かつてを重ねた同属嫌悪

レッセ・フェールがシリスを罵ったのは、かつての自分と姿を重ねたゆえかもしれないという話。



***






 この世界が嫌いだった。

 嘘。別に嫌いとかじゃない。

 でも正直、あんまり好きじゃなかったのは事実。


 そう思い始めたのはいつからだったっけ。

 でも確か、本当に些細な出来事からだった気がする。


「あいつ、オトコに話しかけるときだけ甘〜い声出すよね」

「幼馴染って言ってくっ付いて回ってるけど、本当は×××でしょ?」

「あり得るあり得る。だっていっつも胸強調した服着てるもんね。男に媚びてるというか」


 こんなの、どこの世界にだって転がってる陰湿な悪意。この世界ガイアだけに限ったことなんかじゃない。狭い世界しか知らない年頃には良くある小さな悪意の芽。

 わかっていても、まだそのとき純粋だった私はそんなクソみたいな言葉に心を痛めることがよくあった。




 幼い頃から女友達を作るのが苦手だった。

 初めは私の声が嫌いだと言われた。ねっとりとしていて、嫌だって。

 成長すると体つきが嫌だと言われた。身長は伸びないくせに、胸ばかり成長して「あざとい」って。


 あの子たちは私にどうしろと言いたかったのか。別に、わざと変な声を出してるわけじゃない。体付きだって私が自分でどうにかできる範疇なんかじゃないのに。


 生まれつきの"私"を否定されるされるのは、まだスレてなかった頃の私にはとても苦しかったのだけは覚えてる。


「ねぇ、酷いと思わない?私たち、そんな関係じゃないのにさぁ」


 女友達は出来なかったけど、近くに住んでいた男友達とは気兼ねなく話をすることができた。彼らは幼馴染で、昔から気心知れた仲だったから付き合うのも楽だった。

 いくら誰かに何か言われても、絶対的な味方として彼らがいてくれるのならきっとこの悪意にも耐えられる。


 少なくとも、私はそう思っていた。

 のに。


「あー……、うん」


 年を経るにつれて、彼らの態度はどこかよそよそしいものになっていた。


「あのさぁ、レッセ」

「なぁに?アナタたちもやっぱりそう思う?」

「いや。何というか」


 彼らは顔を見合わせて口をモゴモゴさせていた。私たちの仲なんだから、躊躇わず言っちゃえばいいのに。最初はそう思っていた。


「レッセ……。俺たち、距離を置こう?」

「───は?」


 だから、そう言われたときに後悔した。


「俺たちがなんて言われてるか知ってる?お前の取り巻きだってさ。キープくんって言われて馬鹿にされてるんだ」

「べ、別にそれだけじゃないぞ。お前もその所為でビッチだのなんだの言われてるだろ。俺たち、レッセがそう言われるのも嫌なんだ」


 焦ったように言い訳をする彼らを見て、私の中の何かにヒビが入った音が聞こえた。


「そ……んなの、そんなの逃げじゃない!私はアナタたちさえ居てくれたら、そんなの言われたって別に……!」

「俺たち"が"嫌なんだよ!!」


 襟元を掴んで食ってかかれば、強い力で突き飛ばされた。こんなナリだから思った以上に身体は転がって、思わず痛みに呻いてしまう。

 彼らが慌てふためく声。

 そんなに力を込めたつもりはなかったのかも知れない。いまに謝って、助け起こしてくれる。そう、思っていた。


「そ……そういうことだから、もうこっちに関わらないでくれ!それがお互いのためなんだしさ!」

「お前もそろそろ、身の振り方考えた方がいいぞ。実際、言われても仕方ないことわかってんだろ?……じゃあな」


 けれど、彼らは私を気遣うことなく行ってしまった。その場に残されたのは、倒れたまま呆然と彼らの後ろ姿を見送る私だけ。


 身の振り方?

 身の振り方とはなんだろう。

 私が"私"のままでいる事は、そんなにいけない事だった?


