13:東方の街
ワンス王国と呼ばれるユーニ達の国には、大きな街が五つ存在する。
ちょうど国の中央に彼らの暮らす王都があり、東西南北それぞれの拠点として他の四つの街が位置している。
危機に直面したのはその内の一つ、東の街ラクである。
★
雨が降りそうで降らない曇り空の下、ラクの街の人々はいつも通りの朝をを迎えていた。
いや、完全にいつも通りというわけではない。
先日の一件以来、この地域の貴族達の裏切りを警戒して、中央から派遣された貴族達の軍が頻繁に街に出入りしていたからだ。
しかし一般国民達は自分達に関係のないことだと思って気にもしていなかった。
それが彼らにとっても関係のある事柄になったのは、朝日がいよいよ街を照らす時間になった頃だった。
そう、戦争に無関係な者など、どこにもいない。
「おい、ありゃなんだ?」
最初に異変に気が付いたのは顔を真っ赤にした中年の男だ。
街の入口にある酒屋で酒をがぶ飲みして酔いつぶれていた彼が目覚めて最初に指差したのは、街の外だった。
方角でいえば東。
浮かび上がったその地平線の付近には、何かとても大きな影が鎮座していた。
距離はまだ遠く、この景色に慣れた地元の人間でなければ、まず気が付くものではない。
その証拠に、周囲にいる中央軍の者達は同じ方向を見ても特に何の反応も示していなかった。
「そいつはきっとあれだ。誰かがどでかい獲物を仕留めて来たんだろうぜ」
同じように目を覚ました男達は同じ方向を見て笑いあった。
確かにこの地域には砂漠を泳ぐ砂魚と呼ばれる大型の魚がいて、ハンター達の獲物となっている。
彼らが獲物を持ち帰ってくる時がちょうどこんな光景だったのだ。
しかし大地が規則的な振動を始めたところで、ようやくその認識が間違っていることを理解した。
「……おい、なんだあれ?」
「こっちに来るぞ!」
影の巨人、ラムタラ。
その黒い巨体が、人々を現実に引き戻していく。
「まさか、あれが噂の……。おい! 隊長を呼んでこい! 急げ!」
騒ぎ始めた街の人々を見て、駐留していた中央軍も一気に慌ただしくなった。
街の一般国民とは違い、彼らはその正体についての情報を持っている。
先日、国境沿いの砦を消滅させた<巨人>だということを知っているのだ。
「あんなのと戦れってのか? 冗談じゃないぞ……。おい! 地元の貴族どもはどうしてる?!」
中央軍と言っても、所詮はそれぞれの貴族が持ち寄った部隊の混成である。
有力貴族達から現地の指揮官を任された下級貴族達は、目の前の危機以上に東の貴族達の動向を気にしていた。
東方の貴族達が<巨人>に呼応して行動を起こすのではないかという懸念もあるし、そもそも本来ここは彼らが守るべき土地なのだ。
「――と、いうことなのだがね。どう思う? ムスタング君」
街の外壁にある塔の上から、この街の守備隊長レッドアは<巨人>を見ていた。
その後ろには彼がムスタングと呼んだ副官の男が控えている。
ちなみにどちらもこの地域の貴族である。
「どうも何も、戦うしかないでしょう? このままだと一番被害を受けるのは間違いなく我々です」
「戦闘用アーティファクト・ラムタラか。……全く、平民上りが厄介なものを持ち出してくれたものだ」
「その発言はいけませんな指揮官殿。先代勇者殿にはむしろこうして我らの名を上げる機会を作ってくれたことに感謝せねば」
「確かにな。領内はもちろん、他の派閥に属する貴族達からの注目度も高い。ここで功を上げればあるいは王宮に呼ばれるぐらいのことはあるかもしれん。……よし! マジック・レールガンを出せ! 砦の一つも守れん無能な平民とは違うところを思い知らせてやれ!」
マジック・レールガンとは充填した魔力で弾を加速させるタイプの大砲である。
