第8話【幕間】私の英雄様

 子どもの頃の記憶はほとんどなかった。

 気がつくと、私は教会の前に泣きながら立っており、それより以前のことは何も覚えていない。


 唯一あった記憶は名前がコニー・ライアルだということのみ。

 

 どこで生まれ、誰に育てられたか。

 本来であれば覚えているはずの情報を一切忘れ去っていた。


 何もかも覚えていない私を受け入れてくれた教会の人たちには深く感謝している。

 変な勘繰りをされてもいけないからと、私の素性も生まれ間もなく教会に捨てられていたと変更された。


 その後、人一倍の魔力量があるからと王立学園に入学が決まった際、お世話をしてくれたシスターたちはみんな泣いていた。


 同じく教会で暮らす他の子どもたちも喜んでくれて、いつか私と同じく学園に入りたいと口にしていた。


 私の入学を認めてくれた入試担当のクレイグ先生は「君の頑張り次第では他の教会の子たちも学園に入れるよう便宜を図ろうじゃないか」と言ってくれた。


 嬉しかった。

 何もできなかった私だけど、初めて人の役に立てるって思えた。


 私が学園で認められたら、他のことたちの道標になれる。


 孤児というだけでいわれなきレッテルを張られてしまい、生きづらくなるというのはよく分かっていたから、みんなが通えるように私はクレイグ先生の研究を手伝おうと決めた。


 だから……心苦しかったけど、レーク様からのお誘いは断った。


 本当は一緒に踊りたかったけど、貴族ではないとはいえあの方だって素晴らしい家柄。

 私のような者とは育ってきた環境が違いすぎる。

 一緒に楽しみたいというのはおこがましい考えだ。


それにしても……どうしてクレイグ先生はあのタイミングで工房へやってきたのだろう。


 今回だけじゃない。

 私が誰かと長く話をしていると、先生はいつの間にかそこへやってきて私を研究の手伝いに誘うのだ。


 もしかして、常にどこかから監視している?


 自分だけでは無理でも、使い魔を利用すればそれも可能なはず。


「いいよぉ……実にいい! 素晴らしい!」


 中央校舎の一角にあるクレイグ先生の研究室。

 普段は魔法史を教えているが、彼の本来の専門は魔法薬学。


 ここにはさまざまな薬が取り揃えられており、すべてクレイグ先生が調合したものだ。


 そんな彼は今、私の魔力量を測定して満足そうに笑っている。


「これほどの数値は今までに見たことがない。設備も充実しているし……苦労して学園長を説得し、増設をした甲斐があったというものだな」


 ブツブツと何事かを呟きながら、机の上に置かれた紙に何事かメモをしていく。


「あ、あの、先生……」

「うん? どうした?」

「もうよろしいでしょうか……そろそろ戻って課題をやらないと」

「……そうですねぇ」


 先生はゆっくり私の方へ近づいてくる。

 その目は――あきらかに異常だ。

 焦点が合っていないようだったし、何より息遣いが荒すぎる。

 まるで獲物を前にした腹ペコの猛獣を彷彿とさせる眼光だった。


「せ、先生?」

「寮へ戻る前に……もうひと仕事していただきましょう」


 そう言うと、クレイグ先生は制服に手をかけ、力いっぱいボタンごと引きちぎった。

 下着も破れてしまい、私は必死に両手で胸を隠す。


 この仕草が彼を余計に刺激してしまったらしく、鼻息はさらに増していく。


「その豊満な体で研究の疲れを癒してもらいましょうかね」

「い、いや!」


 必死に抵抗をするが、成人男性の力には勝てない。

 いっそ魔法を使って反撃しようかと魔力を高めていくのだが、クレイグ先生はそれを予想して対抗策を用意していた。


「いいのかなぁ、僕に逆らって?」

「えっ?」

「僕は長年この学園の入試担当の長をしている。この意味が分かるかい? ――僕の一存で教会からの合格者をひとりも出させないようにさせることもできるんだよ?」

「っ!? そ、そんな……」

「残念だねぇ。君が我慢するだけで他の子たちに明るい未来が待っていたかもしれないというのに」

「あ、あぁ……」


 教職に身を置く者とは思えない卑劣さに、私は言葉を失った。


 これが……この世界の現実?

 弱者はただ強者に奪われるだけ?


 それなら、私たちのような孤児はどう足掻いても幸せにはなれないということ?


 家柄に力のない者は、卒業後の就職に困る。

 よほどの好成績でなければ騎士団や魔法兵団には入れない……そういった組織の人たちにも気に入られなければ、働く場所すらなくなってしまう。


 今さらながら、私は理解した。

 この世界の不条理を。


「おっ? ようやく状況を理解しましたか。賢い子は好きですよ」


 もう何も考えられなくなった私は抵抗をやめた。

 せめて、この人が喜ぶ顔だけは見たくない。

 その気持ちが私の目を閉じさせた。


 ひどいことを言ってごめんなさい、レーク様。

 上流階級の中にもあなたのような人がいると知れただけでよかったです。


「さて、それでは早速――」


 クレイグ先生の腕が私の肩に触れそうになった――次の瞬間、大きな物音が研究室の入り口から響いてきた。


「な、何事だ!?」


 狼狽える先生の声がする。


「バ、バカな……なぜおまえがここにいる!? あの結界魔法はそう簡単には破れない! ましてや魔法が使えないおまえたちには突破など不可能なはず!」


 声を震わせながら早口で捲し立てる先生。

 魔法が使えない?


 まさか……いやでも……そんなことあり得るはずがないのに――


「課外授業にしてはやりすぎですね、クレイグ先生――いや、変態クソ教師とお呼びした方がいいか?」

「きょ、教師に向かってなんだ、その口の利き方は!」

「今俺の目の前で行われている行為を教育の一環とおっしゃるつもりですか? でしたら記録した先ほどの映像と音声を学園長含め他の先生方にもご覧いただき、忌憚のないご意見を求めるとしましょうか」


 ここにいるはずのないあの方が……レーク様が研究室のドアを蹴破っていた。彼だけではなく、世話役を務めるメイド(?)のルチーナさんもいる。


「ど、どういう意味だ! 記録なんて――まさか!」

「そのまさかです。私の世話役を務めるルチーナが持つ水晶の効果はご存じでしょう? ――観念するんだな」

「ぐっ!?」

 

 あの水晶……確か、音声や動作を記録できる能力があるという魔道具?

 工房で見せてもらったけど――そうか。レーク様は最初からクレイグ先生の言動を怪しいと睨み、その悪事を暴くために用意していたんだ。


 ……凄い。

 そこまで先読みして行動していたなんて。


 相手は名家の出身でしかも学園の教員ともなれば、その行いを証明するのに決定的な証拠がいる。


 だから、あれを学園側に提出すれば、いくら後ろ盾の強いクレイグ先生であっても無事では済まないはず。


「もう大丈夫だぞ、コニー。あとはこの俺にすべて任せておけ」


 そう言って、レーク様は自分の上着を差しだす。

そして、私に向けられた一点の曇りもない微笑みを見て確信した。

 

 この方は将来とんでもない英雄になる、と。

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