The Birth of Mr.Faceless 3


 顔無の男、とでもなるのだろうか。顔のデザインを思い付けない事を逆に設定に落とし込んだヒーローだ。今となっては去年に動画サイトで見たスレンダーマンに酷似した見た目となっているが、裕也は無性にこのMr.Facelessの恰好を真似したくなったのだった。


 押し入れから出した荷物もそのままに、今度はクローゼットを開ける。クローゼットと言っても名ばかりで、備え付けの物置に物干し竿を括りつけて作った粗末なものだ。しかも母屋の荷物も置かれているので、スーツが二、三着とちょっとした私物をしまうくらいのスペースしかない。尤も滅多な事で外出はせず、人と会う機会も極端少ない裕也はこれで困ることはなかった。


 すぐ様スーツに着替えると畳の上にタオルを敷き、革靴まで履いて姿見を見た。粘菌を先ほどと同じように全身に這わせると、そこには正しく、Mr.Facelessの姿があったのだ。


「でも、靴を履くと足の裏に粘菌を出せないな」


 粘菌の粘着性や衝撃吸収性能、耐熱耐寒性を体験した後だと、足の上らとは言え粘菌を作用させられない場所を作るのは少し憚られた。かと言って靴ごと覆って裸足のようになると見た目が悪い。


 思案した結果、裕也は革靴の底に錐で穴を開けて、そこから粘菌を抽出させてはどうかと考えた。


 目論見はうまくいき、見た目と機能性を両取りすることが叶った。


「よし…これなら!」


 声が上ずって、自分で思っているよりも高揚している事にそこで気が付いた。


 その時。裕也の部屋の中に、操たちを乗せた車が戻ってきたことを知らせるベルが響いた。


 慌てふためき着替えを済ませると、大急ぎで玄関を目指す。しかし、今までと違って汗をかくどころか息を切らす事すらなかった。



 翌日。


 他家にとっては夕食、神邊家にとっては朝食の時間となった。例によって子供たちは別の部屋へ入り、裕也は操と義母との三人で慎ましやかな食事をする。普段はほとんど無駄口を聞かず食器のこすれる音だけが空しく響くだけなのだが、この日に限って珍しく義母が喋りかけてきたのだった。


「最近の調子はどうですか?」


 裕也と操はぎょっとして顔を見合わせた。どちらに聞いてきた質問かは分からなかったが、まさか裕也にしたとも思えず操が丁寧に答えた。


「私は勿論調子がいいし、子供たちだってかなり術の扱いが上達してきてますよ」


「近頃、よくない噂ばかり耳にします。十二分に気を付けなさい」


「ええ。分かってます」


 よくない噂、という言葉が裕也の耳に残った。とは言え、それはどういうことですか、などと尋ねる訳にも行かず、目配せで操に聞いたのだった。


「最近になって絆魂する人たちが増えてきているの」


「え? 絆魂者が?」


 退治屋家業の事情に精通していない裕也が、それに関することで驚くのは稀だ。それほどまでに意外な情報だったのである。


 絆魂とは書いて字の如く魂同士が強い絆で結ばれるという意味を持つ。字面だけならば素晴らしいものに聞こえるがその言葉が示す実情は大きく異なる。何故ならば魂同士が強く結束するのは、人間と妖怪の間で起こるからだ。


 未だに原理や条件、要因などの多くが謎に包まれたままであるが、絆魂した人間と妖怪は人智を遥かに凌駕し、理屈では推し量れない強い何かで繋がる。そして絆魂が与える影響はそれだけにとどまらない。


妖怪の場合は往々にして、個々の妖力が強まり更に驚異的な存在へと変貌する。人間にしても、妖怪と言葉によらない意思疎通が可能になり、繋がった妖怪の妖力を自分の元として扱えるようになるという。妖怪は、どれだけ残虐非道なそれであっても、絆魂した人間だけには決して危害を加えることはなく、人間も絆魂した妖怪に対しては一切の恐怖感、嫌悪感、不快感を払拭されるという。


