第15話 想いのかけらをひとつ残らず拾い集める(前)


 その道のプロに聞かれたら「当たり前だ」と叱責されるかもしれないけれども、曲を作るというのはそう簡単ではないということを、身をもって実感している15歳の夏だ。


 それが人の耳に――ましてやその曲を進んで聴きに来る人たちの耳に――入るとあらば、なおさらである。下手な曲は作れない。

 

 まず俺が取り掛かったのは、過去5年間にこの国で流行った楽曲を聴くことだった。作曲経験のない俺に太陽がそうするよう、助言したのだ。


 丸一日かけて50曲ほどを聴き漁った。


 世辞にうとい俺でも、半分はどこかで聞いたことがある曲だった。しかしもう半分に聞き覚えがなかったのは、「クラシック以外は音楽と認めない」方針を貫いて生活していた母の影響が大きいだろう。


 俺はいよいよ、自宅でメロディ作りに着手しはじめた。太陽から借り受けたレコーダーに向けて、「ふんふん」とハミングしながらアコースティック・ギターをかき鳴らす。


 念頭にはもちろん高瀬の詞があり(高熱の中、何度も何度も読み返しているといつの間にか暗記していた)、イメージするのは初恋に戸惑い透明感をまとった、今にもどこかに消えてしまいそうな少女の姿だ。


 感覚を研ぎ澄まして、高瀬が歌詞全体にちりばめた想いのかけらをひとつ残らず拾い集める。

 

 すると曲の全体像がぼんやり把握できるようになってくる。どうやらこの歌詞に合うのは、マイナーキーのようだ。


 中でもAマイナーとEマイナーが主軸となって、少女の想いを後押ししていく。DマイナーやFやCで時々アクセントをつけ、曲に抑揚を与える。


 テンポは当初の想定より、若干ではあるが速めだ。歌詞の中に確かに見え隠れする焦燥感を表すためだ。

 

 メロディ制作が行き詰まったら、再びヒット曲を聴いて、そこから傾向のようなものを抽出していく。今度は女性ボーカルの、それもバラード曲に絞る。盗むわけではない。あくまで参考にとどめる。

 

 太陽にこの話を聞いた時には一体どうなることかと思った作曲作業であるけれど、始めてみると、これが予想に反してなかなか楽しいものだった。


 そのペースは遅いとはいえ、不思議なことに、旋律がどこからともなく舞い降りてくる感覚があった。


 これは俺の中にそういう素質があるというよりはむしろ、高瀬の書いた歌詞にるところが大きい。彼女の詞は情景が掴みやすく、色彩があり、主役の少女の息づかいを肌で感じ取ることができた。


 部屋に引きこもって、一人で一つの目的に向かって何かを成すという点では、ある意味勉強とさほど変わらない。


 新しい友人を何人も作ったり、バレーボールで時間差攻撃を成功させたりするよりは、よっぽど俺向きな課題に思えた。


 忙しさでいえば、選挙前のだるま屋のようでもあったけれど。


 午前中に登校し、出来上がったメロディを高瀬に聴いてもらい、詞のイメージとの相違点を確認して修正するところがあれば修正する。

 

 補習を終えた太陽と柏木の愚痴を、月島のちくりとした皮肉を耳にして、午後からバンドの練習が始まる。


 俺と高瀬の曲が完成するまでは、とにかく一曲目である『Pleasure of life』の完成度を高めるため、練習を重ねる。


 楽器初心者組では、太陽が「おぉ」と目を細めるほど、月島のベースは上達していた。そうなってしまうと俺の下手なギターだけがバンド全体の足を引っ張っていたわけだけど、そこは、ただでさえ不慣れな楽器を扱っている中、作曲も同時並行でがんばっているんだぞということで許しをうた。

 

 夕方になったら、みんなで下校する。俺は夕飯を食べて、居酒屋に向かう。バイト中も頭は曲作りのことでいっぱいだ。あやうく注文を取り間違えそうになったりする。


 帰宅したら、シャワーを浴びて汗を流し、いよいよギターを手に取る。夜中の3時過ぎまで集中して、この世に一つだけのメロディを創造していく。窓の外で鳴く夏の虫たちと深夜の演奏会を開いている気分は、あながち悪くない。時おり月を見上げ、高瀬のことを想う。

 

 そんな日々が一週間続き、熱も徐々に下がっていき、なんとか曲は完成した。


 ♯ ♯ ♯


「いいよこれ」と太陽は出来上がった曲を聞いて言った。「いい。期待以上だ。よくできてる。過去に売れたバラードのいいとこ取りって感じは否めないが、そこはまぁ、目をつぶろうか」


