第4話 加賀国鏑木頼信、出頭命令を無視

 加賀国松任まっとう


 霊峰白山より戴く雪解け水が集まって手取川と呼ばれる大河を形成しており、この松任を含む手取川流域の土地はただひたすらに田地が広がっていた。


 そしてこの手取川、白山信仰の祭神・菊理媛尊くくりひめのみことの気分次第なんだろう、ひとたび大雨が続けば大河の流域が変化する地でもある。そのため今年こそは氾濫などせず安らかな大河であってください、むしろあちらの集落で氾濫してくださいと農民たちは祈る日々である。


 これだけ信心深いこの地では一向宗との親和性が高くなってしまうのも頷けてしまうだろうか。何せここらの民草は霊峰白山が姿を表せば南無阿弥陀仏と手を合わせて唱える程なのだから。



 そしてこの加賀の地は、一向宗徒が地区毎に徒党を組んで自治を守る組織が点在しており、松任の地を守る集団を人々は「松任組」と呼んでいた。


 その松任は北陸街道にて金澤と小松を結ぶ中間地点となっており、その中心部にはわずかにこんもりとした丘がある。その丘には小ぶりながらも二層の櫓が目立つ城郭が鎮座しており、ひたすら広大な田地を見守って居た。



 松任城旗本、鏑木かぶらき頼信よりのぶ


 この頼信、月に一度定期的に金澤の地にある尾山御坊へ出向いては業務の連絡を受ける身なのだが最近ではそれを放棄。何度も尾山御坊より使者が来ては出頭するよう言われてるのだが現在でも無視しており、今も松任城に籠っているのだ。


 そんな頼信宛てに使者が持ってきたものは下り藤本願寺家の家紋が設えてあった文箱だった。その中身には一通の文が入っており、それを手渡すと使者は文箱を持って元来た道を帰っていった。




     * * *




「いやいやいや、こんなん納得行かんし!」


 しかし頼信は届いた文をくしゃくしゃに丸めると部屋の隅に放り投げ、そして板張りの床に寝そべった。


「右衛門尉殿、如何なされたよ───なるほど、貴殿が立腹するのも判るな」


 部屋の隅で阿弥陀像に向かって読経をしてた僧が立ち、部屋の隅に転がる紙を広げると静かに言った。


「とはいえ頼周よりちか殿を許してやって欲しいと下間しもつま頼純らいじゅん殿からの文、ですか」


 そういうと僧は紙を握りしめ静かに床に置いた。



 七里頼周。

 加賀国の一向宗徒を束ねる本願寺の坊官の一人だ。しかし彼はどうも性格に難があり気分屋な所があるためか、回りの評価はあまり芳しくはない。その癖、自分の事を『加州大将』と勝手に名乗り、増長する性格でもあったのだ。それに松任組旗本である頼信には田舎者だの土臭い百姓がときつく当たる事もあったため、ついぞこの前は取っ組み合いの喧嘩となったのだ。


 そのため頼信は尾山御坊への出頭を拒否しているのだ。



「頼源殿は判らんかもですが、この前は松任なんて米さえ拵えとけばいいなんて吐き捨てられて好い気になれますかってぇの!」


 頼信はむくりと起き上がると床間にあぐらをかいて座る。頼源と呼ばれた僧は頼信と向かい合って正座した。


「確かに米は我ら命の源です。これらを作るにもどれだけの労苦があるか……拙僧には想像すら出来ません。───かの加州大将殿なんかですと本当に判りかねるでしょうな!」


 そういうと頼源は扇子で口元を隠しながらふふと笑ったのだ。


「あ、やはり頼源殿も頼周に一腹お持ちでしたか!」


「当たり前ですよ、こんな事大声で言おうものなら大変な事になりかねませんが───右衛門尉殿と思いは同じですよ」


 この頼源という男、松任城の本丸に安置されてる阿弥陀像を日々拝み続けてる僧である。しかしこの二人、どうも馬が合うらしくどうでも良いことを駄弁りに頼信は仕事そっちのけで本丸に訪れてるのだ。しかも戒律では酒肉の飲食は禁止されてないと言う頼源は話が盛り上がってくると昼間からでも飲み始めるといった、とんでもない生臭な僧でもある。



「ところでこの前、能登で上杉家が畠山家とやりあった話。頼源殿はどうお考えで?」


「んー、拙僧は世俗には疎いもんでしてね。───まぁ上杉家の大義名分は立ってるとは思いますからもう一度侵攻してくるでしょうね」


「となるとまた兵糧提供の話が来るって事、ですかね? あの提供って松任組では意見が割れてるんですよ───で、ところで何故に上杉家と儂らって対立してるんですっけ?」



 前述の通り謙信の祖父・長尾能景は越中国にて般若野の戦い(1506年)にて落命してる為、上杉謙信からしてみれば一向宗徒は敵であろう。しかし一向宗徒から見れば上杉家は敵なのだろうか。



