り難さをいずれは自分で学んで理解するだろうと思ったからだ。

 だが自主性に任せての成長というのは、期待をかけるべき相手を見極めてすべきで、相手によっては最初から鞭を使うしかない者もいる。私は見誤った。自分の人生で犯したこの大きな(致命的な)間違いを今でも深く反省している。

 今日こんにちの娘の有りようは、いつまでも暴言を吐き続け悪態を改善しなかった自分の子供に、眉を顰めながらも、強い言葉で叱責しなかった親である私の落ち度だ。何度も同じ事を悔いるが、私は娘可愛さのあまりに寛容でありすぎたのだ。

 こうして思えば、私と娘にあったわだかまりは、はっきりと勘当を宣言する以前から蓄積されてきたものだと分かる。

 今も昔もこのように親を親とも思わない、子の親となっても自分の親の苦労を悟る事ができない邪悪な娘であったが、私はこの不出来な娘を許そうと思う。

 すべてをだ。



          ⚪︎



「お父さん‥‥」


 

 おお、と私は少しだけ感動してしまった。さすがにこの邪悪な娘も親の死に目には少しばかりはしおらしくなるらしい。コイツにこの反応を引き出せるなら、死にがかり甲斐もあるというものだな。


(フフ、バカもんが。そんな顔をするんじゃない。いつもの太々しい不貞腐れた顔はどこへ行った?)


 何処か所在なさそうにしている娘の不安げな顔を真正面から見て、私は目を細めた。

 

「聞いて、スズメちゃん」


 ジローくんがスズメに語りかける。


「このままお義父さんとずっと喧嘩してたんじゃ辛いよ。このまま別れてしまうことになれば、きっと後悔する。絶対に、間違いないよ。ずっとだよ。‥‥ね、だからもういいよね。ちゃんと話をしよう?」


 私はじっと娘を見つめている。

 今までは愛そうとしても、娘の耐え難い言動や愚かさのせいで積み重ねっていった心にある蟠りが妨げになり、自由にそうはさせてくれなかった。

 だが一度すべてを許そうと決心すると、深く自分の心を傷つけていた呪いのようなしこりが取り払われて、一気に、とめどなく愛情が溢れてくる。

  

「喧嘩‥‥‥?」


 ‥‥そうだ。

 私は娘を愛したかったのだ。


「えっ、何それ? 私とお父さんが? 喧嘩なんてしてたっけ?」


「いいよ。みなまで言わなくても僕はわかっているから。スズメちゃん、ずっとお義父さんとちゃんと話していなかったよね?」


「えっ、そうだっけ?」


「うんうん。いいよ。何も言わなくて。全部分かっているからさ。でもさ、これが最後の機会になるんだよ。ここで話さなかったら、絶対後悔するよ。ねぇ、スズメちゃん。お義父さんに言わなくてはいけない事があるんじゃないかな。最後に言いたい事が」


 自分の死期は近い。私にはそれが分かる。もうこの日を乗り越える事もできないだろう。あと僅かだけ残された時間で私が出来ることと言えば、こうして愛しい娘の顔を見つめ、最後に心に留める事だ。


「お父さんに、最後に、言いたい事‥‥?」


 それともう一つ。

 残してゆく家族の為に祝福を祈る事だ。







 

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