 今更「ボツ」と言われても、冗談じゃないぞと突っぱねるつもりだったが、審査が通り、ひとまず俺は高瀬と顔を見合わせほっと一息ついた。


 とある事情があって、柏木と月島には太陽よりも遅れて合流してもらう手はずになっている。

 

 太陽は歌詞が書かれた紙に視線を落として、ところで高瀬さん、と呼びかけた。

「最後の部分、これ、流れからして『私を支えているのは』で終わりじゃない……よな?」

 

 高瀬は居心地が悪そうに「そこだけはずっと考えてるんだけど」と答えた。

 

 歌詞が出来て一週間が経つが、いまだそこは、空白のままとなっていた。


 サビを最後にもう一度繰り返すところなのだけれども、入る言葉によっては転調するのかしないのか、一拍間を開けるかどうかといった問題にも関わってくるので、やんわりと歌詞を早く埋めるよう催促してきたのだが、高瀬は「もう少し待ってね」と繰り返すばかりだった。

 

 仕方がないので何かしら重要な一文が入ると仮定して、俺はこの曲を最後に盛り上げて終わらせるべく、転調させることを選択した。それなりに感動的な印象を聴く人に与えるんじゃないかと、密かに自信を持っていたりする。


「で、この曲のタイトルは?」と太陽は言った。


「あ」俺と高瀬が口を開けるのは同時だった。すっかり忘れていた。


「じゃ、決めて」太陽は高瀬に歌詞の紙を渡す。「やっぱり作詞者がタイトルをつけるべきだろう」

 

 高瀬は椅子に深く腰掛け、真剣な顔つきで考え込む。それを確認すると、太陽は俺に耳打ちしてきた。

「おい悠介。これ、本番では、柏木が歌うんだぞ」

 

 気付かないフリはもう限界だ、というニュアンスが小声ながら含まれていた。よく今まで冷静を装ってくれたものだ。太陽が何を言いたいかは明らかだ。


「わかってる。だが今から変えるわけにも……」

 

 歌詞を思い出し、柏木がこれを見ていったいどんな反応を示すか、想像すると頭が痛くなってきた。見れば太陽はすでに側頭部を手で押さえている。柏木と月島、二人の合流を遅らせたのは、このためだ。心の準備時間が欲しかったのだ。

 

 高瀬ももちろん、「ボーカルは柏木」というこのバンドの一丁目一番地を忘れたわけではあるまい。敢えてこれを書いてきたのだ。

 

 高瀬対月島、柏木対月島という構図がある現状でさえ呼吸ができなくなるほど空気が重たいのに、そのうえ高瀬対柏木という対立関係まで生まれてしまったら――。


 いかんぞ、とその考えを追い払うように首を振った。悪いことは考えれば考えるほど現実になる傾向があることを、俺は最近になって学んでいる。

 

「それじゃタイトルは」と高瀬は言った。「ナツカゼ」


「ナツカゼ?」俺と太陽はすげなくオウム返しをする。

「神沢君、夏風邪をこじらせながらこの曲作ったから」

 

 扉の外に足音が聞こえる。時計を見る。柏木と月島に指定しておいた時刻だ。扉が開かれ、その二人が現れる。室内の空気の密度が一気に高まる。


「おっすー、曲、出来たの?」暢気のんきに柏木が言って、「あ、ああ」と脂汗を額に滲ませながら太陽が答える。「へぇ、聴かせて」と月島が興味を示す。

 

 俺は横目で高瀬の様子をうかがった。彼女は椅子に座ったまま唇を真一文字に結び、彫刻みたいに動かないでいる。まるでこれから巻き起こる嵐に備え、周囲に防波堤を築いているかのようだ。

 

 柏木と月島が席に着き、太陽はレコーダーの再生ボタンを押した。若干、手が震えている。申し訳ないかぎりだ。


 イントロダクションが始まり、柏木が隣の高瀬から歌詞の書かれた紙を受け取って、月島と共にそれを目で追う。緊迫の4分23秒が、始まる。


 

 高瀬の吹き込んだボーカルが流れる中、俺は柏木と月島を上目づかいに見る。それに気がついたのは月島だ。こちらに一瞥いちべつを与えると、彼女は実に狡猾こうかつな微笑みを浮かべた。「事情は全部お見通しだよ、神沢」そういう性質の笑みだ。


 一つここで安心していいのは、月島は取り乱す心配がないことだろう。


 たとえば、歌詞から自分にとって不快な何かを嗅ぎ取るやいなや、掃除用ロッカーを開けモップを取り出し、それを振り回して「わあああ」と喚き散らすような、そういうことをするタイプの女の子ではない。