 私の中で、何かがガラガラと音を立てて崩れていく。


「は……あはっ、あはは」


 馬鹿みたい。

 ほんとに馬鹿馬鹿しい。私以外にも私みたいなヒトは沢山いるのに。なのにどうして、"私"だけが認められないの。


 悔しくて歯を食いしばる。けれどその悔しさを感じていることすら屈辱に感じて、私は拳を握った。





 いいわ。

 そんなにラベリングしたいのなら、そのとおりのヒトになってやる。だって、それがお望みの"私"なんでしょ?


 声だってもっと鼻につく感じにすればいい。

 喋り方ももっとしつこい感じにしてあげる。

 体付きが気に入らないなら敢えて強調させてやる。男に媚びてるというのなら、実際に媚びていいように使ってやればいい。……まあ、人は選ぶけれど。

 


 そうやって出来上がった【レッセ・フェール】は我ながら嫌な女だと思うのに、不思議なことに前より向けられる悪意は減った。

 自分たちが言ったことが原因で、私が変貌したことが後ろめたかったのかもしれない。もしかしたら開き直ったと思われてビビったのかもしれない。


 でももうそんなことどうでも良かった。だってそんなこと気にする"私"はもう何処にも居ないんだから。




 養成所を卒業したらすぐに外務員として別の世界へと渡った。内務員の方が楽だろうけど、同じ世界にいるだけでクソみたいな同期たちと顔を合わせる頻度は絶対に多いだろうから。


 外の世界は外の世界でそこまで好きではなかった。


 ありのままに生きて楽しそうにしているヒトが跋扈している様子は、ただただ私を不快にさせるだけだった。

 しかし彼らは基本的に私たち守護者にへりくだって生きているから、そこまで腹が立つこともない。


 所詮、負の感情を身の内に留めておけない劣等種。そう思って鬱憤をぶつけたって許される相手だったから。


 劣等種どもをときに暇つぶしの相手にしながら、言葉でストレス解消できないときには鏡像ゴミを掃除する。

 "私"は最終的に媚びて条件の良い結婚きせい相手を見つければいいから、そんな大層な世界は担当するつもりはない。そもそもそんな態度の私に、厳しい世界の担当が付くはずもない。

 全てが全てじゃないけれど、それなりに順調だった。












「先輩、そういえばルフトヘイヴンってとこも担当してましたよね」

「そうよぉ。それがどうかした?」


 近所の後輩に、成人祝いと称して酒を奢っていた時だ。

 彼女はつい先日に養成所の最終任務を通過して、晴れて成人と認められた。今日は大人になって初めての任地が決まる日、その帰りに偶然会って祝いをねだられた。


 家が近いからと何度も遭遇する内に、何故だか懐いてきた歳の離れた妹のような存在。あまり褒められた性格の子じゃないけど、慕われれば情だって湧く。

 そんな彼女が、急に任地の話をするものだから私の導き出した結論は至って単純だった。


「なぁに?もしかしてアナタが来てくれるワケ?良かったじゃない、凄く楽だし"当たり"の任地よぉ」

「ほんとですかー!?えぇ…….残念、そこだったら良かったんですけど」


 どうも違うらしい。

 人のお金で頼んだ3杯目のカクテルをつつきながら、唇を尖らせて彼女は溜息をつく。


「丁度一緒のタイミングで聞きに来てた同期がルフトヘイヴンって言われてたから、先輩を思い出して。あ、そうだ!先輩まだ婚活してますよね?彼、良い物件ですよ。ディクシアっていって───」


 コロコロと話の主軸が変わって目まぐるしい。でも、この子はいつもそうだから慣れたものだった。要約すると、そのディクシアという子は資産家の長男で物腰も柔らかいのだとか。イノウィズという姓は私でも聞いたことがある程度には有名だった。