 現在でも妖怪を術や契約で従える術者はゼロではない。しかし絆魂はそのような主従関係で割り切れる話ではない。


 数少ない絆魂者の証言によれば友愛や信頼など、凡そ人間の言語では表現することが到底不可能な程の神秘的で絶対的な強い絆を自覚するという。そしてこれまでの常識を遥かに超えた知恵と洞察を得る、と残されている。


 それだけであればいいのだが絆魂した妖怪と人間は大抵の場合において突発的に得た力を持て余し、あるいは繋がった妖怪の為に悪事に手を染める。


 特に神邊家のような祓い屋稼業にとって絆魂することは最大の禁忌であり恥辱と捉えられ、どの一族であっても絆魂者には厳罰を持って対処を計るのが通例となっている。


 しかし絆魂者というのは滅多な事では現れず、数十年に一人出たら多いと言われるほど希少な存在でもある。それが最近になって増えてきていると言われれば、驚くのは妖怪退治稼業に携わる者として当然の反応だった。


「十数年前に名門の神山家のお嬢さんが、どこぞの鬼と絆魂して姿を暗ました事件がありました。それから久しく聞いていませんでしたが、この間の会合で各地で絆魂した者が度々目撃されているそうです。真鈴ではまだ聞きませんが、くれぐれも油断のないように」


「わかりました。子供たちにも言い聞かせておきます」


 それで奇妙な合間の会話は終わった。それからは、またいつも通りの静寂に耳が痛くなる食事の時間へと戻って行った。


 ◆


 やがて食事が終わると小一時間の小休止を挟み、小隊とも呼べるような人数で操と子供たちが夜の街へと向かって行った。車が石畳を走り門の外へと消えていくのを見届けると、使用人や義母たちがぞろぞろと活動を始めた。


 裕也は最後の一人になるまで、ポツンと玄関に取り残されている。操が家を離れた以上、ここには裕也の味方は誰一人としていないのだ。操の目のある間は家人や使用人たちも多少なり気を使うのだが、留守の間はずっと孤独感と疎外感と共にいる事になる。碌な仕事もなく、許可なき外出も許されない裕也は自室に自ら幽閉されることで時間を過ごすのが常だった。


 しかし、それは彼の中で過去の話になっている。


 小屋に戻った裕也は逸る気持ちを抑えながら、昨日と同じスーツを着て靴を履いた。そして自らを落ち着かせる意味で深呼吸を挟むと体表にアシクレイファ粘菌を抽出するように念じてみた。


 ワイシャツよズボンの下に、いつか理科の実験で作った覚えのあるスライムのような感触が伝わると、すぐに自分の肌の感覚と同化していった。


 昨日引っ張り出してきたノートに書かれた絵と、姿見に映っている自分の姿とを見比べてみた。


「What’s up? Mr-Faceless」


 自然と英語が口から出てきて、裕也は思い思いのポーズを取る。


 そこには心の底から憧れて止まないアメコミ風のヒーローがいる。しかもそれはかつての自分のデザインしたキャラクターなのだ。まるで小さい子供がテレビで見た特撮のヒーローに自己投影するのと同じように裕也は年甲斐もなく舞い上がっていた。


 五分、十分の間はそれだけでも満足だったのだが、次第に彼の心の中には別の欲望というか考えが芽生え始めたのだった。


 この姿とアシクレイファ粘菌の能力があれば、妖怪退治の仕事の手伝いができるんじゃないか。


 そんな思いが頭の中に過ぎった瞬間、彼の自己承認欲求は十数年のうちに溜まり込んでいた鬱屈した感情のタガを外してしまった。


 この力があれば………。


 操の役に立てるかもしれない。


 子供たちから消え失せている威厳と尊敬を取り戻せるかもしれない。


 義母に認めてもらえるかもしれない。


 本当の意味で、この家の主となることができるかもしれない。


 今までは夢想する事しか許されなかった、くだらない妄想だが今の自分にはそれを実現できるチャンスが与えられているのだ。一度その考えを持ってしまった裕也は居ても立っても居られなかった。


 気が付けば、昨日の修行用の山の森で見せた全身がバネになったかのような身体能力を駆使して部屋どころか、神邊家を囲う塀さえも飛び出していたのだった。

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