ネビーの美味しい光のドレス

「あなたのドレスを食べさせてくれ!」


 光が喋ったと思った矢先、ドレスの裾が引きちぎられた。

 光だと思ったのは光のような金髪の男の人で、その人は言った通り、ドレスを裂いて一心不乱に食べていた。有言実行の人だった。


 今日はこの国を治めるチコ家の次男、ルシの婚約披露パーティー。

 「お前もパーティーで誰かに見初めて貰え」と、両親がこの日の為に準備した『光のドレス』。

 それがもしゃもしゃと食べられ、元々は引きずる程の長いドレスが、今は膝丈になってしまっている。

 あちこちで悲鳴が上がり人が離れていく。目の前で警備兵がドレスを貪る男を押さえ付けているのに、ネビーは何故か他人事のように男を見下ろしていた。


「私のドレス、美味しいのですか?」


 素っ頓狂な質問に、警備兵の顔が引きつった。

 のろのろと顔だけ上げた男は、少し悩んだ後、気まずそうに目を伏せた。

 あまりにもたっぷりとした長いまつげに、まばたきの度にそよ風が起きそうだわと、ネビーは相変わらずマイペースだった。


「……不味い。仕立てたやつの腕が悪い」

「そう……。なんか、残念ね」


 遠くから走ってくる両親を確認しながら、ネビーはほとほと残念そうに呟いた。

 

 光を食べる稀少な種族がいる。

 好みはあるが、光ならそれこそ、炎の揺らめきでも水面のきらめきでも何でも良い。

 そして、光を集める事も出来るその性質から、光から糸を作り、美しいドレスを仕立て、多種族に売っている。

 正式な呼び名は無く、『光蜘蛛』などと呼ばれている。

 ネビーのドレスも光蜘蛛に依頼し、半年かけて作ってもらった一点物だった。

 ――が、どうやら出来はあまり良くなかったようだ。



 翌昼過ぎ、ネビー宛てに速達、と言うより、遣いの人が直々に届けに来た。


「ルシ様からドレスの弁償をしたいと手紙が来た。あの光の男は、ルシ様の知り合いらしい。ご自身のパーティーが台無しになったと言うのに、なんてお心遣い……」


 ネビーの父・ダレスは、テーブルに置かれた手紙の前で、何とも悲痛そうにうなだれる。

 国を上げてのめでたい席。奮発してネビーに光のドレスを作ったのだが、結果としてそれが婚約パーティーをめちゃくちゃにした原因の一つになってしまった。

 だと言うのに、ルシは咎めるどころか、ネビーの心配をし、わざわざ遣いを飛ばしてくれた。

 それもそのはず、ここは全ての装束が美しい国。

 光を食べる種族ほどでは無いが、この国の人も『玉虫の民』と呼ばれるほどに、文字通り珠のような美しい姿をしており、身の回りの物にも同じくらい美しさを求める。

 そんな、テーブルでさえ着飾る国で、ドレスが破られたのだ。

 ましてや、人前でとなると、破かれた娘が自ら命を絶たないように一生見張らないとならない程だ。


 ルシの手紙には続きがあった。


『その光蜘蛛はウルという。重罪を犯したウルを光の下に出すわけにはいかない。しかし、光のドレスを作るとなると細かい打ち合わせが必要。ネビーには申し訳ないが、ネビーさえよければウルを収監している城にしばらく滞在して欲しい』


 要約するとそんな内容に、ダレスはうっかり手紙をぐしゃっと握ってしまった。

 

「光を奪うことが最も苦痛とは言え、たかがドレスの為に、ネビーをあの光蜘蛛の側になど……」

「お城にお泊まりなんて、凄いですね! テーブルクロスの模様を覚えてこないと!」


 『ドレスを破かれた娘が自ら命を絶たないように』ネビーにそんな心配は無用だった。



 真っ暗な牢獄の鉄格子越し。ウルは目を細め真っ直ぐにネビーを見上げた。


「眩し……」


 眩しいものなどないのにと、ネビーが辺りを見渡していると、ふわっと目の前をほんのりと輝く糸が通り過ぎていった。

 行く先を目で辿ると、ウルが糸を指に絡めぱくりと口に放り込んだ。


「つまみ食いするな」


 背後から近付く足音にネビーが振り返ると、看守を連れたルシが呆れ顔で歩いてくる。

 

「ご馳走を前に待てが出来る余裕なんてないんでね。腹が減って死にそう」

「腹が減って死にそうにしてるんだから当たり前だろう」

「お前の光は不味いもんなぁ。お前を食うくらいなら断食も喜んでだ」

「おい待て、なんで味知ってるんだ」


 そんな親しげなやりとりに、そう言えば二人は知り合いだったのだとネビーは手紙の内容を思い出した。

 ルシと対等に話す姿に、ネビーが目をまん丸にしウルを見つめていると、はたと目が合った。

 

