最終章 黒き竜と白き竜
第93話 無銘
本格的な冬が始まったある日のこと、ユーリはドリファ軍団の鍛冶場に来ていた。
今日はいよいよ日本刀を玉鋼で作って仕上げる日なのだ。
鍛冶場には緊張がみなぎっている。鍛冶師たちはもちろん、アウレリウスとユリウスもそうだ。
玉鋼は魔獣の体内から出てきた素材。ごく限られた量しか手元になく、今後も手に入る見込みは薄い。
失敗は許されなかった。
「玉鋼の量からして、出来上がるのは長剣――太刀ですか。太刀が一本と短刀が一本。それだけです」
鍛冶師の一人が言った。
「今日は太刀を作ります。鋼の層に全て魔力を行き渡らせるには、莫大な量が要る。短刀は日を改めます」
その言葉にみながうなずいた。
作業が始まった。
玉鋼が熱せられ、割られる。
鍛冶師たちは玉鋼の質を見極めて、同質のものを集めては積み上げ、炎で熱して塊にしていく。
硬い鉄は表面の刃となる皮鉄に。軟らかい鉄は芯とする心鉄に。
鍛冶師たちは玉鋼に泥水や藁の灰をかぶせて慎重に熱した。これは、空気に触れると不純物が入ってしまうのを防ぐためだ。
吹き上がる炎を誰もが真剣に見つめている。炎の色や火の中から聞こえてくる鉄の音で状態を判断しているのだ。
ドリファ軍団の鍛冶師たちは、元々腕利きの者ばかり。
さらにここ何ヶ月かで繰り返した試作を経て、鉄との対話を重ねてきた。
玉鋼が真っ赤な鉄の塊となって取り出された。折り返し鍛錬の段階である。
ここでユリウスが金槌を持った。彼が手に取った槌には、魔法陣の紋様が幾重にも刻まれている。
ユリウスが魔力を込めると、槌は淡く銀色に輝いた。彼の魔力の色だった。
鍛冶師たちが注視する中で、ユリウスは槌を振るう。
鉄を叩いては伸ばし、薄くなったところで半分に折り返す。叩く度に火花が飛び散って、不純物が消えていく。
十四回ほども繰り返したところで、鍛冶師が言った。
「そこまでです。今の鋼の状態が、皮鉄に最も良い」
「分かった」
ユリウスはうなずいて、心鉄の折り返しに取り掛かった。こちらは五回ほどで鍛冶師の言葉が入る。
作業は皮鉄と心鉄を組み合わせる甲伏せ、棒状に伸ばす素延べ、棒状の刀身を立体的に仕上げる火造りと続く。
そうして出来上がりつつある刀身に、アウレリウスが一歩近づいた。
「ここからは私が」
刃文と反りを作るための土置きの工程だ。
けれども彼のやり方は、ユーリの知るそれとは違った。
アウレリウスは土の代わりに、鈍い金色に輝く泥のようなものを塗っていく。
「地竜の魔石を砕いて練ったものさ」
と、ユリウスが言った。
「玉鋼に含まれていた魔の森の魔力と、僕自身の魔力。それに魔道具師としてのアウレリウスの魔力属性と、素材との相性を考えたら、あれがベストだったんだ。地竜を探し出すのは少し苦労したが、おかげでいい魔石が取れた」
あっさりと言うが、魔物の中でも最強と言われる竜種を狩るにはどれほどの力が要るのか、ユーリには想像もできない。
アウレリウスは背後の雑談を気に留めず、金の泥を刀身に塗っている。ただ塗るだけではなく、繊細な魔法陣を魔力で刻みながらの作業である。
彼が魔力を込める度、金と紫の光が火花のように飛び散っては消えた。
アウレリウスは時間をかけて土置きを仕上げた。長い時間を集中し続けていたせいで、額には汗が浮かんでいる。
「現状で可能な限りの術は施した」
そう言って、やっと一歩下がった。
金泥を塗った刀身は金と銀とが入り混じり、不思議な色に輝いている。
ユーリがハンカチを差し出すと、彼は微笑んで額の汗をぬぐった。
「さすが、お見事です。ユリウス殿の魔力と親和した上で、全ての鋼の層に力が行き渡っている」
刀身を確認して鍛冶師が言うが、アウレリウスは素っ気なく答える。
「世辞はいい。次の工程を頼む」
「事実を言っただけなんですが……」
鍛冶師は困ったように眉を下げながらも、焼入れの工程の準備をした。
炉の燃え盛る炎の中に刀身が入れられる。再び赤く染まった鋼の様子をよく見ながら、鍛冶師は炎から刀身を抜いた。
横に用意されていた水桶に素早く浸す。
ジュウ――と音を立てて刀身が冷やされていく。
同時に土置きで厚く塗った部分と薄く塗った部分に差が生まれた。泥を薄く塗った部分は冷える速度が速く、より固く鋭利な刃に。厚く塗った部分はゆっくりと冷えて、軟らかく折れにくい鋼に。
硬い鋼は大きく膨らんで、刃の反りを作っていた。
金の泥が落とされると、銀の刀身があらわになった。
刃には美しい刃文が現れている。思わず周囲からため息が漏れた。
最後は砥石での研磨。何種類もの砥石が用意されて、目の粗いものから順に徐々に仕上げていく。
そうして磨き上げられた刀は、一点の曇りもなく。
刃文はさらに美しく浮かび上がった。多量の魔力を内包し、内側から光り輝いている。
ユリウスが刀身を手に取った。まだ柄も鍔もつけられていない、むき出しのままの鋼を。
彼の魔力、彼の生命に呼応して刃がきらめく。
美と剛毅。
鋭利としなやかさ。
そして――金色と銀色の輝き。
相反する属性をともに含みながら、完璧な状態でそれらを体現していた。
「素晴らしい」
ユリウスが言う。
「今まで見たどんな名剣よりも、強く美しい。この刀であれば、どんな魔物であっても必ず斬り伏せる。そう、確信が持てたよ」
「では、ユリウスよ。名をつけてやれ」
アウレリウスが言った。武具としても魔道具としても、主が名をつけることでそれは完成する。
「ああ、もう決めている。この刀の名は――『無銘』」
ユリウスは迷いなく言った。
「ヤヌスの英雄オサフネの剣に最も近い存在にして、僕らが作り上げた刀。そしてこの刀の真の力は、あの魔物を――魔王竜を斬るときにこそ発揮されるだろう。だから今は、『無銘』。僕が必ず、こいつを後の世にまで語り継がれる名刀にしてやる」
彼の言葉は、かつてのような憎しみも怨嗟も既に薄い。
その瞳は前を向いて、父の仇を討った後の先までを見据えていた。
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