注入した魔力の保持に難がある都合上、使うには魔導士の帯同が必須となっているが、その威力は通常の大砲とは一線を画す最新兵器だ。
これが事前に<巨人>の情報を入手していた彼らの切り札である。
慌てて逃げていく一般国民達を尻目に、選別された魔導士五人がレールガンに魔力を注入していく。
彼らがいるのは外壁の上、指揮官が立っている塔の入口からすぐのところだ。
「試作品だ。連発はできないぞ?」
「それ以前にこっちの魔力が持たないよ」
魔導士達は小声で軽口を叩きあった。
まるでもう勝利を確信しているかのようだ。
「よーし、充填率八割、八割五分、九割、九割五分……、充填完了! 早速行くぞ!」
照準を任された魔導士は発射トリガーに指を掛けた。
「外すなよ?」
「あんなでかいの、外すかよ! 照準良し! 発射まで三、二、一……、発射!」
火薬とはまた違う趣の轟音と共に、超高速で弾頭が発射された。
魔力を纏ったそれは、早朝のまだ薄暗い空気の中にまるで光線のような残像を描いて、<巨人>へと着弾した。
人間でいえばちょうど心臓の位置である。
砲身が跳ね上がった影響で当たったのは狙いより上になってしまったが、彼らの期待通りの爆音と共に衝撃で周囲を大きな土煙が覆った。
「やったぜ!」
レールガンの威力を知っている魔導士達は勝利を確信した。
事実、先ほどまで断続的に響いていた<巨人>の足音は止んでいる。
土煙が晴れて現れた<巨人>の姿は……、彼らの期待通りに腹部から上を失っていた。
その光景を見ていた人々からは歓声が上がり、レッドアとムスタングも視線を交えた。
「やりましたね」
「王宮に呼ばれるかはまだわからんがな」
もちろん二人も勝利を確信していた。
しかし……、だ。
直後に彼らが見たのは、そんな期待の全てを嘲笑う光景だった。
残った下半身の側から、消滅した<巨人>の体が徐々に修復され始めたのだ。
それはまるで周辺の影を吸収しているかのようだった。
「なっ――」
「ありえない!」
レッドアは単に倒したと思った敵が復活しようとしていることに驚いたが、魔法の知識があるムスタングはその常識外れの現象に対して驚いていた。
影は制御するのに必要な魔力量が特に多いという事実を知っている者ならば、これが正常な反応である。
魔導士の中でもトップクラスの魔力量を持つ者でさえ、自分自身の影を一分程度動かすだけで精一杯なのだ。
この世界の魔法体系において、影はコストに見合ったリターンが得られない制御対象の筆頭だというのが、彼らの共通認識だった。
しかし目の前には確固たる現実がある。
まるで常識を打倒してみせようとでも言わんばかりに、<巨人>は再び前進を開始した。
いくら東方で一番の大都市とはいえ、城のような巨体に抗えるような人工物がこの街にあるわけもなく、このまま街に入られれば通り道にあった建物が例外なく瓦礫へと姿を変えるだろう。
東方地域の貴族達にとってこの街が最大の収益源である以上、ムスタングの言う通り、このまま敵の進軍を放置すれば手柄どころか大損害は確実だ。
「グラスワンダーを全機出せ! 体当たりで奴の足を止めるんだ!」
目論見が外れたレッドアは慌てて次の指示を飛ばした。
先ほどまでの余裕はもうどこにもない。
大半の人間が城門と呼ぶ街門が開き、人が二人乗れるぐらいの大きさをした<ヤドカリ>が次々と街の外へ出ていった。
魔力で駆動するタイプの金属製多脚型戦車、グラスワンダーである。
数は数十機といったところか。
魔法の心得がなくとも操縦することは可能だが、非常に高価であるため、上級国民の兵が搭乗する場合が殆どだ。
装甲で覆われているために中の様子は見えないが、<巨人>に向けて躊躇うことなく直進していることから察するに、今を手柄を上げる好機だと捉えているのは明らかだった。
