第29話

 いつも通り陣地内をウロウロ歩き回ること4日。作戦計画が却下されていたらいいなという私の淡い期待も虚しく、いつもの司令部壕とは違う場所に呼び出された。キャンバス地の覆いをめくると中はミニ司令部壕という雰囲気で、大きめの机の上に裸電球が下がっているのは同じだった。奥には作戦会議で見かけた強面の少佐と、見覚えのない士官が数人。敬礼しテーブルの端に付くと、少佐が無言で睨んできた。怖い。

「では、作戦計画を説明する」

 少佐が憮然とした表情で口を開いた。テーブルの上には、第23連隊の担当する戦線の地図が広げられている。うねうねのたくり重なり合っている線が塹壕だ。味方の陣地は配置も含めて詳細だが、敵側は大まかな線しか描かれていない。

「本作戦では連隊司令部付のヤンセン中隊がコートリー中尉の支援の元、敵防衛線を突破。敵速射砲陣地を急襲しこれを鹵獲、敵陣地に破壊工作を加えつつ撤退する。作戦開始予定は4日後〇五〇〇。以上だ」

 地図をトントンと指差していた少佐の説明が終わると、壕内に静寂が流れた。

 …え、それだけ?いくら何でも簡単すぎない?居並ぶ士官達を見渡すと、若い中尉と目が合った。ニカッと満面の笑みを浮かべられて、私もつられてへらっと笑ってしまう。

「聖女様と共に戦場に立つことができ光栄であります。中隊の指揮を任されているヤンセン中尉であります」

「よ、ろしくお願いします」

 同階級なのに私が答礼を返すような形になってしまいオロオロしていると、少佐が分かりやすくため息を吐いた。剃り上げた頭を一撫でし、じろっと私を睨みつける。

「正直なところ、コートリー中尉の能力については何一つ納得できん。真面目に説明する気にもなれなかったのでかなり省略したが、何か質問はあるか?」

 でしょうね。それなりに科学が発達した世界で聖女とか何言ってるんだと私が一番思ってる。

「作戦には私の従卒、ヘッケン伍長とアフィク上等兵も参加すると考えてよろしいでしょうか」

「そのつもりだが、中尉の判断に任せる。後方に置いておきたければそうしろ」

 殺し合いのど真ん中に2人を連れていくのは気が引けるし、後方に居てほしい気持ちはある。だけど、この戦場で一番安全なのは私の周りだというのも事実だ。今回の作戦では敵陣まで攻め込むのだから、共和国も全力で反撃してくるだろう。宿舎に居残りを命じて2人が砲撃に巻き込まれたりしたら、私は自分の判断を許せなくなると思う。

「当人達の意思にもよりますが、原則参加としたいです。作戦までに準備するべきことはあるでしょうか」

「それはこちらが聞きたい。中尉の活動には何が必要だ?」

 ゴシゴシ頭を擦る少佐を見て、彼が怒っているわけではなく困惑しているのだと気付いた。シュメルツァー大尉が作戦参謀だか何だかと呼んでいたので、おそらく軍務経験が豊富な優秀な軍人なんだろう。いつ着任したのかは知らないが、最初から居るのだとしたら1年くらいこのイーペル戦線で指揮を取り続けていることになる。普通の戦闘で怯むことはなくても、軍の常識からかけ離れたこんな作戦では今までの経験を活かす余地はない。有能な人ほど歯痒くなる状況だ。

「私達は特に何か必要ということは…あ」

「何だ?」

「その、もし軽い小銃があるなら給与していただきたいです。今使っているものは、その、私の体格だと重すぎるので」

「ああ…。すぐに準備させよう。他には?」

「今は特に思い付きません」

「何かあれば主計科に請求しろ。作戦内容については何かあるか?」

「ええと…」

 具体的な話になると少佐の纏う空気は少し穏やかになる。今のうちに聞けることは聞いておくのが良さそうだ。

「作戦に参加する具体的な人数と、作戦終了予定時刻については」

「ヤンセン中隊146名とコートリー中尉以下3名、合計149名。終了予定時刻については分からん。起案では午前中で終わるような話になっていたが、支援砲撃も無い戦闘なんぞどう展開するつもりなのか理解できん」

 私が守るべき人数は150名弱。人数的には問題ない。最前線の塹壕から敵陣までは160ヤード、悪路とはいえ走れば1分くらい。集中砲火を浴びるだろうが、とりあえず行きは何とかなると思う。問題はそこから先だ。複雑に広がる敵陣内で中隊がどう行動し、何をもって作戦終了とするのか。軍隊の具体的な作戦行動の知識がまるで無い私では判断できない。

