第12話 丸投げ


「ナナさん。この在庫表が真っ白なんですけど、どうしてか分かりますか?」


 他に聞く相手もいない。ユーリはナナに声をかけた。


「…………」


 ナナは小さく首を振る。しばらく待っても何も言わないので、ユーリが口を開きかけると。


「分からない……です。あたしの担当は経理だけなので……」


 とてもか細い声だった。ユーリはなるべく優しい口調で言う。


「じゃあ、誰か分かる人を教えてもらえますか?」


「たぶん、ギルド長……」


「分かった。聞いてきますね」


 ユーリは内心でため息をつく。いくら担当違いとはいえ、同じ事務所内の書類がこんなことになっていて、気づかないはずはないのだけれど。

 立ち上がって部屋を出る際、そっと振り返ってみたら、ナナはまるでうつむくように机に向かっていた。落ちかかって顔を隠す髪が、彼女の閉じた心を表しているようだった。







 ユーリは冒険者ギルドの本館に戻って、再度ギルド長のガルスと面会した。

 ガルスは「今日の仕事はそろそろ終いなんだがなあ」などと言いつつも、話を聞いてくれた。


「倉庫事務所で素材の在庫表を確認しました。これです」


 ユーリが在庫表を差し出して切り出すと、ガルスは眉尻を下げて頭を掻いた。


「あ、あ~。それなぁ……」


 歯切れの悪いガルスに、ユーリは畳み掛ける。


「もう四月なのに、今年の分が真っ白なのは、どうしてですか?」


「スマン!」


 ガルスは長椅子からがばっと身を起こすと、ユーリを拝むようにした。


「見ての通りだ。正直に言うと、倉庫の在庫は誰も把握なんぞできちゃいないんだ」


「えぇ?」


「十年前にウルピウス帝の防壁――そう、町の北にあるとんでもなく長い壁だよ――が完成して、このカムロドゥヌムの町は安全性が高まった。安全な拠点に冒険者たちが増えて、素材の買い取りも増えた。その頃からだよ。倉庫に素材を放り込むばっかりで、だんだん中にどんなものがどれだけ入っているか、分からなくなっちまったんだ」


「…………」


 ユーリが思わず黙ると、


「…………」


 ガルスも天井を仰いでため息をついた。

 部屋の中はしばらく無言が続いたが、いつまでも黙っていても埒が明かない。

 仕方なく、ユーリは質問してみた。


「誰も在庫を把握していないのに、素材の注文が入った時はどうしているんですか? どこに何があるかも分かりませんよね?」


「コッタのような熟練の職員が、勘を頼りに取ってきている」


「カン」


「カンだ」


 ユーリは頭が痛くなるのを感じたが、もう少し頑張ってみることにした。


「経理はどうなってるんですか。入庫と出庫の帳簿が合わないと、書類が作れませんが」


 ナナの様子を考えると期待できないと思いつつ聞いたら、こんな答えだった。


「大手の魔道具商会や鍛冶ギルドなんかだと、毎月の注文にそう大きな違いはない。必要とされる素材はほとんど決まっている。毎度同じ注文が入ったことにして、帳尻を合わせている」


 ひどいものである。

 ガルスは肩身が狭そうにしながら続けた。


「一番デカい問題は、ドリファ軍団からの注文だ。あそこは毎月、必要なものをきちんと調べて注文してくる。だから細かく対応しなけりゃならねえのに、だんだん納品ミスが増えて、アウレリウス様やペトロニウス様にお叱りを受けるようになった」


 そりゃあそうだろうなとユーリは思ったが、さすがに口には出せない。


「冒険者ギルドはブリタニカ属州総督の下で運営されている。軍団と同じ国の組織だ。とはいえ正規兵の軍団と、食い詰めた農民を冒険者に仕立て上げて働かせているウチとじゃ、立場が違いすぎる。もう限界なんだよ。

 なあ、頼む、ユーリ。あんたはアウレリウス様のお墨付きだ。この状況を何とかするために来てくれたんだろう?」


「いえ、私は……」


「頼む、この通り! このままじゃ素材の買い取り業務まで支障をきたしかねん。そうすりゃ冒険者どもは死活問題なんだ」


「う……」


 ユーリは言葉を詰まらせた。貧しい農村から出てきて、危険と隣り合わせで食い扶持を稼いでいるという冒険者たち。そんな彼らのこの先が、ダメダメな倉庫管理のせいで行き詰まってしまうなんて、あんまりだ。


「……分かりました」


 ユーリは覚悟を決めてうなずいた。


「微力ながら、力を尽くします。まずは何から手を付けるといいか、ガルスさんと相談したいのですが」


「おお! 助かるぜ!」


 ガルスは顔を輝かせて膝を打った。


「やり方はユーリに任せる。何せ俺がギルド長をやっている間に、こんなんなっちまったからな。アウレリウス様お墨付きの知恵を見せてくれ」


「いやあの」


「よっし、じゃあ今日の仕事はここまでにしとくか。いやー、首の皮一枚つながった気分だわ。良かった、良かった」


 ガルスは機嫌よくワハハと笑って席を立った。


「明日からよろしく頼むぜ、ユーリ」


 バタン。ガルスが出ていって、ギルド長室のドアが閉じられる。

 後に残されたユーリはぽかーんとした。


「えっ、何、今の。……丸投げ? まるっと投げられた?」


 今日は倉庫を見てめまいがして、めちゃくちゃな状況に頭痛がして、最後に丸投げである。盛りだくさんにも程がある。

 ふと見れば、窓の外はそろそろ夕焼けが始まっていた。そういえば、ユーリの住む部屋もまだ案内してもらっていない。

 事態は差し迫っているものの、ここまで来たら今日や明日に破綻するわけでもないだろう。

 ティララに宿舎の部屋を聞いて、今日はもう休もうと思った。


「あー、なんか、すっごく疲れた……」


 深い実感を込めて、ユーリはため息を吐いた。

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