第3話

 その後、何やかやで彼とはお茶を共にする仲になった。

 いやまあその何やかやが大事なのは分かってるよ?でも正直私にも何が何やら分からないのだ。

 あの後命乞いをする彼に害意は無いことを伝え、地下室を出るとそこは彼の言う帝国だった。いや正確には帝国の占領地?私は戦争真っ只中の帝国に、彼…陸軍軍医大佐、帝国第3軍司令部医療防疫担当参謀、によって召喚されたらしい。…ね?何が何やら分からないでしょ?ちなみに、この世界というかこの国の言葉は何故か聞き取れるし話せる。文章を読むのは無理だったが、だいたい私の知っているアルファベットと同じなので何となく発音はできる感じだ。おかげで意思疎通はそれほど困らない。良いことか悪いことかは分からないが。

 そんなこんなでお話に興じた結果、少しずつこの世界のことが見えてきた。まず彼、大佐は、帝国の名門の出で医学校を卒業後軍大学に進学し、帝国の極東植民地の駐在武官を歴任。外交と医療に明るい人物として知られているそうだ。敬虔な信徒でもある大佐が東洋の原始的な信仰に触れ、神秘主義に傾倒していくのも自然なことだったのである。と、本人が言っていた。

 帝国はこの大陸のほぼ中央に位置しており、東西南北の交通の要衝である。群雄割拠の小王国が統一され現在の帝国になったのはここ百年ほどの話だが、その源流は二千年前の古代帝国に遡り、現帝国もその正統な後継を名乗っている。源流を辿れば由緒正しい帝国も、現代国家としての統一が遅れたため海外植民地経営では他国の後塵を拝している状態である。勃興する帝国と先行する諸国との間で緊張が生じるのは必然であり、国境を接する彼我の間で武力衝突が発生するものとして帝国は準備を進めてきた。そして、友好関係にある連合王国で暗殺事件が発生すると帝国は宣戦布告、連合王国を武力併合し(なんで?)、西の共和国、東の連邦、南の連合国と交戦状態になった、そうだ。

 帝国軍は善戦し三正面全てで敵を撃退しているが、戦線が膠着するにつれてその戦費は重くのしかかり、開戦から1年が経過した今となっては戦時公債の発行だけでは破綻が誰の目にも明らかな状況となっている。どこかで起死回生の一撃が必要であるため、大佐はその知識の全てを使って悪魔を召喚し、敵軍を滅ぼすことを決意した。その結果、私が召喚された。

 …うん、全然分からん。綺麗な空色の瞳で意味不明な話をとめどなく語り続ける大佐に相槌を打ち続けた私を誰か褒めて。傾聴と共感的理解の研修、役に立ったよ…。ざっくりまとめると、よく分からんオカルトの力で何やかんやあって私がどーんとこの世界に爆誕したわけだ。何故か超常の力を授かって。

 あの日、私に放たれた銃弾は全て謎の力で弾かれた。聖句を鏡文字で刻み、純銀で作られたそれは悪魔特効のはずだったらしい。それを全て弾いた=これは聖なる存在に違いない、ということで私は悪魔から神の代理人、聖女にジョブチェンジすることとなった。解釈を加えるのではなく、ありのままを受け入れるのが大事、受け入れるのが大事…。ふう。

 とにかくそんなこんなで、私はここ、元の世界だとヨーロッパに相当するであろう地域の、たぶん第一次世界大戦くらいの時代に、軍の高官でナチュラルにイカれているおっさんの下で生活するようになった。大佐は私を丁重に扱ってくれた。大佐の家──帝国が侵攻した際に接収された連合王国の古い地方領主の館らしい──の使用人達も、主人の命令なのかまるでお姫様のように接してくれる。でも私は、とにかく早くここから離れたかった。いや元の世界に帰りたいとかではなく。というか帰れるのかも私には分からない。まあその話は置いておくとして。

 たとえば。大佐の朝は早い。朝日とともに起床し、メイドが用意したコーヒーを楽しみながら明るい窓辺で聖書を読むのが日課だ。ぱっと見敬虔な信徒。その聖書が人皮装丁でなければ。

 私も最初は気付かなかった。大佐がずいぶん丁寧に聖書を扱っているので、軽い気持ちで聞いたのだ。「大事なものなんですか?」って。そうしたら大佐は、少しはにかんだように説明してくれた。これは人間の皮膚で装丁してあるんですよ、って。何を言っているのか理解できない私に、彼は滔々と語る。人皮装丁の稀少さ、その意義、その元となった人間について。言ってる意味は分からなかったけど、私の中で大佐のやべー奴警戒レベルが5段階くらい上がった。そんなことがあってから注意して見ると、館の中にはどう見ても牛革とか豚革とかではない家具が何個かあった。…リアルホーンテッドマンションかよ。私はホラー作品は好きだけどその登場人物になりたいわけじゃないんだよ。

 他にも植民地で蒐集した怪しげな呪具でいっぱいの部屋とか、言わずもがなの地下室とか。色々知ってるはずなのに何も言わずに働いている使用人達を含めて、私には恐怖でしかなかった。私が召喚時に着ていた部屋着が丁寧にクリーニングされた上でトルソーに着せて保管されていると知った時には泣きそうになった。返してほしいと言ったら返してくれたし、リアルに泣きながら焼却炉に放り込んだけど、この館での私の扱いはそんな感じだと理解できた。極めて珍しい標本。今は何不自由なく生活できているけど、大佐の気持ち一つでどう転ぶか分からない。どうにかして離れたいと思った時に、思い出した。大佐は私を「敵軍を滅ぼす」ために召喚したんだ。私がこの戦争の役に立つなら、彼の側を離れることができるんじゃないか?

 大佐に何か役立ちたいと伝えると、次の日から早速「実験」が始まった。

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