Ⅲ年 「特練Ⅲ」 (7)バッヂの輝き

【ここまでの粗筋】

 主人公「駿河轟」は「応援団」に所属する中学三年生。

 団長就任で、新方針で早くも直面した難局も、黙想と同期との議論で乗り越え、年間の最大イベント「定期戦」に向けた特別練習も無事に終了した。

 そんな中、二年団員の中核的存在「ロコ」が退団届を出した。事情を聴きに訪れた駿河とベーデだが。

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ロコは、頷いたまま声が出なくなってしまった。


「ならば、もう、気にすることは無いということが分かっただろう?」

「…。失礼します。しかし…、」

「ん? まだ、何か支えてるのかい?」

「無礼な物言いをお許し下さい。私は、対面式の日に、小さな身体で大きな声を出して、身体全体で思い切り校歌を歌っていらっしゃる駿河先輩のお姿を拝見してとても驚き、三条先輩や内村先輩、岡山先輩など女子の先輩方の凜としたお姿に憧れ、入団を決めました…。」

「うん。」

「其の後も、昨年の特練おいこみでリーダー部責任者の保科先輩から容赦なく竹刀で叩かれ、殴られながらも立派にバクセンを務められた駿河先輩、そして同様に猛烈に怒鳴られ、何度も平手打ちや水を浴びせられつつも私たち新人の楯となって導いて下さった三条先輩の姿を励みに頑張って参りました。」

「そうかぁ。そう言って貰えると俺達も遣って来た甲斐がある。」

「それが、今日、クラスの男子に『お前は、ベーデさんやコーコさんの綺麗どころとはスタイル的に大違いだな』と言われ、『うちの団は他とは違って喧嘩も強くないんだろ? 団長だってお前みたいに背も低いし。』と言われました。」

「ん…。」


 ロコは、背の高さこそ高くはないものの、日頃のトレーニングの成果があって、均整のとれた、そしてよく鍛えられた、しっかりしたスタイルだった。


「私は、『応援団とはそういうものではない』、と反論致しました。」

「有り難う。」

たとえ、何も知らない一生徒の冗談であったとしても、其のように見られていることが悔しくてなりませんでした。」

「そうかぁ。」

「しかし、そうは言っても、一方で、声援をする本体は生徒みんなです。私が応援団に居ることで、生徒みんなからみた応援団のイメージが悪くなるということがあるのなら、応援団のためにならないのではないかと考え、本日、失礼ながら細川を通じて退団届けを提出致しました。」

「…自分なりによく考えたことは良いことだけれど、其の結論は間違っていると思う。」

「はいっ、ご指摘有り難う御座居ます。」


 ロコは、それまでの俯き加減で猫背な姿勢を正した。


「応援団は、自らが応援をするだけの団体じゃあない。応援をリードする団体だ。応援をリードする人間に見かけは関係ない。必要なのは、応援をリードするために必要な素養なかみだけだ。見かけを気にする暇があれば素養なかみを磨くことだよ。」

「はいぃっ。」

「しかし、確かに、世間や一般生徒の極一部にでも、其のような見方があるのも事実だ。それは、これからの俺たちの努力で、まだまだ変えていかなければならない。それも継続して。」

「はいぃっ。しかし、私は…、私は、自分だけではなく、こうして私のような者にまで一人一人駆けずりまわって面倒を見ておられる駿河先輩まで侮辱されたことが、団全体を侮辱されたことに思え、悔しくて、悔しくてなりませんでした。」

「そうか。有り難う。でもな、本質を理解出来ていない人間に、幾ら理屈を説いても理解は出来ないさ。」

「はいぃっ。」

「理解させるためには、今年の練習方法を変えたように、厳然たる事実を見せることのほか方法はないよ。」

「はいぃっ。」

「それは、先刻さっき言った通り、自分自身が事実を見て納得することと同じじゃないかな。」

「はいぃっ。」

「ならば、もう、お前がするきことは分かっただろ?」

「はいぃっ。有り難う御座居ます。私、自らで其の壁を乗り越え、先輩方の意思を継いでご覧にいれます。」


 僕は、ベーデから預かっていた退団届けをロコに渡した。ロコは歯を食いしばりながら、自分で書いた退団届けを細かく千切り始めた。其の様子からして、余程悔しかったのであろうことを思うと心が痛んだ。もう良いというほど細かく切り裂き、ゴミ箱に捨てた。


「よし。じゃあ、月曜の集合に遅れないようにな。後でソワカにだけ電話しとけ、戻って来るとは信じていたけれど、心配していたから。他の奴は此の件について知らないから、一切心配しないで良い。」