「しかも彼、すーーーっごく顔が良いんですよ!格好いいとは違うんですけど、物凄く綺麗な顔してるんです。惜しむべくは、女が苦手ってことです」

「そこは言いようじゃない?見方を変えれば、手に入れたら他から粉掛けられるコトもなさそうよねぇ」

「さすが。先輩ならそう言うと思ってました!あと、彼と一緒に行く同期の名前も横から聞いてたんですけど……」


 彼女はそこで言葉を切った。


「シリスとクロスタっていうんですけど、2人ともディクシアの幼馴染なんですよ。クロスタの方は喋らないんでどうでもいいんですけど、シリスの方は超面倒で」


 身を乗り出して声を顰めながら、ニヤニヤ笑うその口元はとっても厭らしい。


「そいつの双子の弟が彼の幼馴染だからって、ずっと男友達にべったりなんですよ。そんなんだから、私の友達もあいつの弟が好きだったのに近付くこともできなくって」

「……へぇ」

「身の程というか振る舞い考えろって思って、前にちょ〜っとアドバイスしてみたんですけど……凹んだのも束の間、すぐ元気になっちゃって」


 聞いたことのあるような話。むしろ、殆ど経験してきたに近い話をいまもなお聞くことになるなんて。


 目の前の後輩が嗤う。養成所時代に嫌というほど見てきた顔だ。

 でもその悪意の矛先は私じゃない。

 胸の内が少し疼くけど、これは痛みじゃない。これは……。






 これは、過去の自分の鬱憤を、なすりつける相手を見つけた喜びだ。






「その話、詳しく聞かせてぇ?」

「いいですよ〜!ディクシアが女苦手なのに、そいつだけ大丈夫なのって多分───」


 なんの根拠もない、憶測だけで語られる話のなんと楽しいことか。

 未だ見ぬ後輩の姿を思い浮かべて、どう罵ってやろうか心を弾ませたのだ。






それなのに。







 顔が痛い。鼻の奥が熱くて、不快な感触が口元を満たしていく。震える掌を顔から引き剥がせばそこに広がる赤が鮮やかに目に映る。

 頭突きを喰らったのだ、と認識した途端に言いようのない怒りが思考を満たした。


「こ……んの、石頭……!」


 ありったけの怒りを込めて睨みつけても、目の前の女は冷めた瞳でこちらを見下ろすだけ。

 何がきっかけかは分からないけれど、さっきまでの姿と打って変わって悉く私の言葉に反論してくる。


「もしかして、殴り返されることはないって思ってた?」

「っ、ぐ」


 だって、だって当たり前じゃない。

 言われて当たり前の振る舞いをしてるんでしょう?言われてもしょうがない生き方をしてるんでしょう?


 なんでそんな、射抜くような、眼で。


「何よ……何よ!偉そうに見下してんじゃないわよ!!ヒトに媚びて生きてるくせに!なんで堂々としてんの?意味わかんない!もっと卑屈に生きるか、好きに生きるのを諦めるかしなさいよ!!」


 私には大事と思っていた友人も既にいないのに。

 なんで、抑圧に屈しないコイツ如きがを持っているの。


「何と言われようがこれがあたし。たとえ誰かのいう"らしさ"にそぐわなくても───あたしがあたしだってことに対して、文句を言う権利なんて誰にもない」


 濁りのない翡翠色に映る私はとても歪んで見えた。あまりにも苛ついて、見透かすような瞳に思わずダガーを突き刺す。

 呆気なく受け止められる攻撃。それすら癪だった。

 もう一度黙らせてやろうと思って、何を言ったかなんてもう覚えていない。考えて言った言葉でもなかった。


 ただ、納得がいかなくて。

 私と違って、自分を捨てないこの女が腹立たしくて。


 押し黙ったのは決して、反論されたことにビビったからではない。脅しに屈したわけでもない。ずっと思考がぐるぐる回っていたからだ。

 




 私が正しいのに。私の方が正しいのに。

 だから周りだって、私にはもう何も言わないのに。言われないようにしたのに。




 だって、そうじゃなきゃ私は一体何のためにかつての"私"を諦めたというの。






 苛立ちは胸の内に燻り続けて、胃のあたりを重たく掻き回す。どうして、どうして、どうして。


 この臓腑を捏ね回すかのような不快感は、どこかに吐き出さないと。誰かに、どこかに。



 どこかに。

 どこかに。


 

 私には、"レッセ・フェール"には、他人の言葉で折れてやるような弱さは必要がないのだから。

 鬱憤を晴らす場所が必要だ。



 そういえば今、あの残骸ゴミどもが鳴いていたじゃないか。


 掃除でもすれば、このクソみたいな気持ちは晴れるだろうか。



 私はゆっくりと立ち上がって、あの女が走り去って行った通路を歩き始めた。

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