実際、魔力通信から流れてくるのはグラスワンダーに乗った血気盛んな若者の声ばかりである。
「隊長! 魔法隊と砲兵隊も外に展開して、敵に全て火力を集中させましょう! 再生にも魔力は必要なはず。消耗戦です!」
「そうだな! 後衛の指揮は任せる!」
「はっ! ……おい! マジック・レールガンにも次弾の準備をさせろ! 最優先だ!」
隊長の許可を得たムスタングは矢継ぎ早に指示を飛ばし、支援火力を担当する部隊も街の外へと走らせた。
グラスワンダーで<巨人>の速度を遅らせ、その間にダメージを与えて魔力不足に陥らせる作戦である。
人間というのは自分自身の判断が正しいのだと信じたがるものだ。
レッドアもまた、困難だが正しい道を進んでいると自身に言い聞かせながら事態の進展を見守っていた。
いや、それに関してはこの街に残っている住人のほぼ全員がそうだろう。
そうでない者達は既に見切りをつけて街を離れているのだから。
しかし守備隊長の眼前で繰り広げられる光景は残酷だった。
向かってくる<巨人>と向かっていく<ヤドカリ>達。
敵に向かって放たれ始めた魔法や砲弾はまるで光に群がる蚊のようだとレッドアは思った。
それはきっとムスタングも同じだろう。
大小の比率では象と蟻よりはまだいくらかマシな光景だったのが、せめてもの救いか。
<巨人>の足元に到達したグラスワンダー部隊が、敵の足を止めようと隊列を組んだまま正面から突進し、そしてあっさりと吹き飛ばされた。
……いや、蹴り飛ばされたの方が表現として正しい。
蹴られた<ヤドカリ>の銀色のボディは大きくへこみ、できた隙間からは赤い液体が溢れるように飛び散った。
乗っていた若者はどうなったのか……。
魔力通信を占拠する声はいつの間にか悲鳴に変わっている。
だがいくら犠牲を払っても敵の進軍は止まらない。
まっすぐ街へと向かってくる<巨人>を正面から見上げ、レッドア達は声も出せずに立ちすくんだ。
その時、まだ健在な戦力を動かそうと通信機の周波数を変更していたムスタングが、偶然に奇妙な通信を拾った。
「なんだ……?」
『報告。ツベルの陽動は成功。国王は北方に軍の主力の移動を決定した。繰り返す――』
「陽動? 国王? 何のことだ?」
これは自分達が使っている周波数ではない。
ノイズ交じりで聞き取りにくいが、その口調から素人でないことは明らかだった。
「ムスタング! 何をやっている! 退避だ!」
戦いの混乱の中、ムスタングの頭は状況を即座に理解できなかった。
しかし、とにかく目前の脅威への対処が優先だ。
そう考えを切り替えて顔を上げた瞬間、隊長レッドアの胸を背後から銃弾が貫いた。
「……え? 隊長?!」
ムスタングが慌てて振り返ると、物陰から銃を構えている男が一人だけいた。
それはムスタングがよく知っている人物だった。
「ホランド……」
流れ弾。
ムスタングの感情はそう理解したが、理性が即座にそれを否定した。
違和感の理由はホランドの持っている銃だ。
高精度のマジックライフル。
東部の軍関係者の中ではそれなりの影響力を持つムスタングですら、滅多にお目にかかれない代物である。
同じ貴族とはいえ、経済力でムスタングを下回るホランドが、まさか所有しているわけがなかった。
ということは、つまり”誰か”に与えられたのだ。
「まさかお前……、裏切ったのか……?」
ムスタングは愕然とした。
そして同時に、敵が内側まで浸食し始めていることを悟った。
いや、それどころか――。
先ほどの通信が、ムスタングの中で符合した。
彼は握っていた通信機を見た。
「そうか、国王の周辺にまで、裏切者が――」
次の瞬間、ムスタングに<巨人>の鉄槌が振り下ろされた。
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