Ⅰ年 「定期戦Ⅰ」 (1)似て非なるもの

【ここまでの粗筋】

 主人公「駿河轟」は「応援団」に所属する中学一年生。。

 学業と部活動という応援団生活の厳しい現実に直面しながら、男女十四人の同期と共に、練習最大のヤマ場「特別練習」を何とか乗り越え、今度は活動最大のヤマ場「定期戦」が開幕する。

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 定期戦は国立競技場を中心に行われる。連合四校の応援団が一堂に会し、応援も綿密な連絡の下に、揉め事のないように時間厳守、規定厳守で行われる。其の取り決めを取り仕切っているのが一中うちでは渉外責任者ネゴシエータであるアノ小林さんだった。

 小林さんは、心遣いが細やかなことと、ドイツ語に堪能なことで、ドイツ語でハートを意味するHerzヘルツが渾名だった。

 四校は姉妹校だけあって、制服も良く似ていて、校章が若干異なっていたり、鞄のデザインが少し異なるだけなど、所謂いわゆる『似て非なるもの』だった。

 ヘルツさんや末長さんによれば、世の中、此の『似て非なるもの』が一番怖いのだそうだ。《似て非なるもの》ほど近親憎悪や、ライバル心がむき出しになる。

 また、各学校も、此のライバル心を教育的な向上心に利用しようという狙いがあるので、衝突になる直前のヒートアップまで、お互いの闘争意識を認めていた。


*    *    *


 其の年、国立競技場での一中の集合場所は、千駄ヶ谷駅から歩いて最も奥だった。学校に集合して全員で機材を運びながら、其処で初めて他校の応援団を見た。

 紫地に白線二本筋・二つ巴意匠の校章のついた腕章の『二中ともえ』、緑字に黄線三本筋・三つ葉意匠の校章のついた腕章の『三中あおい』、水色地に銀糸で槍の穂先のような変形菱形を組み合わせた四稜星のついた腕章の『四中びし』。確かに「似て非なるもの」だった。どこの応援団も、既に集合直前で、二年責任者が大声で幹部に報告をしているなど、ピリピリした雰囲気が漂っていた。

 僕ら新人は其の横を歩きながら、可成り浮き足だって了ったというのが本音だった。此様な他校の応援団を相手に、ヘルツさんは一人で然も初の女子の渉外責任者を務めてきたというのが驚きだった。


「おい、他校よそをジロジロみるな! 地に足つけて、前を向いて歩け!」


 其様な僕らに、最後尾を歩いていた末長さんが跳んで来て、声を潜めて注意した。こうして集団として互いに通過するときの挨拶は省略されていても、一人で、他校の応援団の前を通る、あるいは団員同士が擦れ違う時には必ず自校の方式で挨拶せよ、と耳にタコが出来るほど言われていた。挨拶するか否かの判断は、およそ半径五メートル以内を目安としろと。かと言って、挨拶を避けるように大回りをするようなことは無礼に当たるからするなとも言われ、わざわざそのための練習もしてきていた。

 しかし、其様な定義めいたことを言われても、実践の場ではなかなか思うようにはいかない。一中うちも他校も新人が一番オロオロとしていた。

 機材の搬入や、幹部からの用事でスタンドの下に入ると、当然、他校の団員と鉢合わせした。其の度ごとに、一旦立ち止まっては大声で、「ちはっ、失礼します!」と挨拶してから通り過ぎる。他校は他校で、「押忍、失礼します!」、「チャーァッ、失礼します!」等々、様々な挨拶で通っていく。新人と一目で分かるほど髪の毛を青々と坊主刈りにしている学校、対照的に新人の時から髪の毛をワックスで固めている学校、夫々の学校としてのカラーも応援団員の姿に反映されていた。


 因みに一中うちはと言えば、応援団といえども男子学生は「坊主刈り」か「刈り上げ」が校則だった。そして、眉にかかったり、学生服に髪の毛がかかることは、あってはならないことだった。整髪料の使用も禁止だった。団員の髪型で言えば、下級生は殆どが刈り上げで七三で流す感じ。幹部になると刈り上げは短めに抑え、髪の毛全体を若干短めにしたスポーツ刈りに近い七三か、大人っぽい七三だった。所謂極端に《地味》だった。姿格好で《応援団》と分かるような集団でもなかった。『ああ、少し体格が良いからなにかスポーツをやっているのだろうなぁ』と思われる程度の感じだ。

