第69話 諦めない


 数日後、夕方になってユーリが出先から冒険者ギルドに戻ると、ユリウスと鉢合わせをした。ロビンとヴィーも一緒だった。

 彼らは軽く狩りに行っていたようで、素材を受付カウンターに出している。

 彼らの『軽く』は一般的な冒険者から見れば『とんでもない難易度』だ。

 カウンターに載せている素材もやけに立派な魔石とか、見たこともない魔物の牙とか、そういう物が多かった。


「やあ、ユーリ。会えて嬉しいよ。僕たちはこれから食事なんだけど、ユーリはどう?」


 いつも通りの笑顔でユリウスが誘ってくる。ユーリはうなずいた。


「いいわね。ご一緒しようかしら」


「やったね。あなたのカレー食堂は、昼だけの営業だっけ?」


「うん、そう。雇っているのが子供たちだけで、お酒は出さないから」


「じゃあ町なかの店に行こうか」


 そうして彼らは手頃な居酒屋に向かった。ちゃっかりとシロもついてくる。

 ロビンがてきとうに酒と料理を注文している。パンの他、野菜スープや豚肉のローストなどだ。本当の庶民が肉を日常的に食べるのは難しいが、お金を出せば料理は出てくる。

 シロは肉の切れ端をもらって嬉しそうだ。


「石けんを作ろうと思っているのよ」


 ワインが入ったほろ酔い加減で、ユーリは言った。


「上手に説明できなくて申し訳ないけど、病気は手や体を洗って清潔にすればずいぶん防げるの。食器とか、口にするものもそう。だから石けんを作って、カムロドゥヌムの町の病気を減らしたくて」


「へぇ、また新しいものを作るんだ。しかも病気を減らすって?」


 ユリウスは少し首をかしげた。居酒屋のランプの明かりの中、銀の髪がさらりと揺れる。


「そんなことが本当にできるのかい?」


「できるわ。必ず病気を、苦しむ人を減らせる」


 ユーリは言い切る。細菌やウィルスの話は理解してもらえずとも、こればかりは確かだった。


「石けんには海藻が必要で。近々、西か東の海岸まで行ってこようと思ってるわ」


「なら、僕が付き合ってあげるよ」


 ユリウスが軽い口調で言ったので、ユーリは少し戸惑った。


「ウルピウスの防壁の内側を歩いていけば、ユリウスに護衛を頼むような危険はないと思うわ。アウレリウス様に話して、町の新事業として認められれば兵士さんを付けてもらえるかもしれないし。そうでなくても、冒険者に頼めばいいし」


「いいや、僕が行くね。ユーリと何日もいられるチャンスを逃すものか」


「またそういうことを言って……」


 ユーリはため息をついた。その手のセリフを止めるよう何度か注意しているのだが、彼はいっこうに聞き入れない。


「ロビンとヴィーも迷惑でしょ」


「別に僕一人の単独行動でいいじゃないか。ふたりきりだよ」


 ユリウスは熱心に言うが、ロビンの呆れたような声がさえぎった。


「俺らは別に迷惑じゃないよ。たまには散歩気分で海まで行くの、楽しそうだし」


「あたしも、同じ。石けんとかいうものに、興味がある」


「何だよ、お前たち。ここは気を利かせるところだろう」


 ユリウスは仲間をジロリと睨むが、二人は肩をすくめただけだった。

 そんな彼らをくすくす笑いながら眺めて、ユーリが言う。


「みんなで旅行気分なら、楽しそうね。本当にいいのなら、頼んじゃおうかな。お金はあんまり出せないけど……」


 ロビンがぱちんと指を鳴らした。


「よし、決まりだ! お金は食費を出してくれればいいよ。ビンボーなユーリからそれ以上もらうのは気が引ける」


「ビンボーって、失礼ね!」


「わふん」


 十歳も年下のロビンに言われて、ユーリは苦笑した。だが高額な素材をいとも簡単に狩ってくる彼らに比べれば、彼女のお財布が寂しいのは事実である。

 それから話は石けん作りに移っていく。雑談も交えながらの楽しい食事となった。

 帰る頃には辺りはすっかり暗くなっている。

 ユーリとシロは冒険者ギルドまで送ってもらって、宿舎に戻った。







「はあ。ユーリがぜんぜん振り向いてくれない……」


 彼女の背中が消えるまで見送って、ユリウスが言う。


「なんでかなあ。僕、顔はいいし体も仕上がってるだろ。お金も名声もある。声をかければ、だいたいの女性はなびいてくれたよ。なんで彼女だけダメなんだろう」


「そういうところ」


 ヴィーが一言でばっさりやったので、ロビンは吹き出した。


「まあ、ユリウスの割には押しが足りないんじゃない? ユーリはユリウスの好み通りの年上じゃんか。なんで遠慮してるの?」


「え」


 ユリウスは歩き始めた足を止めた。


「ロビン、今なんて言った? ユーリが年上? 彼女、どう見たって二十歳そこそこだろう」


 ユーリの実年齢は二十七歳だが、東洋人が若く見えるマジックで周囲から誤解されていた。ユーリ自身も「私は二十七です!」と言って回るのが嫌だったので、黙っていたのだ。

 ロビンは首を振った。


「童顔で若く見えるだけで、たぶんアウレリウス様と同じくらいだよ。そういう気配だ」


「なんだって……、いや、腑に落ちる部分はある。あれだけの豊富な知識と深い洞察力。町の人々を第一に考える気高さ。確かに小娘にできることじゃない」


 足を止めたユリウスは、夜の暗闇の中でぶつぶつと言い始めた。

 その様子を見ながらヴィーがロビンに話しかける。


「黙っていたほうが、よかったんじゃ?」


「ずっと黙ってて、こじらせた挙げ句にバレだら大変だろ」


「だいぶ手遅れかも」


「さすがにそれはないでしょ」


 仲間たちのひそひそ話を聞き流して、ユリウスは思う。


(本当は、もう年齢は大きな問題じゃない。少し前から彼女に惹かれている。自覚はあったさ。一番気にかかるのは――)


 彼は視線を上げた。町の北側を眺める先には、ドリファ軍団の駐屯地がある。

 あそこにいるはずの、尊敬する従兄。八年前に全てを任せて飛び出してしまった。

 アウレリウスとつい先日、やっと和解できたばかり。ユリウスは本当に嬉しくて、今の関係を壊したくなかった。


(僕が引くべきだ。彼女の心は彼に向いている。分かっているとも。けど……)


 諦める。その選択肢は、ユリウスの心にどうしても浮かんでこなかった。

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