餓狼の血には抗えず

叶あぞ

前編


 王都に来てから一年が経ち、ついに探し求めていたハルクスと会うことができた。ミトルは、まるで王族に謁見するかのような緊張感と高揚感を覚えていた。

 年齢はミトルよりも年上、三十代だと聞いている。黒髪で、小柄な体躯だが肉はしっかりしていて、こめかみには幼いころに父親に打たれたという傷が残っている。いずれもアレシアから聞いていた通りであったが、男の雰囲気についてだけは、彼女は嘘を言っていた。


 男は危険な雰囲気を漂わせていた。


 もし、ミトルが決定的に敵対するような行動をすれば、この男はすぐに飛び掛かってきて、一息で私を殺すだろう――そう確信させる何かがあった。

 ハルクスとの面会のために用意された部屋は、王宮から離れた貧民街のどこかにある。――ミトルも場所は知らないのだ。

 ここまでは、ハルクスの手下か何かに、目隠しをされて連れて来られた。

 そのうえ、移動の魔法と、方向を狂わせる魔法と、おそらく姿を隠す魔法を使われるという念の入りようだった。移動の方向や時間で、だいたいでも位置を割り出されるのを防ぐためだろう。ひょっとするとすでに貧民街の外にいる可能性だってある。

 室内にはミトルが座らされている木の椅子だけがある。ハルクスは立っていた。窓はあるが、眺めなど望むべくもない。隣の建物の乾いた土壁が見えるだけだ。

「それで、あんたがどうしてこれを持っている?」

 ハルクスがミトルに問う。ハルクスの手には赤い石の輝くペンダントがあった。

「それは、アレシア様から預かったものだ」

 ハルクスとの面会が叶ったのも、ミトルがこのペンダントを持っていたからだ。

 この赤い石はアレシアの一族に代々伝わるもので、彼女が幼いころに死んだ母から受け継いだものだと聞いていた。

 "この赤い石を見たら、あの人はきっと現れる"――。アレシアの言っていたとおりの展開になった。

「お前とアレシアの関係は?」

「私はアレシア様に雇われている」

「傭兵か」

「ハルクスという男を探して欲しいと頼まれた」

 ハルクスは自分の手の中にある赤い石に視線を落とした。

 赤い光の帯が、渦を巻いているかのように光っている。

「おれのことも聞いているんだな」

「ああ」

 ミトルは頷いた。



***


 グエナスという高名な武芸者がいた。武芸者というのは、武芸の修行をしながら、武芸を教えたり、時には傭兵のようなことをして金を稼ぐ。

 グエナスは百人の弟子を鍛えたと噂される流派の始祖であり、その彼がテュニアの地に招かれたのも、領主の私兵たちへの指南を請われてのことだった。

 そしてこのとき、グエナスの弟子の中にハルクスがいた。

 当時、師匠はすでに白髪の目立つ年齢になっていたが、ハルクスは二十を超えたばかりの青年だった。

 グナエス一門を召し抱えたテュニア領主には一人娘がいた。それがアレシアだった。

 年齢が近いこともあって、ハルクスとアレシアは、館の中ですれ違うときなどは、軽く会話を交わすようになった。

 やがてアレシアは、ハルクスに会うことが目的となり、二人の逢瀬の時間は長くなっていた。

 とはいえ貴族の血を引く領主の娘と、生まれも定かではない武芸者の若者の恋は、誰にも知られてはならない密やかなものであった。ハルクスは血気盛んな年齢であったが、アレシアを抱くなど恐れ多いことだった。しかもハルクスは寡黙であり、アレシアの愛のささやきにも静かに頷いて返すだけなのが常であった。


 グエナスが死んだのは、ハルクスが二十五歳になった年の春のことである。

 決闘の末の死であったという。

 グナエスは流派の看板を賭けて、若い武芸者と戦い、敗れたのだ。

 決闘の相手は勝利を高らかに宣伝した。それが王宮にも届いたのか、やがてその男は指南役として王に召し抱えられた。王国にいる武芸者のキャリアとしては頂点にたどり着いたと言えよう。

