第53話 シナモン


 その日は唐辛子の採集に時間を取られたせいで、黄色マンドラゴラやシナモンを回収する時間がなくなってしまった。

 そのため一行は日程をもう一泊増やして、翌日に帰還することにした。

 野営の場所は黄色マンドラゴラの広場から少し離れた場所を選ぶ。

 夜はそれ以上何も起こらず過ぎていった。強いて言えばまたまずい麦粥を食べる羽目になって、みなでげんなりしたくらいか。

 ポメラニアンは相変わらずユーリを離れようとせず、一緒の寝袋で眠っていた。


 翌日は朝から黄色マンドラゴラを採集して、いくつか株を残したところで終了とする。ポメラニアンは案外魔力耐性が強いようで、マンドラゴラから少し距離を取る程度、耳栓なしで平気にしていた。

 次に森の入口まで移動し、シナモンの木を確かめた。


「シナモンの樹皮を収穫するには、小刀で剥ぐのがいいと思う。本当は専用の剥ぐ道具があるみたいなんだけれど、そこまでは分からないわ。で、外側の樹皮のもう一枚内側にスパイスになる部分がある」


 ユーリが言う。


「内樹皮を取り出すには、いろいろと手順があって」


 まず、一番外側の樹皮を剥がす。

 次に外側の樹皮を削るようにして、スパイスになる内側の樹皮を取り出す。それからハンマーで叩いてほぐし、ロール状にする。

 ただしロール状にできるのは内樹皮が特に薄い種類のシナモンであって、樹皮が厚い種類はそのままの形で使われる。

 ユーリの説明を一通り聞いた後、ロビンが手を挙げた。


「オッケー。俺がやるよ、そういう細かい作業は得意だから」


 ロビンは小刀を取り出して、シナモンの木の樹皮を剥いでいく。

 縦三十センチほどで、くるりと一回りの樹皮が剥がれた。


「うーん。これは、カッシアかなぁ? 樹皮が厚い方のシナモン」


 ユーリが内側の樹皮を見て言った。色は赤みがかった茶色で、比較的しっかりとした触感である。

 薄くロールするセイロンシナモンであれば、もっと明るくて層を成すような見た目だったはずだ。


「どうしたらいい?」


 ロビンが聞いて、ユーリが答える。


「三ミリくらい内側を残して、外側を削ってほしい」


「厚いっていうけどけっこう薄いね」


 ロビンは言いながら再び小刀を樹皮に滑らせた。

 ユーリはそれを汚れていない袋に丁寧にしまう。


「もっと剥がす?」


 ロビンが聞くが、ユーリは首を振った。


「とりあえず、このくらいでいいわ。これが本当にシナモンなのか、毒がなくて安全なのか確かめないといけないから」


「そっか、分かったぜ」


「じゃあ、今回の採集はここまでかな?」


 ユリウスが言えば、ユーリはうなずいた。


「ええ、帰りましょう。今回も山程の収穫で興奮しちゃったわ!」


「あはは、それはよかった。お役に立てて嬉しいよ。そろそろカレーが完成しそう?」


「うん。ターメリック……黄色マンドラゴラの乾燥が終わったら、完成になると思う。ああ、あれも一応、毒性がないか確かめないといけないわね」


 などと話しながら、森を出てウルピウスの防壁へと向かった。







「……あら? お前、まだついてくるの?」


 森を出たにもかかわらず、ポメラニアンは普通の顔でユーリたちについてきた。


「おかしい。魔物は、魔の森から出たがらないのに」


 ヴィーが不審そうに小犬を見ている。足先でつつくと、小犬は慌ててユーリの陰に隠れた。

 そんなポメラニアンの扱いを決めかねて、ユーリは困ったように言った。


「出たがらない? 出られないわけではないのね」


「そう。興奮して追いかけてくるときなどは、出てくる。でも、そうでなければたいてい、足を止める。こいつはやっぱり、おかしい」


「確かに。このまま町まで連れていくわけにはいかない。殺しておくか」


 ユリウスがいつもと変わらないにこやかな口調で言って、剣の柄に手をかけた。


「ヒィン!」


 小犬は飛び上がった。ユリウスの殺気が本物だったのだ。必死な様子でぐるぐるとユーリの回りを走り、ついにはごろんと横たわった。腹を見せて降伏の姿勢である。


「無害を装う、か。知恵が回るね。ますます気味が悪いよ」


「ユリウス、待って。今までのこの子、なにもしなかったじゃない。本当に無害なのかも」


「たとえそうだとしても、魔物を町に――いや、ウルピウスの防壁の向こうへは連れていけないよ。アウレリウスが必死に守ってきたものが、台無しになってしまう」


「…………」


 ユーリは小犬をかばいながらも、返す言葉を見つけられないでいた。

 この世界の人々は魔物に脅かされながら暮らしている。ユピテル帝国の皇帝は大規模な防壁を築いて、アウレリウスは軍団を率いながら安全を守っている。

 この小犬が無害だから、小さくて可愛らしいからという理由でルールを破るわけにはいかない。そんなことをすれば、人々が作り上げた秩序にヒビを入れてしまうだろう。


「帰りなさい」


 だからユーリは言った。


「お前はついてきてはいけないの。魔物が入ってきたら、みなが不安になってしまう。たとえお前が何も悪いことをしなくても、それを証明することはできないから」


「クゥン……」


 小犬はしょんぼりと耳を伏せた。


「行こう」


 ユリウスに言われてユーリは歩き始める。振り返らなかったが、足音はしなかった。ポメラニアンはその場に佇んでいる。

 と。


「ワォーン!」


 小犬が一声、高く鳴いた。一行が驚いてそちらを見ると、白いポメラニアンはふるふると震えている。毛がぶわっと逆立った。


「……なんだと」


 ユリウスが険しい瞳になる。


「どうしたの?」


 ユーリが問えば、彼は答えた。


「あの小犬から魔力の気配が感じられなくなった。ただの犬と同じになっている」


「ありえない。偽装だとしても、見事すぎる。もし最初からあの状態だったら、魔物と見抜けなかった」


 ヴィーが目を凝らしてポメラニアンを見ている。ロビンが続けた。


「魔力以外にも、魔物は独特の気配というか、人間と隔たる感じというか、そういうものがあるんだけど。今のこいつはそれもない」


 警戒する人間たちを気にせずに、小犬は走り寄った。嬉しそうに笑っている。まるで「これならついていっていいでしょ?」と言っているようだった。

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