「まぁ、上杉家と我々が対立してるのは、武田信玄が絡んできますからね。ほら信玄の室、三条の方って十一代法主顕如の正室の姉ですから」


「え、って事は顕如殿と武田信玄って義理の兄弟って事ですか」


「えぇ。そのため武田家が後ろから糸を引いて一向宗徒を煽っていたようでもあるらしいですよ。ですがその信玄も亡くなりましたからね。───ひょっとすると雪解けも近いかもしれませんね」


「やはり、この時代の人間関係って変に絡み合ってて覚えられん。本当に頼源はよくもまぁ勉強なさって」


「ふふ、きっと御仏のお導きですよ───そろそろ一献如何です?」


 そういうと頼源は阿弥陀像に近づくと、その裏から瓢箪を取り出した。


「ついぞ先ほど、山島集落より喜捨して戴きましてね。良ければ右衛門尉も般若湯はんにゃとうならぬ“阿弥陀湯”を納めませんかね?」


「そうだな! あぁー頼周のダラマくそったれを肴に納めるか!」


「右衛門尉……。せっかくの美酒が濁るやもしれませんよ?」


「確かに!」


 二人は声高々に笑いあうと酒盃に注ぐのだった。




     * * *




 その頃加賀国金澤、尾山御坊。



「なに? わざわざ本願寺家の文箱に詰めて寄越したのに未だ返事が無いと!」


 松任より戻った使者を怒鳴り散らす一人の坊官、そう彼の名は七里頼周。月に一度の出頭をも拒否する松任組旗本の鏑木頼信に対して、自身の上官である下間頼純の名を勝手に借りてまで文をしたためたのだ。


「え、あ……」


「誰がお前に意見を求めた!」


「も、申し訳ありません!」


 腹を立てて怒鳴り散らす頼周は使者から手渡された文箱を乱暴に床に放り投げた、がらがらと音を立ててそれは転がる。その様を頼周も使者も、部屋に居る頼周の取り巻きたちもしっかり見てしまったのだ。


「あ……」


 誰かが息を漏らす。

 その声を聞いて頼周は、はっと目を見開くと部屋に居る者たちを見回した、取り巻き達はさっと目を逸らす。


 例え腹が立ってたとはいえ、本願寺家の家紋が描かれた文箱を一介の坊官が床に放り投げるなんて許される行為ではない。これでは本願寺家に対する叛意とみなされてもおかしくはないだろう。慌てて頼周は文箱を拾い、懐から手拭いを引っ張り出すと漆で黒光りする文箱を磨き始めた。そして床に転がった時に傷が入ったのを見つけたのだろうか、その場所を必死に磨き始めたのだ。


 しばらく必死に磨いてたのだろうが、どれだけ丈夫な漆塗りでも傷が入れば磨いても消えるわけがない。その手を止めると部屋の者たちを睥睨した。



「こ……これは、か、かぶら、鏑木頼信がやったんだ! 彼奴は本願寺家に対して叛意がある! そ、そうだ、な!」



 そう叫ぶと彼は再び皆の顔色を伺い始めた。そしてこの部屋に居るもの達はお互い見つめあう。


「そ、そうだ! 今こそ小生意気な松任組共を討つときです!」

「小癪な。たかだか肥沃な土地を持ってるだけの田舎者が!」

「今こそ御仏の力を見せつけるときですぞ、大将!」

「出頭命令も無視してるなんて、叛意があるとしか思えませんよ大将!」


 一人が糾弾を始めると皆は堰を切ったかのように声を上げた。それを聞いて頼周はうんうんと頷いて文箱を高々と掲げ、そして叫んだ。


「よし、今こそ我らが松任組率いる鏑木頼信を討つ!」


 そう頼周が叫ぶと部屋に居る者達は猶更声を上げるのだった。それを見て頼周はほっとし、小声で嘯いた。




 良かった、こいつら馬鹿で。




 この加賀の地では一向宗徒が地区毎に徒党を組んで自治を守る組織があると前述しているが、この組織自体、残念ながら一枚岩では無い。お互いがお互いの足を引っ張り讒言したり監視したりと纏まりが無いのだ。それらを纏める将が将たる器があり、そして度量もあれば、一向宗徒であっても脅威となるのかもしれない。しかし残念ながら頼周がそのような器があるような人間ではなかったのだ。

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