 ではそういうことをするタイプの女の子とはいったい誰なのかというと、それこそは柏木晴香のような子なのであって、そして彼女は今この部屋にいるわけで、いつ何があっても対応できるよう、俺は――おそらく太陽も――身構えている。


 これは人生で最も長い、4分23秒だ。



 曲が終わり、柏木の第一声に、もしくは行動に、俺たちの注目が集まる。柏木は少しそれに戸惑いながらも「良い歌じゃん」と言った。「よく作ったねぇ。偉い偉い」


「そうか!」太陽が重い空気に退場を命じるように、指をぱちんと鳴らした。「だよな! うん、文句なしだよな」

 

 彼はなっはっは、と快活に笑う。バンド解散のような事態にならなくて安堵しているようだ。


「で、なんていう歌?」柏木が誰ともなしに尋ねた。

 

 高瀬が棒読みで「夏風邪」とそれに答えた。


「夏風邪」と柏木は繰り返した。そして続けた。「ほー、なるほどねぇ。なかなか良い題名じゃない」

 

 おやおや、柏木にしては珍しいずいぶん含みのある言い方だなと思ったのは、この部屋の中で俺だけではないはずだ。


 ♯ ♯ ♯


 曲が完成してからの一週間は、取り立てて大きな事件は起きなかったものの、いくつかの動きと変化があった。

 

 俺たちのバンドの名称は「未来同盟」に決定した。


 フェスまでの期間限定バンドとはいえ、さすがに名無しはいただけないということで、バンド名を決めるため議論の場がもたれたのだが、なかなか「これだ」という妙案が出てこなかった。


 そこで焦りに急かされた太陽が「『葉山太陽と悩める若者達』はどうだ」と、昔のグループサウンズですら「シュールだねぇ」と一笑に付しそうな提案をした。


 案の定女性陣の顔色がたちまち曇り、特に柏木など俺の背中を叩いて「なんか言ってよ、そんなバンド名じゃあたし恥ずかしくて歌えないよ」と泣きそうな顔をするので、思い浮かんだ言葉を俺はそのままつぶやいた。それが未来同盟。


 その言葉が意味するところは、ま、今さら説明するまでもないだろう。

 

 三人娘が三国志のごとく対立関係になってしまうのではないかという俺の懸念は、半分当たり、半分外れた。


 高瀬と柏木の間には目には見えないものの、両者の意思の疎通をさまたげる壁が確かに築かれ、柏木と月島の仲は、これは俺も想像できなかったのだけど、極めて良好なものに変わって「月島」「柏木」と互いを名字で呼び合うまでに至った。

 

 俺の家での晩さんがきっかけとなったのか、はたまた「敵の敵は味方」の力学が働いたのかはわからない。でもとにかく、この二人は傍目はためには気心が知れた仲に見え、何年も一緒に過ごしてきた者同士特有の、打ち解けた雰囲気さえあった。


 少なくともそれぞれが望む未来のために、共通の人間を必要としている間柄には思えないのだから、人間関係はわからない。


 高瀬と月島は、ふとした時に天気や楽器についての雑談くらいならするようになった。その様子を見る限り、この街の是非をめぐって激しく対立した件は、どちらも「過ぎたこと」として処理しているように思えた。


 この三人の中で現在最も関係が良くないのは、とりもなおさず、高瀬と柏木ということだ。


『夏風邪』を太陽がたった二日で編曲し、バンド演奏用に見事に磨き上げた。これを一度聴いてしまうと最初に俺が収録したものを耳にするのが嫌になるほどで、さすが生まれながらのミュージシャン・葉山太陽の本領発揮といったところだった。


『Pleasure of life』と『夏風邪』。


 ついに出揃った二曲を俺たちは徹底して練習した。誰に聴かせても恥ずかしくないように。しかし本番が近付くにつれ、五人は共通の焦りを抱くことになる。

 

 ――時間が全然足りない。

 

 7月から取り掛かっていた『Pleasure of life』はなんとか一定のレベルまでこぎ着けることができたけれど、やはりというべきか『夏風邪』はそうはいかなかった。

 

 太陽は最低限の編曲に留めたと言ったが、それでも忘れてはならないのは俺と月島はつい数週間前まで完全な素人だったということで、付け焼き刃という印象がどうしても拭えなかった。


 はからずも俺たちは、こっちの事情など少しも考慮してくれないで進み続ける時間というものの残酷さを、身をもって痛感することとなった。


 そのようにして多くの不安要素とくすぶる火種を抱えたまま、俺たちはついに夏フェス当日を迎えた。

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