第26話
連隊幹部の議論が白熱する中、私の思考は違う所を回っていた。化学兵器の使用禁止は私の世界では当たり前のことだが、ここでは違う。そもそも化学兵器自体がまだ使われたことが無いのだから、禁止も何もない。だから何も言えないのだが、小学生の頃から「やっちゃダメ」と言われていたことの只中に放り込まれると居心地が悪い。中学の時だったか、社会科の先生が日本で毒ガスを使ったテロがあったと話していたっけか。その時に無駄に詳しく毒ガスの歴史について教わった。最初は塩素ガスが使われて、それから…。
『第一次世界大戦で大規模な化学戦が行われた地名を取って、このガスはイペリットとも呼ばれています』
そうだった。私が今いるこの場所。壊滅したイーペルの町。地理が一緒かは分からないけど、地名は同じ。ここはそういう運命の土地なのか。
「では、これ以上の質疑が無ければ本作戦計画についての説明を終了いたします」
中佐が席に着いた。どうやら『黄』号作戦は滞りなく実施される運びとなったらしい。苦い顔の将校が居並ぶ中、シュメルツァー大尉がすっと手を挙げた。
「この場をお借りして、報告と提案があります。発言を許可いただきたい」
無言で頷く連隊長を見て、大尉が立ち上がった。
「まずは先般の敵攻勢に使用された新型速射砲についてであります。本件につきましては第3軍司令部より正式な分析結果が発出される予定でありますが、それに先んじてこの場で報告いたします」
「何故軍医がその情報を握っている?」
「先日、コートリー中尉の着任に伴い実施された視察において同速射砲の使用を確認。中尉の報告を元に分析が行われましたので、直属の上官である私が情報の取り纏めに関わっております」
胡乱な目が私と大尉の間を行ったり来たりする。薄々、なんとなく感じてはいたけど、軍医って軽んじられてるというか厭われているというか、扱い悪いよね?
「本速射砲につきましては、機動性と速射性を重視した設計となっているものと考えられます。射程と正確性を犠牲にして、軽量化を徹底した構造を予想しております」
「誰でも考えつくような話だな。今更それがどうした?」
少佐の階級章を付けた将校が腕組みをしながら言う。さっきの作戦説明でかなり強く反発していたので、砲兵関連の人だろうか。
「本速射砲の存在は、『黄』号作戦においても兵の消耗を強いるものになると考えております。そのため、事前にこれを鹵獲し詳細に分析することを提案いたします」
大尉の発言に、壕内がしんと静まり返る。失笑が漏れるのにそれほど時間は掛からなかった。
「それで?どうやって敵の速射砲を手に入れるのだ?貴様が散歩がてら拾ってくるのか?」
「いえ。鹵獲作戦についてはコートリー中尉が担当いたします」
突然の指名にごぶっと喉元で変な音が鳴った。コーヒーがあったら絵に描いたように噴き出していただろう。
私、何も聞いてませんけど?
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