 僕は、学生服の上着を着終えて身繕いを整え、ロコに握手を求めた。


「失礼します。有り難う御座居ます。」

 彼女は、両手で強く握り返してきた。此の力強さなら大丈夫だと思った。


 玄関まで遣って来て、お母さんもお見送りに出て来て下さったところでロコが口を開いた。


「失礼します。我がままついでに一つお願いが御座居ます。」

「ん? 何だい?」

「其の、大変失礼ながら、先輩の団バッヂを触らせて戴いてもよろしいでしょうか…。」


そういう願い事があったのは初めてだったので、少し戸惑ったが、

「このままで? ああ、構わないよ。」

「失礼します…」


 ロコは、恐々と手を出し、僕の左胸ポケットの上部に付いている団バッヂを触りながら、じっと見つめた後、目を閉じ、其処に額を付けてきた。というより、僕の胸に顔をうずめてきた。

 僕はロコの頭を胸で支える形になったが、ぐっと踏ん張り、彼女のするがままに任せてやった。お母さんはロコを止めようとしたが、僕は(大丈夫です)と掌を広げて答えた。

 彼女は、額で団バッヂに触ることで、全身で応援団を感じいのだろうことがわかった。団長の僕に出来るのは、其の思いを洩らさず全身で受け止めることだけだった。

 定期戦の後など、リーダー部内では、下級生がリーダー部責任者にしがみついて泣きじゃくる姿はごくごく普通に見られる姿だから、戸惑うことはなかった。


「此の時期に我が儘申し上げまして、申し訳御座居ませんでした…。」

 額をつけたまま泣きながら、拳を握り締めていた。


いや、構わないぞ。よし、よく頑張った。もう心配は要らない。」

 僕は自分の目頭の方が熱くなり、ロコの頭と肩を軽く叩いた。


「此のバッヂの輝きは、私にとっては先輩方の輝きそのものであり、生活の上での全ての張り合いだったことを思い出しました。」

「お前なら、間違いなく、来春、手に出来る。」

「はい、私も、小事に惑わされず、精進努力して、必ずや此のバッヂを胸に輝かせられるように致します。」

「よし、其の意気だ!」


 ひとしきり泣いたところで、ロコはスッと顔を上げた。

 ハンカチを差し出すと、受け取って涙を拭き、普段のように大きく音をさせて気を付けをした。


「本日は、私のような者のために遠い所をわざわざお越し戴き、大変申し訳御座居ませんでしたぁっ! 応援団女子部二年大神力子、活動に復帰致しますので、これまでにも増して、よ・ろ・し・くお願いいたしまーーーーぁっす!」

「よし、分かったぁ! これは俺とお前の間での話に留めておこうな。月曜からは、気にせず、今まで通りの活動に戻ろう。三条には、そう伝えておく。」

「はいーっ! どうもーーーっ、有り難う御座居ましたーーーっ!」

「お母様、どうも大変お騒がせ致しました。それでは、失礼します。」

 ロコのお母さんに再び夕刻時の訪問の非礼を詫びてお宅を後にした。


 先ず、ソワカに電話し、「大丈夫だ。ロコは戻る。退団届自体を撤回した。後から電話があると思うが、お前からかけてやった方が良いかも知れない」と伝えた。

 そして、ベーデの家に電話を入れた。


「お疲れ様、どうだった?」

「ああ、大丈夫だよ。解決した。月曜には一皮むけて強くなって戻って来る。退団届は、最初から無かったことにしたから、其の心算で居て呉れな。」

「そう、有り難う。」

「済まなかったね、先に帰して。」

「駿河じゃなきゃ出来ないこともあったんでしょ?」

「そうだな、今日の話は、『物理的』にそういうところがあった。」

「何? 『物理的』って?」

「あ、いやいや、それは団の内部的な問題じゃないから、ベーデの心配の及ぶ範囲じゃないことだ。其の点の心配は要らないから、今まで通り接してやって構わない。」

「分かった。じゃあ、月曜は平常いつも通りにするわ。」

「うん、そうしてやって。じゃ。お疲れ。」

「はい。お疲れ様。帰り道、気を付けて。」


 ベーデとの電話を終えてから、道々考えた。今回は、ロコのことで、まだ人となり・・・のある程度分かっている下級生だったから対処できたが、これまで下級生一人一人をどれだけ見てきただろうか? リーダー部は勿論のこと、女子部、吹奏楽部。夫々に責任者が居るとは言っても、今回のように、其の手に余る、あるいは相談出来ない内容であれば、中立者である僕が相談に乗らねばならない。其の心積もりが出来て居ただろうか。定期戦が終わっても応援団の活動は続く。僕は、最後まで出来る限り下級生一人一人をよく見守ろうと思いつつ、電車に揺られていた。

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