「……その、あまりにも美味そうな光だったから、てっきりドレスも君の光を織って作ったのだと思ったら、無性に食べたくなってしまったんだ。なのに実際はなんとも粗悪品で。君にただ恥をかかせただけになってしまった」


 すまなかったと頭を下げるウルに、ネビーはようやく自分の話だと気付いた。

 慌てて頭を下げると、光の糸が何本かふわりとウルの方へ。

 

「うっま。……ッチ、あんな粗悪品ドレスを売りつけたのはどこのクソ蜘蛛やろうだ。あんなの着るなら裸で良い。宝石を糞で包んでるようなもんだ」

「言葉遣いがクソだな。ちゃんと言い直してみろ?」


 「だからぁ」とウルが顔を上げると、何やらニヤニヤ笑うルシと、光の糸を掴もうとニコニコと宙を掻くネビーの、何とも不思議な光景が飛び込んできた。

 ウルは再び舌打ちすると、光の糸をクルクルと巻き取り始めた。


「ドレスはネビー嬢の糸で作るのか。織機の他に必要な物は?」

「針一本で良い。この糸は織るよりレースにした方が、しなやかで美しい光になる。裏地は肌に合う物を選べば良いが、表は光の総ニードルレースドレスだ」


 ルシの眉がピクリと上がり、次第に口元が緩んでいく。

 笑顔のルシと不満げなウルの間に、ひょこっとネビーが割って入る。


「私の糸ってどういう事ですか? 光から糸を作るのですよね? 私、光ってませんよ?」


 ネビーの疑問に、二人ははっと向き直る。


「どんなものでも、光を浴びれば反射するんだ。我々玉虫の民は、それが別格らしい。光蜘蛛たちに言わせたら、発光しているようなものらしい。しかも同じ光を受けているのに、それぞれ放つ光が違うのだと。まぁ、俺も良く分かっていないんだけどね」

「そう、元は同じ光なのに、こいつは不味くてあんたは美味い」


 いつの間にか片手にコロンと毛糸玉を作り上げていたウルは、ニヤリと笑うと出来たばかりの毛糸玉に口づけをした。

 