 男の名はスコルピオという。グナエスとの決闘から今に至るまで、スコルピオは最強の名をほしいままにしていた。

 そしてグナエスは姿を消した――。



***


 アレシアから聞かされていたのは概ねこのような事情であった。

 ハルクスがアレシアの元を去ってから、すでに七年が経っていた。

「どうしてアレシア様の元を去った? あんたはここで何をしている?」

「おれに答える義務があると思うかね?」

「あんたと――恐れ多くも愛し合っていた女の願いだろう」

 ハルクスがミトルを睨んだ。ミトルは、心臓を素手で握られたみたいな、すさまじい威圧感を感じた。

「アレシアには何も言うな。おれが生きていることも」

「どうして」

「彼女を巻き込みたくない」

「何に?」

「お前は質問ばかりだな。おれからも聞きたいことがある。おれのことをどうやって見つけた?」

「伝手と魔法を使って、王都の主要な通りからあんたの痕跡を探した。具体的なやり方は企業秘密というやつだが」

「そうじゃない。王都にいるのをどうやって見つけた? まさか大陸すべての街に伝手があるわけじゃあるまい」

「アレシア様の元を出入りしている商人が、あんたを王都で見たと言っていたんだ。それでアレシア様は私に王都に行くよう命じたんだ。アレシア様はテュニアから動けないからな」

「そうか。そういうことには気を付けていたつもりだったが。おれの顔を知っている人間がいたか」

 ハルクスはしばし黙った。自分のことが他にも漏れていないかを考えているのか。

「聞かないんだな」

「何だ?」

「アレシア様のことを」

「知っている。父親が死んで領地を継いだんだろう」

「アレシア様は結婚した」

「……それは知らなかった」

 ハルクスが動揺したかどうかはミトラには分からなかった。アレシアが評したとおり、感情を表に出さない男だ。だけど――と、弁護するようにアレシアは付け加えた。感情がない人では決してないと。

「アレシア様は今さらあんたをどうこうしようとは思っていない。ただ知りたいだけだ」

「……あれはもう過去のことだ」

「だったら」

「悪いが、お前もしばらくはおれたちと一緒にいてもらう。事が終われば自由にする。どうしてもアレシアにおれのことを話したいというのなら、それでもいい、好きにしろ」

「あんた、一体何をするつもりだ」

「……国王を暗殺する」

 ハルクスの言葉が重く、響いた。



***


 ミトラはハルクスとテーブルを囲んでいた。テーブルには他にも複数の若い男たちが同席していた。彼らの顔に見覚えはなかった。

 テーブルの上には湯気の立ち昇るスープに香ばしい香りを立てるパン、オイリーなドレッシングのかかったサラダ、それに水の入ったカップと、葡萄酒の入ったカップがそれぞれの前に並んでいた。

 場所を食堂に移していた。と言っても建物の外には一歩も出ていない。建物と建物の間の壁がくりぬかれていて、外に出ることなく直接移動できるようになっていた。

 ハルクス以外の面々は、ミトラに何かを尋ねることもなく食事を始めた。すでにミトラのことを聞いているのか、あるいは興味がないのか。

 ハルクスは水で口を潤してから、呆然と座ったままのミトラに説明した。

「主要なメンバーは、もう一月は外に出ないようにしている。街のあちこちに使い魔が放たれて、人間の顔を監視しているんだ。おれたちの顔は割れてないと思うが、万が一にも見つかりたくない」

「……あんたたちは、一体何なんだ?」

「便宜上《青の楽団》と呼んでいる。まあ、名前などない方が隠れるのにはいいんだが、何かないと不便だからな……。《青の楽団》の目的は、今の王朝を打倒することだ」

 ハルクスの言葉に、一同が静かに葡萄酒のカップを掲げた。照れたような笑顔を浮かべた者もいる。

「あんた、アレシア様の元を去ってから、反体制をやっていたのか」

「おれは正式なメンバーじゃない。知恵と力を貸しているだけだ」

「なぜ」

「スコルピオと闘うためだ」

 ハルクスは事もなげに言った。




「スコルピオは王国の武芸指南役になってからは決闘は一切受けていない。となるとヤツと闘うためには襲うしかない」

 スコルピオは王国軍の武芸指南役として召し抱えられたが、近年は国王の身辺警護も任されていた。

「……スコルピオは常に国王と行動を共にしている。警護にはスコルピオと弟子以外に、宮廷魔法師も参加している。もしスコルピオを襲っても、剣と魔法で返り討ちに遭うのがオチだ。スコルピオ以外の警護を引き離す方法が必要だ。それでおれは《青の楽団》と手を結ぶことにした」

「我々の目的は同じだ」楽団の若い男が言った。「王に触れるにも、スコルピオに触れるにも、警護を排除しないといけない」

「復讐のためか?」

「ああ」

 ミトラの問いに、ハルクスは短く肯定した。

「師匠の仇討のためにアレシア様を捨てたのか」

「あれが正しい決闘なら、おれも受け入れただろう。だがスコルピオは、決闘の場所に着く前のグナエスを不意打ちしたんだ。しかもやつは、武器だけでなく魔法も使った。神聖な武芸の果し合いに、余計なものを持ち込んだ。もちろん、やつはそんなことは言わずに、自分は武芸だけでグナエスを破ったと宣伝したが。『死人に口無し』だ。……だから、おれも同じことをやろうというんだ、公平な話だろ?」