 しかし、上級生は、膨大な練習量を始めとする母校の応援団の持つ「体力と持久力」という底力に、絶対の自信を持っていた。但し、


「応援団の強靱な体力は、間違っても暴力をふるうためのものではない。」


 八幡さんはじめ、リーダー上級生は下級生に繰り返し、繰り返し、此の言葉を投げかけた。


「しかし、相手がそう考えない場合もなくはない。其の時は、攻撃ではなく、防衛に其の力を使うことに専念せよ。相手を倒して解決するのではなく、押さえつけて、後は警察なり大人なり、周囲の協力を仰げ。決して喧嘩などという無意味なものに応じてはならない。」


*    *    *


 四校全校の応援団が揃うと、一斉に集合がかかり、其の後、一般生徒がスタンドに入るまでの間、スタンドでは、応援団の最後の練習が始まる。時間にしてほんの三十分ほど。正直、これが可成りキツイ。なにしろ、他校に対するデモンストレーションと、外で待っている一般生徒の士気高揚も兼ねている。

 各校の応援団には、夫々のプライドがある。方法こそ違えども、此の日のために辛い練習に耐えてきたという意地がある。リーダー部責任者としては、母校の応援団の気合と統率力をもって他校を、此の時点から圧倒しなければならない。

 此の「最後の調整」で、少しでも気を抜こうものなら、途端にスタンド最下段のセンターに集合がかかり、二年責任者が竹刀で叩かれ、平手打ちが飛んだ。練習での竹刀や平手打ちとは違い、競技場でのそれは本気の代物だった。

 以前は、女子部でも容赦なく平手打ちが飛ぶことがあったそうだが、流石に今では目の前一センチほどで怒鳴られるくらいで済んでいる。

 いずれにしても、此の最終練習で、上級生は勿論、下級生もこれから始まる半日以上の応援に対して精神力を高め、覚悟を決める。

 普段は冷静で落ち着いた笑顔のヘルツさんも、今日許りはえくぼも出ず、表情と目線に全く隙がない。全力を傾注してピリピリしているのがありありと分かった。


*    *    *


 定期戦では、他校よそに負けない応援を展開しなければリーダー部責任者の納得を得られない。元々全校生徒が最も多いのだから当然といえば当然なのだろう。

 女子部のチアと吹奏楽部のみの応援の時間には、リーダー部責任者はリーダー部員全員に対して、スタンド裏に集合をかける。此処で水分補給や体調管理が行われる。


「集合!」


 二年責任者の末長さんの声で全員が整列する。


「上着、脱いで良いぞ。水飲んで身体冷やせ!」


 リーダー部責任者の三好さんの声がかかる。


「有り難う御座居まーぁす!」


 全員が上着を脱いで身体の熱を発散させながら、水を回しのみして水分を摂り、頭から首にかけて柄杓で水をかぶり体温を落とす。

 集合の本当の中身はこれからになる。全員が水を飲み終わり、姿勢を正した瞬間、


「見えねぇんだよ!」


バクセンを務めている二年の保科さんが、竹刀で腰を叩かれた。


「はいぃーっ!」

「バクセンのお前が見えなきゃ、他の奴が困るだろ! もっと上段に上がるとか、臨機応変に考えて工夫しろよ!」


 また竹刀が飛ぶ。


「はいぃーっ!」

「お前から全員が見えなけりゃ、全員からお前も見えねぇんだ! そんくらい考えろ!」

「はいぃーっ!」

「お前は、吹奏楽部とちゃんと話し通してんのか!」


 今度は末長さんに竹刀が飛んだ。


「はいぃーっ!」

「サインが何度合わなかったんだよ! おい!」


 また竹刀が飛ぶ。


「はいぃーっ!」

「良いか、お前ら、落ち着けっ! 練習通りにすれば間違いないんだ!」

「はいぃーっ!」

「まだまだ応援残ってんだ、全力出し切るぞ!」

「はいぃーっ!」

「よし、上着着ろ!」

「失礼しまーぁす!」


 全員がスタンドに戻って、また応援が続く。


*    *    *


 一中うちでは、リーダーは殴られるとしても基本的に竹刀で腰のベルト部分を叩かれる程度だった。それ以上のことがあっても、精々「気合入れろ、しっかりしろ」の平手打ち程度だ。勿論、普段女子が殴られることはなかった、女子部責任者や吹奏楽部副責任者も竹刀は持っているが、部員の足下を叩いて怒鳴る程度までしかしない。

 しかし、他校の集合では、女子部でさえ、あからさまに手足が出ている様子もあった。


他校よそ他校よそ一中うち一中うち、やり方は夫々それぞれの伝統の中で決まってきているのだから。口出しはしないの。良い? もし定期戦で他校の集合とか、そういう様子を見てもじっと見つめてたりしちゃ駄目よ。失礼に当たるから。」


 ヘルツさんは、僕が補佐サブという立場で彼女の渉外責任者の仕事を手伝う中で、そういう慣例も事細かに教えて呉れた。

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