「さいっこうの花嫁衣装を作ってやるよ……!」


 「はなっ!?」と一気に顔を茹だらせるネビーと、その隣で楽しそうに笑うルシ。

 光蜘蛛は、婚礼の衣装を贈りあう習慣があるとか。


「光のささない所ですのに、糸がとれるのですか? 私、何を反射しているのでしょう」


 気を取り直したネビーがそんな事を聞くと、ウルは「んー?」と、どこか暢気な声を上げた。

 ウルは今とれるありったけの糸をとると言い、休まず手を動かし続けている。

 やっぱり有言実行の人なのだなと、ネビーは五つめの毛糸玉が床に転がっていくのをぼんやり見送った。


「玉虫の民は、何故か光を浴びなくともほんのり輝くんだ。不思議な種族だよな。でも、だから暗い場所じゃ無いと、他の強すぎる光が邪魔で糸がとれない。牢獄に感謝だな」


 ニカッと笑うウルは、ルシと話していた時とはまるで別人のよう。

 婚礼ドレスの話を聞いた時から、ネビーはずっとそんなウルを直視できないでいた。


「でも、光が無いと食事も出来ないって事ですよね?」


 気を紛らわそうと更に質問をすると、ウルはゆるっと微笑み、新しく拾い上げた糸をするりと口に運ぶ。


「つまみ食い」


 そんな事を言いながらぺろりと唇を撫でた舌に、ネビーは一気に顔が火照る。

 ふいっと顔を反らすと、すっかり忘れ去られていたルシと目が合った。

 面白いものを見付けたニヤニヤ笑みのルシに、ネビーはたまらず走って逃げてしまった。



 城の客間と牢獄を行き来するだけの日々だが、ネビーの足取りは日に日に軽くなっていった。


「いっぱい散歩して日に当たってきたのか? 今日は一段と美味そうな光だな」

「ドレスにつける花は何を編もうか。たっぷりのフリルと花と、あと長い長いヴェールも欲しいな。とびきりのドレスにしよう」

「昨日は寝れなかったのか? 美しい顔が疲れているな。今日はもう休んだ方が良い」

「やあ俺の花嫁、俺の光。今日も眩しいほどに可憐だ。早く君に触れたいよ」


 会う度にそんな言葉を注がれ続け、最初こそ恥ずかしさでいっぱいだったネビーだが、次第に幸せで溢れていった。


「私の方が蜘蛛みたい」


 自身から伸びる糸を眺めながらそんな事をこぼすと、ウルが一瞬手を止めた。

 山盛りの毛糸玉と、精緻なレース編み。

 牢獄だと言うのに、ウルの周りは光り輝いていた。


「ああ、糸を出すから? んー、ネビーは蜘蛛って感じはしないな。もっとこう、ふわっとしてて柔らかくて美味そうで、綺麗で軽くてそれから――」

「も、ももももうそれくらいで大丈夫です!」


 毎度そんなやりとりに付き合わされるルシだったが、心底楽しいのか静かに少し下がったところで二人を見守っている。

 一度ウルが「お前は毎回来なくて良い」と悪態をついたが、ルシは「連れてくるのは僕の仕事だから」と、とびきりの笑顔で突っぱねていた。

 

 ドレスが完成に近付くにつれ、ウルは目に見えて衰弱していっていた。

 それもそのはず、ほぼ飲まず食わずで編み続け、ネビーが来た時だけ楽しげに話し、少しつまみ食いをする。

 ネビーのドレスが出来上がるまで、そんな生活が続くのだ。そして、手がけているのは重厚な総レースのドレス。そう簡単に出来上がるはずもなく。

 しかし、何度ネビーがルシに日の下へと願っても、何度ネビーがウルにもっと食べてと願っても、二人は首を横に振るだけだった。

 

「もっと食べて、か。その言葉、次はベッドで聞きたいな」


 そんなウルの言葉に、それっきりネビーはその件について絶対に触れないようになった。

 


 そんな折、ここ数年折り合いの良くなかった隣国との小競り合いが勃発した。

 戦争、と言うには規模は小さいものだったが、紛れ込んだ隣国の間者がネビー達のいる城に攻め込んだ。

 あちこちの辺境で起こる小競り合いに気を取られ、足元がお留守だった玉虫の城での争いは、辺境の小競り合いより長引くものだった。

 指揮をとるルシは、真っ先にネビーとその家族を街の外へと逃がした。

 「終わったらウルと迎えに行くよ」

 いつもの通り飄々とした口調とは裏腹に、ルシは御者に全てを託すと、城の中へと駆け込んでいった。

 そこから、収束したと噂を聞いたのがひと月後。ルシからの手紙が届いたのがその翌週。遣いが迎えに来たのは、更に半月後の事だった。

 あれほど美しくたっぷりとした翡翠の髪を、櫛で梳けないほど短く苅り揃えたルシと対面したとき、ネビーは思わず膝から崩れ落ちそうになった。

「あの時君を優先したから、婚約者さまがご立腹でね」

 短い前髪を摘まみながら、飄々と嘘をつく顔は少しやつれていた。

 ネビーがずっと気になっていた事を言おうと一歩歩み出ると、ルシは分かっていると言わんばかりにネビーの肩を軽く叩く。

 そのまま無言で歩き出したルシについて行くと、あれほど堅牢だった城は、どうにか形を保っているものの悲惨な状況だった。

 しかし、牢獄は入り口が崩壊しただけで、半地下だった為か中は被害はなさそうだ。

 足早に一番奥、ウルの所へ向かうと、そこには完成したドレスと、その脇に横たわるウルの姿があった。

 

「ウル!」


 鉄格子にしがみ付くように名前を呼ぶと、ウルは少しだけ首をもたげネビーを見上げた。

 しかし、何か言いたげに少し口を動かしたが、そのままぐったりと俯いてしまった。


「ネビー、僕は席を外すから、どうかドレス姿をウルに見せてやってくれないか?」


 ネビーの返事を待たず、ルシは牢の鍵を開ける。

 聞きたいことは山のようになる。声を荒げて掴み掛かりたいほどに。

 しかしネビーは、ルシのその言葉の意味を、痛いほどに理解してしまった。

 たったふた月弱会わない間に、ブカブカになった服。袖口や襟から覗く素肌は枯れ枝のよう。

 ウルはつまみ食いをせず、こうなる事を覚悟でドレスを編み上げたのだ。

 ルシが地上へと戻っていく。

 ネビーは急いで、でも優雅に、ウルの後ろでドレスに袖を通す。

 自身の光で作ったからか、とても肌に馴染む。裏地が無く、レースだけのドレスで、所々素肌が見えているが、そんな事は些細な事。

 そっとウルの前に立ち、くるりと回って見せる。

 ウルはゆるりと口元を緩ませると、ネビーに抱き締められ目を閉じた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る