「しかし、どうやるつもりだ?」

 ミトラが質問すると、《青の楽団》の男たちがわずかに身を乗り出した。ハルクスが手を上げてそれを制した。「問題ない。事が終わるまでこの男にはここに留まってもらう」

「そこまで信用していいのか?」

「雇い主の手前、おれたちを裏切ることはしないだろう。それにどの道、顔を見られているんだ、今さら隠したところでもう遅い」

 ハルクスの言葉に納得したのか、男たちは引き下がった。

「それで、警護を引き離す方法だったな。……国王は三年ごとにトリプテスの神殿で《儀式》を行う。魔法の加護を受けるための《儀式》だ」

「そうなのか」

「お前が知らないのも無理はない。観客を呼んでやるものでもないからな。今年が《儀式》の年にあたる。無論、何の保証もないが、王家としての正統性を示すためには、やらないわけにはいかないだろう。そこを襲う」

「それで、警護はどう片付ける?」

「《儀式》の最中に神殿に入れるのはごく限られた人間だけだ。ましてや《儀式》の間には、国王と神官と、あとはスコルピオが同行する。それくらいだ。ただし、外には近衛隊が待機していて、中に入るのは不可能だ。……普通ならな」

「では――」

「神殿は《儀式》の始まる数日前から、近衛隊が出入りを厳しく制限する。おれたちはそれより前に神殿に入って隠れて待つ。近衛隊が来る前なら、守りは手薄だ」

「しかし……隠れるなんて、そんなことが可能なのか?」

「神殿には神々の彫像が奉納されている。そこに、中に人が隠れられるように細工した彫像を紛れ込ませる。これはもう成功している。あとは夜中に忍び込んで《儀式》が始まるのを待てばいい。問題は《儀式》がいつなのか分からないことだ。近衛隊が来た後では忍び込めない。かと言って、ずっと彫像の中で待機するのも無理だ。せいぜい三日が限界だ」

「魔法を使えば、もっと長く待機できるんじゃないか?」

「ダメだ。神殿では魔法が使えない。神々の強い加護と干渉するからな。魔法を唱えても神殿に吸収されて発動しない。しかしこれは、障害であると同時に大きな利点でもある。神殿の中には、やっかいな宮廷魔法師も入ってこない。そしてスコルピオの魔法も封じられる」

「なるほど……」

「さらに言うと、国王と一緒に《儀式》に参加する人間は、当日は武器の携帯が禁じられていて、スコルピオも丸腰だ。ただし、おれたちが現れれば、近衛隊は《儀式》などお構いなしに踏み込んでくるだろう。それまでにおれはスコルピオと決着をつける」

「では、《儀式》がいつなのかは、わかったのか?」

「ああ。十日後だ」

「どうやって調べたんだ?

「話せば長い」

 ハルクスは短く言って、詳細は語らなかった。



***


 夜、ミトラは部屋を与えられて、就寝の準備をしていた。

 そこにハルクスが現れた。

「少し話ができるか?」

 と言った。話ならいくらでもする時間があったはずだが、と思いながら、ミトラはそれに応じた。他の仲間たちの目を避けたい理由でもあるのだろうか。

 ハルクスは椅子に腰を下ろした。そこから、ハルクスが話し始めるまで、たっぷりと時間がかかった。

「お前は前世というやつを信じるか?」

「……あると主張する人もいるが、私自身は見たことがないので分からない」

 ミトラは慎重に答えた。

「おれは前世の記憶がある。別の世界で生きていた記憶だ。おれはそこでも武芸者をやっていた。その世界では武器の携帯が禁じられていたから、おれがやっていたのは素手での格闘だけだったが。おれは武芸を極めようとして、届かなくて死んだ。人生のすべてを武芸に捧げた。この世界で二度目の人生が始まったとき、おれは違う生き方をしようと思った。あのままグナエスが生きていたら、そうしていたかもしれない。しかし、グナエスが殺されて、そういうわけにはいかなくなった。同じ流派の看板を背負う者として、雪辱を果たすしかない」

「武芸者であることを選んだのは、あんた自身だろう」

 グナエスの言い方にミトラはむっとした。残された者の苦しみを、この目で見てきたからだ。

「アレシアには申し訳ないことをしたと思っている。だからこそ、おれのことなんか忘れて幸せになってほしい。これはおれの本心だ」

「後悔、しているのか?」

「自分でも分からん」

 ハルクスは、言いたいことを言って、立ち上がった。

「この話、アレシアに伝えたければ、好きにしろ」

 最後にそう言った。

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