「作戦開始時点で予想される敵の反撃の規模は分かりますか?」

「当番の中隊が反撃してくるのと、即応機銃が最低4。5分以内には砲兵を含めて大隊規模の反撃があると考えておけ。それと地雷原は概ね把握しているが、新たに敷設されたものも当然あるはずだ」

「5分あれば共和国陣地まで到達できます。その後はどう動くことになるのでしょうか」

 少佐がしばらく黙り込んだ後、ヤンセン中尉に目配せした。中尉が若干引き攣った笑みを浮かべて口を開く。

「聖女様、差し支えなければどうやって5分で突破するのかについて確認したいのですが」

「どうやって…といっても、歩いて?」

 首を傾げると、その場にいた士官全員が何か言いたげな感じになった。微妙な空気の中、少佐が身を乗り出してくる。

「つまりだ。ヤンセン中隊は敵の機銃掃射の中、地雷原を行進していくわけだな?流行りの行進曲でも歌うか?うん?」

「…そういう作戦では?」

「まあ、そうだな。そうなんだが」

 がしがしと剃り上げた頭を擦り、少佐がどかっと背もたれに身を預けた。何かを諦めた感じの目をしている。

「なあ中尉、今から機銃陣地に行って試射してみてもいいか?何分程度なら耐えられるのか試しておきたいんだが」

「あ、はい。了解しました」

 あれこれ説明するより見てもらった方が話が早いだろう。機銃なら大佐の館で一度経験済みだ。そう思って答えたら、少佐は天を仰いでいた。

「…分かった。俺は常識に縛られすぎていたらしい。何もかもを中尉の能力に任せる作戦計画は未だに納得できんが、考えるだけ無駄だ」

「はあ」

「〇五〇〇に作戦開始。5分以内に敵塹壕に到達した後、第一目標は敵速射砲の鹵獲。第二目標は敵機銃陣地の破壊。第三目標は敵陣地の無力化。ただし長居はするな。イーペルが『黄』号作戦の攻勢正面だと悟られたら本末転倒だ」

「はい」

「現在沿岸部で大規模な砲撃と兵力集中を行っている。共和国軍が本作戦を欺瞞工作の一部と認識する程度で留めておけ」

「了解しました」

 といっても私にその加減が分かるわけではない。ヤンセン中尉がうまいことやってくれるのを期待しよう。

「2日後に弾薬を支給する。不足があればそれまでに請求しろ」

 少佐が立ち上がった。会議はこれで終了らしい。少佐が退出するのに合わせて外に出て、待っていたユーリアとスザナに軽く手を振る。

「お疲れ様でした」

「うん。後で2人にも話があるからお願いね」

「はい」

 4日後の作戦に参加するかどうかは、きちんと考えたうえで決めてもらいたい。私としてはついてきてくれた方が安全だと思うけど、殺し合いに参加したいかどうかはまた違う話だ。

「聖女様」

 振り返るとヤンセン中尉と、さっきの会議にもいた士官が立っていた。相変わらずいい笑顔だ。

「あの、その『聖女様』というのは」

「泥濘の地獄に降り立ち、帝国を勝利に導く聖女。我々の間ではそう呼ばれています。ご存知ありませんでしたか?」

「ご存知ありませんでしたね」

 なんか冗談っぽいニュアンスでそう言われたことはあるけど、こんなガチっぽい目で正面から言われるのは初めてだ。なんか怖い。

「我が中隊は聖女様に命を救われた者ばかりです。聖女様の御力を疑う者はおりませんのでご安心ください」

「はあ」

「共に作戦に参加する小隊長を紹介させてください。臨時編成とはいえ、経験で言えば連隊屈指の古参で占められております。獅子奮迅の働きを約束しましょう」

「よろしくお願いします」

 ヤンセン中尉の後ろにいた4人と握手を交わす。誰も彼もガッチリデカい。私なんか片手で持ち運べそうな人達だ。

「後ほど作戦の詳細について打ち合わせる時間をいただきたいのですが、ご都合はいかがでしょうか」

「私は午後は空いていますので、ヤンセン中尉の都合に合わせます。ええと、今日はどうですか?」

「聖女様の命とあらば喜んで。一四〇〇はいかがでしょうか」

「一四〇〇、了解です」

「15分前に伝令を送りますので、聖堂でお待ちください」

「聖堂?」

「ああ、聖女様の居所なので。我々の間ではそのように呼んでおります」

「へー…」

 あの穴倉の宿舎が聖堂ねえ…。知らないうちに好き放題呼ばれているようで何とも言えない気持ちになる。中尉達と敬礼を交わして別れると、私達はその『聖堂』へと戻った。

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