Life.1 嵐の転校生(3)《絶花とリアス》
天聖が魔境と言った意味が、ようやく実感できた気がする。
ここには、この人のような強者が、そこら中にいるんだろう。
剣を捨て、戦うことを避け、平和にやりすごすのは至難と言わざるをえない。
「あなたのお名前は?」
「……宮本絶花、です」
相手が実力者なのは明白、いつでも逃げられるよう更に意識を鋭くする。
「宮本?」
しかしすぐに戦闘にはならず、リアス・グレモリーは顎に手をあて何か考え込む。
「私が関与していないとするとお兄さまが……いえ、もしかすると……」
悩む姿ですら様になるというのは卑怯だろう。
「そうなると、あなたもただの人ではなさそうね」
「っ──!」
「安心なさい絶花さん。争うつもりはないわ」
彼女は穏やかに告げると、ゆっくりと私に近づいた。
「なにを……」
「動かないでちょうだい」
「それ以上来ると……」
「動かない」
こういう人を、世ではお姉さまなんて呼ぶのかもしれない。
私はなぜか逆らえず、悪魔だというこの人の言葉に従ってしまう。
「──リボンが曲がってるわ」
リアス・グレモリーと名乗った悪魔は、ひどく優しい手つきでそれを直し始める。
「あの……」
「じっとする。上手に結べないわ」
「は、はい」
鼻先をかすめた紅髪は、とても甘く柔らかな匂いがした。
「これでよし、身だしなみはきちんとなさい」
「えっと、グ、グレモ……」
「リアスでいいわ」
「あ、ありがとうございます、リアス……先輩?」
そういえば制服が少し違う、雰囲気からしても年上で間違いないと思うけれど。
「さっきから気になっていたのだけれど」
彼女の手はそのまま私の胸元へと伸びた。
「り、りり、リアス先輩っ!?」
「なにか不思議な力を感じる。本当に彼と出会ったときのような」
彼女はそっと手を下ろすと、どこか寂しさを宿す瞳で私を見つめた。
「あなたはまるで抜き身の刀のよう」
そういえば、かつて天聖も同じようなことを言っていた。
私は、冷たく、鋭く、近寄るもの全てを切り裂いてしまうようだと。
「もっと肩の力を抜きなさい。せっかく可愛いお顔なのにもったいないわ」
なぜだろう、嘘をついているようには聞こえなかった。
「私は」
もしかしたらこの時、助言など無視して去るべきだったのかもしれない。
しかしこの学園で初めて名前を聞いてくれたこの人には。
少しだけ、本音を漏らしてしまう。
「私は、力の抜き方なんて知りません」
不器用だから。口下手だから。おっぱいのせいで心の安まる日なんてなかったから。
「これしか、知らないんです」
たとえ勘違いされ、空回りをするとしても、突き進むしかなかった。
今さらそんな風に言われたって到底無理な話で……。
「──なら、今から知ればいい」
落ち込みかけた私を、彼女は優しく強く引きあげる。
「あなたは自分を変えるために、ここに来たのでしょう?」
「それは……」
「私は知っている。人はひとりでは成長できないと」
彼女の声には熱があって、きっと色々なことを乗り越えてきたのだと伝わってくる。
「沢山の人に出会いなさい。そして沢山のことを学びなさい」
さすれば、おのずと道は拓けるだろう──先輩の目がそう語る。
「あなたなら必ず変われる。想い続けることで夢は叶うものよ」
リアス先輩がにこやかに頷いた。
「大丈夫、これでも人を見る目はあるんだから」
正直、正門前で不安に押しつぶされそうな自分がいた。
もしかしたら天聖と喋って、叫んだりして、誤魔化していたのかもしれない。
でもこの人に出会えて、ほんの少しだけど、何かが変わった気がする。
「じゃあ最後に、ちゃんと聞いていなかったから教えてちょうだい」
リアス先輩が真っ直ぐに問いかけてくる。
「絶花さん、あなたはこの学園に何を求めてきたの?」
ここに来るまでの、辛く厳しい毎日を思い出す。
「私は──」
でも目標はずっと変わらなかった。
「友達が、ほしいです」
ひとりぼっちは寂しい。いつも誰かとすごす日々に強く憧れた。
「一緒に勉強したり、遊びに行ったり、怖いけど喧嘩もしてみたい、それから……」
やりたいことは山ほど出てくる、そのどれもが平凡極まりない。
きっと他人からしたら失笑されてしまうことばかりだろう。
「あなたは──」
上手く言葉が纏まらない私に、彼女は一つの答えをくれた。
「────青春を、知りたいのね」
リアス先輩が微笑む。
やっぱりこの人は、私にとって女神様なんだと思った。
「──ところで、どうして旧校舎に?」
それから少し間が空いて、リアス先輩が首を傾げた。
「迷子、でして……」
私は中等部の校舎を目指していたことを告げる。
「それは見つかるはずないわね」
「どうしてですか?」
「だってここ、高等部の敷地だもの」
「こ、高等部……?」
でもこの学園って、幼小中高大の一貫教育って……。
「それぞれ校舎は別々なの。中等部はここから数百メートル離れたところに。高等部と同じ敷地内にはないわよ」
「うっそ……」
でも、よく考えてみれば制服のデザインも微妙に異なっているわけで。
彼女の言う通り、私は最初から間違った場所に来ていたことに……。
「ふふっ、あなたってやっぱり面白いわね」
先輩は楽しそうに肩を揺らすけれど、私からしてみればそれどころではない。
「始業までは、あと一〇分ってところかしら」
「じゅ、一〇分!?」
こうしてはいられないと、急いで中等部までの道を教えてもらう。
「早く行かないと遅刻ね」
転校初日から遅刻なんて許されないだろう。
ただでさえ人相が悪いのに、素行も悪いとなれば一体どうなるか。
「不良扱いされて……喧嘩を売られて……生活指導に呼ばれ……皆に避けられ……」
「絶花さん?」
「友達はできず、青春もできず、おっぱいに悩まされたまま孤独な生涯をぉ……っ!」
普通の人生とかけ離れた、最悪の結末が頭をよぎ──
「お、おお、おぱ、おっぱい……!?」
気づくとリアス先輩が抱擁していた。
行為自体にいやらしさはない。しかし女神様の胸と私の胸が密着していて──
「声がまったく届いていなかったようだからハグしてみたの」
「き、気を遣っていただいて、感謝しますけど、は、はは、離していただけると……」
「そんなに強く抱いてないけれど、苦しいかしら?」
「お、おっぱいで心が苦しいです!」
先輩はまた首を傾げていたけど、すんなりと解放してもらえる。
「お世話に、なりましたっ」
「ええ。何かあればいつでも旧校舎にいらっしゃい」
私は大きく頭を下げてから踵を返す。
やっぱり今すぐ力を抜くなんてことはできない。
だからせめて、今この時できることを精一杯にと走り出す。
「絶花さん!」
急ぎ走り去ろうとするところで名前を呼ばれた。
振り返ると、門出を祝うかのようにリアス先輩が言う。
「ようこそ、駒王学園へ!」
私の学園生活は、紅葉よりも鮮やかな紅髪から、幕を開けたのだった。
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